「
階段を 昇って気づく 眺めあり」、「会談は 無駄から益を 拾うため」、「疲労溜め ためになること 無関心」、「面白さ 思う心の 面白さ」、「熱しても 冷める速さの 老境や」

今朝ネットで面白い記事を読んだ。竹倉史人著の新刊本の概略で、縄文時代の土偶研究に関する結論が書いてある。早速本を購入して読みたいと思いながら、今は時間がないので簡単な感想を書いておく。氏の結論は、さまざまな形の土偶はそれぞれ固有の植物を象っているとするもので、土偶各種がどういう植物であるかの対照が明示されている。それを列挙すると、ハート形土偶はオニグルミ、中空土偶はシバグリ、椎塚土偶(山形土偶)はハマグリ、みみずく土偶はイタボガキ、星形土偶はオオツタノハ、縄文のビーナスはトチノミ、結髪土偶はイネ、刺突文土偶はヒエ、遮光器土偶はサトイモだ。ネットでそれぞれの土偶の画像を検索すると、竹倉氏の指摘に納得出来るだろう。筆者は早速椎塚土偶の画像を検索したが、その頭部は確かに2枚貝そのものだ。少し変形すれば「ウルトラマンのカネゴン」だ。岡本太郎の「太陽の塔」も、岡本の縄文賛歌から生まれた、土偶の巨大化作品であることに納得が行く。筆者は竹倉氏の論で最初に思ったのは、日本の造形における表徴性だ。芸術面からの関心は土偶を扱う考古学にはあまり関係がなさそうだが、さまざまな形の土偶の存在についての研究は、芸術分野に視野を広げるべき問題だ。これはあらゆる文化は関連があると認識すべきことでもある。よく言われるように、日本の各分野の研究は「タコ壺」的で、狭い範囲のことに首を突っ込んでそれ以外のことに無関心だ。数学者は美術に無関心でも恥じず、絵を描く人は音楽を聴かず、音楽好きはたとえばロックは聴いてもクラシック音楽は退屈だと、それこそ退屈な人物になっているし、クラシック音楽好きでもオペラや現代音楽は好まない人がいる。誰しも好きなことをして生きればよく、それら「タコ壺」に入って安心している人は謗られることはなく、また「タコ壺」人間は、広大な海を泳ぎ回っている人を、どのことにおいても専門的ではないとして軽んじるだろうし、スポーツに関心のない筆者はその意味で「タコ壺」人間だ。話を戻して、竹倉氏の今回の著作は130年間不明であったことを具体的に説明している。学者がそれに反論を示すには、より説得性のある何かを見つける必要があるが、130年もの間、考古学者がよってたかって縄文土偶の形の謎めきについて面白い説が唱えられなかったとすれば、竹倉氏の意見は、些細な例を持ち出して否定される可能性が大きい気がする。ひとりの人物によって130年の歴史が一気に塗り替えられることを好まない研究者のほうが圧倒的に多いことは充分に想像出来るからだ。それで筆者はアマゾンにいずれ出る読者の批評に先駆けて書く気になったが、本の宣伝になればと思う。

