「
凧飛ばす 場所なき街に 育つ子に 凧を与えて 多幸祈るタコ」、「凧遊び 知らぬ吾 凧求め 部屋に飾りて 大空想う」、「たこやきに イカを入れるは いかさまか 凧をイカとも 呼ぶこと知れば」、「いかさまを たこさまと呼ぶ いかさま師」

体温が平熱に戻ってふたたび冷酷人間になった。20年ほど前か、母から冷酷と言われたことがある。あまりに息子に厳しい様子を見てのことだ。厳しいように見えるだけで、筆者はごくまともな躾をして来たつもりだ。筆者が母親から躾られたと同じように息子に接して来たのに、ともかく母のその言葉を間近で聞いた家内はそれ以降、筆者が息子のことで立腹すると母に代わって冷酷の言葉を持ち出す。筆者は反論せず、自分で冷酷人間だと言っている。息子が働いた金をどう使おうが息子の勝手で、息子もそう思っているが、ならば何があっても親に泣きつかないことではないか。それが出来ないのであれば相変わらず冷酷な言葉を投げつけるしかない。他人からいわば脅され、すかされて貸した金を回収する根性がないのに、親から借りた金は踏み倒すのでは理屈に合わない。戦前なら、そして裕福であれば話は別だが、親に迷惑をかけないのはあたりまえで、筆者もそのように育った。そういう親子関係の連鎖がいつの頃からか、日本ではあたりまえでなくなって来ているのだろうか。筆者の息子は子どもの頃に親にあまり甘えなかったので、大人になってその反動が出ていると母は言ったが、一人っ子の息子をむしろ甘えさせ過ぎた。それで大人になっても相変らず何かが子どものままだ。本人が自覚せねばどうにもならないが、たまに誰かから聞いたことに感心している様子を見て、筆者はこう言う。「それと同じことをお前が子どもの頃に何度も言ったで。他人から言われて感心するのに、親の言葉は馬耳東風か」このように言うことが冷酷なのかもしれないが、筆者も母からそうとうきついことを言われて育った。冷酷な言葉でも言われている間はまだよい。世間ではこいつは駄目だと思われれば、無言で遠ざけられ、相手にされない。そのように世の中は冷酷だ。であるので、プロは常に全力を尽くす。失敗すれば二度目はないからだ。全力を投ずるには日々力を蓄え続けねばならない。今の日本ではわずかな真のプロとロボットが代替可能な仕事に別れて来ているのだろう。だが若さでもてはやされている者は若さを失えばお払い箱となる現実を直視することだ。常に若者は湧いて来る。今この瞬間に新たな優れた才能が芽生えていて、そういう想像力を持てない者は自分を見誤る。今日は家内と自転車で上桂のスーパーに行き、菓子売り場で水無月を見つけた。まだ1か月半ほど早いが、4つ入りを買った。甘い物が好きでは糖尿になると家内はうるさく言うが、その話をFさんにすると、70近い年齢ではもうならないと言われた。それはともかく、冷酷人間らしく、水無月をたっぷり冷やして食べた。
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