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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●今年の東山の桜
靴で 初めて歩く 吾を見る 母の笑顔に 赤み混じりて」、「本覆う 革を欲する 吾を見て 母いずこから 手に入れ与う」、「黒革の ブックカバー撫で 半世紀 幾多の本の 本(もと)に母あり」、「若かりし 母のペン字の 凛々しさを 吾超えられず 今も忘れじ」



●今年の東山の桜_d0053294_13440336.jpg 今日の冒頭の一字は「革」を使う番で、母に因む歌をいくつかひねり出したのはいいが、本文に何を書こうかと迷う。蘇鉄か河道整備について書くつもりであったが、5月になって今年の桜の写真を使うのは気が進まない。それで今日は予定を変えて3月27日に東山で撮った桜の写真を使う。写真は5枚あり、最低4段落書かねばならないが、昨日のように短歌の間に写真を挟んで字数を削ることも思いつつとにかく書き進める。当日はほかにも多くの写真を撮り、今後順に紹介する。さて、家内は阪急電車の回数券を手元に絶やさないようにしているが、コロナ禍のため、電車に乗る機会は激減し、回数券の使用期限の3か月間に使い切れないことが生じている。3月末まで、しかも土日しか使えない回数券が5回分残っているというので、それを使うために四条河原町に出て八坂の桜を見に行くことにした。寺町通りをふたりで歩くのはコロナ禍が始まって以来のことと思う。今日の写真は撮った順に載せるが、どういう道順で筆者らが歩いたかは、京都に詳しい人ならだいたい想像がつく。四条寺町から三条寺町へと北上、その後東に向かい、河原町通りを南下、龍馬通りに入って高瀬川まで至ったが、その途中、龍馬で有名な酢屋は健在で賑わっていたが、その向い側の遊興施設は洒落たホテルになっていたことに驚いた。今日の最初の写真はそのホテルのすぐ近く、高瀬川の橋の上で撮った。桜と芽柳を中心に右端に「止まれ」の赤い交通標識をあえて含めた。満月の写真と同様、主役のみでは面白くなく、それ以外に何を使うかで賑やかさが増し、個性が出る。この写真を撮りながら思ったことは、先日書いた松尾と上桂の間の小さな踏切にあった桜の老木だ。それは背丈よりも枝の広がりが4倍ほど大きく、長楕円に収まる扁平な樹形をしていた。その全体を描いて作品化するには六曲屏風が必要だが、桜のみでは月並みになりがちで、何か添えるものがほしい。そのように思っていたところ、その老木の近くに踏切があり、その黒と黄色の斜め横縞模様が桜のピンク色と幹の黒褐色と好対照を成し、筆者は毎年その眺めを見るのが楽しみであった。ただし、桜とその踏切の一部だけでもまだ何かが足りない。六曲一双屏風にするには、どちらかの隻に踏切と対になる画題が欠かせない。それは小倉遊亀からの感化ではないが、女児がふさわしい。彼女が桜の近くで遊んでいる姿を添えるのだが、ひとりではさびしいが、母親を加えると桜が負ける。そんなことをあれこれを考えていたのだが、肝心のその老木は今年すっかり消え失せた。そんなことを思い出しながら今日の最初の写真を撮った。
●今年の東山の桜_d0053294_13443365.jpg
 2枚目の写真は同じく高瀬川の橋の上からだが、回れ右して下流を撮った。見事に満開で、高瀬川沿いほどの桜の木が嵐山にもあればいいが、年々残念なことになっている。枯れれば新たに植えればいいのに、国交省はそれを認めず、渡月橋から松尾橋に至る土手は殺風景の言葉が似合う状態だ。このことは何度も書いたが、10数年前、桂川左岸の罧原堤に右京区のとある自治会が桜の苗木を植えた。それを河川管理事務所が全部抜き取りを命令した。松尾橋から渡月橋に至る左岸に桜がないではないが、あまりのさびしさだ。罧原堤は2キロほどの長さがあり、渡月橋に向かって大きく蛇行しているので、桜の木を岸辺寄りに20メートル間隔で100本植えれば、そしてそれが樹齢40年ほどになれば、京都を代表する桜の名所になることは間違いがない。