さて、ネット記事を読み始めてすぐに筆者はこのブログを始めた10数年前に紙粘土で作った
「オニビシ精人」を思い出した。今日はそれを改めて撮影して写真を載せるが、現在も白い紙粘土のままで着色していない。それで3枚目の写真はネガ反転して全体に土偶らしき色をつけた。このブログのカテゴリーのひとつ『おにおにっ記 フィナーレ』は、4,50回分の投稿を残したままにしている。それにはいくつか理由があるが、ややこしくなるので今は書かない。ともかく、このブログは当初「菱の実」に関して『おにおにっ記』がひとつの大きな位置を占めていた。菱の実は今はかなり入手困難になったが、戦争中は救荒植物として各地の水辺で栽培された。筆者は何度か通販でオニビシを購入し、茹でて味わい、そのことは『おにおにっ記』に簡単に触れた。そして購入した菱の実を自宅で水栽培したが、発芽、開花したものの、結実しなかったことも書いた。一方で菱の精を擬人化して「オニビシ精人」を作った。それは頭部をオニビシそっくりの尖りのある形とし、もちろん擬人化であるので目鼻も表現した。その頭部をこれまたオニビシの形から導いた胴体に差し込む形で接続し、頭部は回転する。その点は縄文土偶とは違うが、作りながら筆者の念頭にあったのは土偶であり、「太陽の塔」であった。「太陽の塔」にそっくりな素焼きの人形が古代の西洋にあって、そのことを岡本が指摘されると、岡本に似た者が昔いたと言った。これは強烈な自我の主張でありながら、自分の作が古代に直結していることを認めていて、縄文土偶が「太陽の塔」に影響を及ぼしているとみなしてもよい。「太陽の塔」は太陽の顔が3つあるが、最上部の金色に輝くものはハート型土偶の顔によく似ている。また太陽に目鼻をつけることは不思議でも何でもなく、筆者の切り絵でもそうしているし、花王石鹸の月の横顔もそうなっている。各種の縄文土偶がそれぞれ個別の植物ないし貝を象ったものとして、生物は太陽がなくてはならず、「太陽の塔」は土偶を総合巨大化したものと言ってよい。
「オニビシ精人」は頭部と胴体それぞれにオニビシの特徴的な形を尊重して作ったもので、頭部は頭巾を被った老人、胴体は乳房が菱の突起を象って女性的な特徴のあるオニビシの擬人化だが、土偶は竹倉氏の指摘によれば、頭部のみが固有の植物をおおむねなぞっている。また胴体表面の文様も植物の特徴を表わしているとのことで、子細に検討すれば、日本の意匠化の歴史の原点として土偶は日本を代表する芸術として認めるべき存在になり、筆者はそのことにも大いに関心がある。またそれは考古学者ではなく、美術家の仕事だ。筆者はそのはしくれとして今日の投稿を書いている。それに全くの遊びで10数年前に作った「オニビシ精人」が竹倉氏の主張を補足するとの考えがあってのことだ。

もう一段落書く。先日ヤノベケンジの「渡月藻庵」について4回に分けて投稿した。その「藻庵」は旧作「黒い太陽」の使い回しで、内部を茶室に見立てたところからの命名だ。「藻庵」のような形をした果実は珍しくない。藻類やコロナウィルスにも似ている。縄文人が「藻庵」のような棘がたくさんある果実を重宝し、採取、栽培したのであれば、土偶に表現したであろう。そういう土偶はなさそうだが、それよりも筆者が「藻庵」をさして面白くないと言ったのは、土偶が有益な果実を土偶の頭部の形体として抽象化して用いながら、胴体に手足をつけ、その形を頭部と釣り合いの取れる造形としたことに対し、「藻庵」はそのまま果実を拡大したものであることだ。そこには表徴性はないか、あっても著しく乏しい。簡単に言えば何のひねりもない、奥行きに乏しい即物的な作品で、そのことは「サン・チャイルド」にも言える。土偶と「サン・チャイルド」を比べると、後者はアニメ時代ならではのうすっぺらさのようなものを感じる。もっと言えば、土偶にはある「祈り」が感じられない。あるいは現代はもうそんな「べとつき」は必要ないとされているのだろう。ただし、筆者は逆にアニメや一部の人気のあるポップ曲に、どうにも我慢のならない「べとつき」を感じて目をそむけたくなる。話を「オニビシ精人」に戻すと、これは掌に載る小さな作品だが、作りながら筆者は万博のパヴィリオン程度に拡大すれば面白いと思った。微妙な曲面が多いが、東京オリンピックのために国立競技場を設計したザハ・ハディッドの具体化した建築からすれば施工は不可能ではない。ま、そういう大それたことは冗談として、せめて着ぐるみ程度の大きさの彫刻にはいいのではないかと今も思っている。筆者が超有名であればそういう話も舞い込むが、それも無理な話なので、せめては自分のブログで写真を紹介しようと思って昔に投稿した。竹倉氏の「土偶が植物を象っている」との意見は、「土偶の頭部」と限定しておくのがいいが、それぞれの土偶の胴体は、頭部の造形と有機的につながっていて、そこに芸術性がある。つまり、ある形の胴体を別の形のそれと交換は出来ない。その意味で竹倉氏の意見は正しいが、土偶の胴体を見て、「どこが果実の形なのか」とアホなことを主張する人が必ず出て来る。それはさておき、土偶を起点として日本美術の特質を「飾り」の観点から説く辻惟雄の延長上に、日本の現代美術を置き、さらにはアニメも含めて論じることはすぐにでも行なわれるだろう。筆者は「オニビシ精人」を改めて見ながら、一方では今日の写真の背後に写る伏見人形を含めて自分なりに考えている。蛇足ながら、「オニビシ精人」はこのブログのキャラクター「マニマン(宝珠男)」を作った後の残りの紙粘土で作った。また「マニマン」は「黒」の篆書体の立体化で、書の作品だ。
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