「
囃されて 枯木も山の 賑わいや」、「大声で はしゃぐ子らの 老いの相」、「整形で増しましたよね 醜さが」、「整形医 醜で儲けて 醜晒し」、「囃し立て 裏切られては また囃し 愚かな民が 祀る政治家」

去年秋、4束の枯木を自治会館前に家内と持参すると、連合会会長などの顔馴染みから申し訳なさそうに「枯木の回収は昨日でしたんや」と言われた。その翌月の市民新聞で、毎月の
枯木の回収がなくなったことを知った。10日ほど前、家内が回覧文書から回収があることを知った。4月にもあったが、それには気づかなかった。家内は「今月7日の午後2時から回収される」と言われ、2月に払って放置している枝を思い出し、さらに新たに枝払いをすることにした。前者は2束分あり、後者は昨日作業を終え、1束分ある。去年秋の4束を合わせると7束になるが、隣家に置いていた4束は乾いて嵩がかなり減ったので、新たな3束を加えて束ね直せばよい。そうして直径50センチほどの束にした。その最終作業を終えたのが今日の正午頃だ。回収は一軒につき2束までだが、わが家は2軒あり、どちらの裏庭からも得た枯木だ。それで筆者と家内がそれぞれ2束持ち込めば規定には反しない。2束を家内は自転車の前後の荷台、筆者は折り畳みカートに積み、午後2時少し前に指定場所である近くの公園に行くと、古紙やがらくたのみで枯木の束はない。家内が文書を見誤ったのではないかと筆者は文句を言いながら、その足で去年の回収場所の自治会館前に向かうと、さまざまな回収品を手にした人たちが列を作っていた。西京区役所の軽トラックが2台停まり、役所の男性が荷台に回収品を詰め込んでいて、連合会の役員は誰もいなかった。枯木の持参は筆者らのみで、公園でもよかったのだ。列に並んでいると雨が強くなって来た。かなり濡れて帰宅したことがよくなかったのか、先ほど「風風の湯」を出る時に体温を測ると36.8度だ。湯に浸かって体温は上がっているのにくしゃみが何度も出る。風邪をひいたのだろう。昨日は猿のように木に登って枝切り作業をしたこともあって、疲れてもいるのだろう。コロナではないと思うが、その可能性はゼロではない。「爺、気がかりが遅くなっても解決して行くことは気分がいいよね」「まことにそうですな。アリアドネ様、わたくしのような高齢者でも気がかりを抱えることは恒例でありますが、ひとつ心配が消えるとまた新たに湧いて、その繰り返しですな」「爺はそれでもまだましだわ」「心配事に年齢差はありますかな」「あるわね、それに境遇も大きく関係するわよ」「確かに。若い人は大変ですからな」「爺でも達観し切れないなら、それはあたりまえよね」「それでどんと見守るしかないですな。便りないことは頼りないですがな」「誰か心配?」「ま、コロナ蔓延中ですからな。わたくしもイチコロナですかなら」「イチコロね コロナは津波 転がる世」
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