桜は土手を弱くするので植えることは好ましくないとの理由らしいが、桂川が洪水で氾濫し、土手を崩壊させることはほとんどあり得ない。あっても半世紀に一度もない。とすればせいぜい樹齢6,70年の桜を楽しんだほうがどれほどいいだろう。京都には観光客が喜ぶものがたくさんあって、罧原堤の桜の重視度は最下位にあるのだろう。もったいない話だ。とはいえ、こうして書いていて筆者の脳裏に100本の桜の老木が罧原堤の西側歩道沿いに等間隔で満開になっている様子がはっきりと見えている。話を戻して、先月27日はとても日和がよく、高瀬川沿いの桜は満開、大勢の人が歩いていたが、誰もがマスクをしている。今日の2枚目の写真の左端にマスク姿の若い女性が写っているが、筆者が撮り終えた後、彼女らのグループは筆者に声をかけて来た。「あおの、写真を撮ってもらえますか」とスマホを差し出され、筆者は3枚撮った。スマホの操作は知らないが、丸いボタンの印を押せばいいことくらいはわかる。画面を確認してもらうとうまく写っていて、彼女らは喜んだ。ほかにもたくさん人はいたので筆者に頼まなくてもいいようなものなのに、桜の写真を撮っていたので目立ったか。マスクをしていてもだいたい年齢はわかるが、当日の筆者は帽子も含めて全身黒づくめで、またタイトな上着で、年齢よりは若く見えたか。そう言えば2週間ほど前、梅津からの帰り、傘を差して歩いていると、背後から筆者を呼ぶ声が聞こえる。その時の筆者はもちろんマスクをしていたが、それは後方からは見えない。筆者は灰色のベレー帽を大黒天のように阿弥陀に被り、また傘は従姉から借りた花柄の女性もので、普段の筆者の身なりとはかなり違っていたのに、歩き方や全体の雰囲気から筆者とわかったのだろう。彼女は自転車で帰宅途中に雨に遭ったのだ。筆者は左の肩を大いに濡らしながら小柄な彼女を傘で覆い、一緒に数百メートル歩いて家まで送り届けた。その時のふたりの様子は誰にも見られなかったと思うが、傍目には恋人同士に見えたかもしれない。
●今年の東山の桜_d0053294_13450101.jpg
 3枚目の写真は説明するまでもない。円山公園の有名な枝垂れ桜だ。高瀬川沿いを四条通りまで歩き、四条通りの北側歩道を八坂神社に向かって歩いた。神社近くの骨董店のウィンドウに村上華岳のヒラメと確か慈姑を描いた横幅の掛軸が飾ってあった。その写真を撮ったのに写っていなかったのは不思議だ。当日は多くの写真を撮り、それ以外は全部写っていたからだ。村上華岳のその絵に似た作品が数か月前に市場に出たので、筆者はなおさらその作品に着目したが、その店の前を通る何パーセントの人が即座に華岳の絵とわかるだろう。筆者は近年華岳のことを毎日のように考えている。加藤一雄は華岳が死んだ時、同時に華岳の絵を真に味わう人も絶えたと思ったが、やがて華岳の展覧会が頻繁に開催されるようになり、若い世代が新たな見方をしていることに期待を寄せた。その新たな世代のさらに後の世代に筆者は属するが、筆者なりに華岳の作品についてあれこれ思うところがあり、それが華岳が生きていた時代の華岳ファンの思いとどう違うのか、あるいは同じなのかはわからず、悶々とし続けている。ついでに書けば、華岳の作品で筆者が最初にびっくりしたのは京都の平野神社の夜桜を描いた二曲屏風で、今調べると25歳の作だ。加藤一雄は同じ大阪生まれの華岳が子どもの頃に道頓堀にあった芝居の舞台を頻繁に見ていて、その影響が作品に濃厚に表れていることを指摘する。そこは同じ大阪生まれでも戦後、しかも芝居に無縁であった筆者にはわかりにくいことで、そのことが華岳理解への限界になっている気もするが、華岳が求めていた境地については少しずつ肉薄しているつもりはある。ついでに書いておくと、母が死んだ日の投稿に使った写真は華岳が描く文殊菩薩の墨画だ。その面相は華岳が描く他の仏画と共通し、重文になっている有名な「裸婦図」にも通じ、筆者は女優の長澤まさみの顔が最も近いと思っているが、筆者は彼女のファンではない。それはともかく、華岳の絵は仏画と同じほどに舞妓の図も面白く、その目を閉じた舞妓の顔に胸騒ぎを覚えない男はいないだろう。