「
両の手に 幼子握る 月見草 川の向こうに 半月昇る」、「梅雨入りに ムカデ現われ凍る妻 箸で摘まんで 小川に放つ」、「むかむかし ムカデ噛むでと 噛まず言い」、「ムカデには ムカデの意味が あるを知り それでも嫌い 足が多過ぎ」
多過ぎて好かれるものはお金くらいか。お金が人間を変えるとよく聞くが、大金を持ったことのない者がそれを言えば金持ちには負け惜しみに聞こえるらしい。つまりそれほど金持ち(この場合、成金限定)は考えが卑しい。ついでに思い出したので書いておく。SNSに中国や韓国を謗る書き込みをよく見かける。「日本人は奴らみたいに下劣な品性を持ち合わせていない」といった自賛だが、そういう根拠のない自惚れが品性のなさだ。立派な日本人は絶対にそういう意見を書かない。中国、韓国に人品下劣な者がいれば、日本にもいる。最近アメリカで道を歩いていたアジア人の女性が黒人女性にハンマーで殴られる映像がニュースで紹介された。そのことによって単純な人は黒人女性は全部野蛮と思いがちになるだろう。だが、アメリカに対して卑屈な日本人は、殴られたアジア人が中国や韓国系であれば面白いと内心喝采を送る。ともかく、憎しみの理由を自分で考えずにネット情報によって容易に信ずる若者がいて、先日家内は「風風の湯」で出会った20代半ばの話好きの見知らぬ女性が、ネットで得たトンデモ話題を得意気にすることに寒気を覚えたと言う。ネット社会は彼らが根拠のない憎しみを連鎖、増殖させる土壌を高速かつ強力に築いているようだ。自分の信じるものを優先するあまり、意見や考えの違う存在を否定、攻撃することがネットでは常識化していて、実に酷いとしか言いようのない投稿をたまに見かけるが、本人は全くそう思っておらず、むしろ世の中のためと信じて疑わない。そういう連中は議員やその仲間のタレントに目立ち、よくもまあアホ面を晒して口泡を飛ばしていると思うが、それなりに多くの信者がいるので彼らの勢いは止まらない。去年はヒトラーがナチスの党首になってちょうど百年であったが、ヒトラーのような人物がいつでもどこでも湧いて来ることをネットが促進化した。そういう時、芸術家が何をすべきかの例をブログに書こうかと思って1年ほど経ち、いずれ数回程度投稿するかもしれない。今日の最初の写真は4月17日、2枚目は21日で、アスファルトの窪みに入り込んだ紙の摩滅具合は大差ない。その後、雨で洗われるたびに紙は目立たくなり、もう撮影していない。記憶は消えかかるとさらに関心を失うことのたとえになりそうだ。とはいえ爆撃で肉親が殺されると憎しみは容易に消えないだろう。それで永遠に憎悪の連鎖が続き、たとえばアジア人はアメリカでは暴力を奮われる。アジア人が黒人や白人の頭をハンマーでいきなり殴りかかればどうなるだろう。狂人を相手にしたくないが、普通に生活していて襲われることがあるほど、人間は野蛮だ。
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