「
蚊が飛びて 空に書く文 アイラヴユー」、「火の玉が 飛び交う市外 死骸満ち」、「濡れチラシ 路面に落ちた 割れメロン」、「万象の 景色変わるは 摩滅ゆえ 場所を変えつつ 消えては生まれ」

9日にアフガニスタンの首都カブールで爆破テロがあって数十人の子どもが死んだ。一方、一昨日はパレスチナのガザ地区にイスラエルが爆撃を行なってビルが倒壊し、女の子がふたり泣きわめいている様子をTVで見た。夜空にミサイルの火の玉がいくつも飛び、それを見上げる人たちの恐怖を想像すると、いたたまれない。大地震のような自然災害と違って、戦争は防ぐことが出来る。あるいはその努力をし続けるべきだ。筆者は
2004年3月に「路面のメロン」と題して左右対称の切り絵を作った。その頃と現在とで人間が変わるはずもなく、相変らず人間は自殺、爆撃などによって路面で砕けたメロンのように死んでいる。コロナや大地震も含め、運がよければ災害や事件に巻き込まれずに済み、その運がよい期間に大いに気分よく過ごすことが出来ればいいのだが、前述のようにTVニュースでたまたま悲劇に見舞われた子どもの慟哭を見ると、何とも言いようのない憤怒の情が湧いて来る。とはいえ、遠い日本にいて筆者に何が出来るか。肉親を一瞬で失った子どもたち、あるいは爆撃で大けがをした子どもたちを見て、「日本に生まれてよかった」とSNSに書き込むアホがおそらく大勢いるだろう。他人の悲しみに同情しても何も変わらず、同情しなくても同じであるならば、人は結局安易な道を選び、そして「日本に生まれてよかった」と満足する。それは精神が摩滅してツルツルになっていることだが、誰しも精神に大きな痛手を負うと一時も早くそれから逃れるために精神のある部分を鈍感にさせる。つまり急速に摩滅させて刺激から自己を閉ざそうとする。そう考えると、「日本に生まれてよかった」と安堵の書き込みをする人は、痛ましい事件や事故に敏感に反応するあまり、本能的に思考停止しているのかもしれない。筆者は時に精神の摩滅について思う。芸術作品に対する感動は、精神が敏感であると感じられることでもある。もちろん芸術に関心が皆無な人でも精神が敏感に働くことは当然あって、本人のみが感じていることが他者に伝わるよりもそうでないまま消えて行くことのほうが何億倍も多いが、無数にあるそうした精神の動きはさほど多くもない種類に分類されるはずで、それ以外にめったにない珍しいものはやはり芸術を通じるしかないだろう。摩滅して行く人生の中で、精神の特別な震えをなるべく多く感じたいものだ。今日の写真は嵯峨のスーパー近くのアスファルトの路面にへばりついていたチラシを撮影した。最初の写真が3月で文字がどうにか読める状態だが、元がどのような印刷物であったかわからない。2枚目は4月10日で、摩滅が進んでいる。誰も注意を払わないものでも、時に思考に役立つものがある。

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