20億円で4000人の若い女を抱いたと豪語した和歌山の資産家は女の底なしの魅力にがんじがらめにされた人生を送ったが、華岳が描く女性から筆者は女性が持つべき、あるいは天性によって女であれば誰もが持っている恥じらいや男に心を委ねる素直な愛らしさを感じ取り、それだけで満腹になる。加藤一雄はそういうきわどいところに踏み込んで華岳論を書かなかったが、筆者が華岳に関して悶々として思うことにひとつは女性抜きではあり得ない。そこに芝居が絡み、一方で山や花が深く関係する華岳の絵で、華岳について思いを巡らすことは人生を考えることに等しい。ま、こんな話を面白がる人はこの文章を読む人にひとりいればいいほどだが、たまたま祇園で華岳の絵を見かけたので長々と書いた。
●今年の東山の桜_d0053294_13452544.jpg 今日の4枚目の写真は円山公園からの帰り、今度は四条通りの南側の歩道を歩み、四条大橋から南側を見て撮った。桜以外に新芽の出た木々の色合いが楽しい。向こうに見えるのは団栗橋だ。この賑やかな色合いに目を留めたのは最初の写真と同じ思いによるかと言えば、少し違う。八坂神社から100メートルほどか、四条通り南側の歩道に昭和時代のままのお土産屋が一軒ある。安い商品が中心で、商売が成り立っているのかと心配になるが、当日も昔と同じく開いていたのが嬉しかった。その店の歩道際の低い棚に、その店独自の450円ほどの八つ橋と五色豆を透明な袋に詰め合わせたサービス商品がある。封入される三番叟を踊る御所人形を描いた小さな絵の紙片も昔のままで、そのあまり上手でない絵がこの格安の商品に精いっぱい似合っているのがいじらしい。この原色印刷された紙が入っていなければ、ただの田舎の普通の安物菓子だ。筆者は昔からその詰め合わせを買っていて、当日もそうした。硬い八つ橋や五色豆は今の若者には人気がないだろう。どちらにもニッキが入っていて、その味が筆者は好きなのだ。それに五色豆は色合いが美しい。店によっては白以外の色はわずかに差があるが、いかにも祇園に似合うかわいさだ。それを一袋買った後に見かけた鴨川沿いの桜と新芽の木々で、京都情緒満喫だ。最後の写真は阪急の駅に向かう際、高瀬川で撮った。写真の右端つまり下流のずっと奥に鷺が佇んでいることに目を留めた。鷺は満開の桜に呆然としているように見える。詐欺師は仲間のサクラと一緒に客を騙すのが相場だが、この写真の鷺に多くの桜の取り合わせは嵐山にはない光景でもあり、当日の締めくくりにふさわしい。写真の左に赤い車が少し見えるが、毎年島原の花魁が夕方にこの道をゆっくりと歩むのに、去年も今年もコロナのために中止になったはずで、桜のみの三密となった。とはいえ先月27日は人出が多く、コロナ感染に寄与したかもしれない。「風風の湯」の常連の85Mさんはよく四条河原町の百貨店に買い物に行くそうで、多くの店舗が閉まったままとも聞いたが、当日見た限りはつぶれた店は別の経営者が新たな店を開いて、全体としてさびれ感はなかった。寺町通りに行く前に花遊小路を通ると、昔あった写真館がなくなっていた。そこで息子が成人したスーツ姿の写真を撮った時、愛想のいい店主はサービスで筆者と家内を含めた3人家族で1枚撮影してくれた。小さなそのL版の写真を、息子が小学生の時に作った時計つきの額に収めて今も飾っている。その頃から17,8年経ち、花遊小路の店もかなり入れ替わったが、通りの雰囲気はそのままだ。そのことが夢のようであり、現実でもあって、また1か月前の東山の桜を思い出しながらさらにその思いを強くしている。書き忘れたが、当日は平安神宮の神苑に行くつもりであったのに、家内は拒んだ。
●今年の東山の桜_d0053294_13455657.jpg

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by uuuzen | 2021-04-29 23:59 | ●新・嵐山だより
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