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●『光冠(コロナ)茶会』におけるヤノベケンジの「渡月藻庵」その3
草(いぐさ)編み 茣蓙(ござ)早々と 畳成り」、「草々で 締めくくる文 懐かしき」、「夏の色 熱帯国に 満ち溢れ 吾夕陽見て ただ息を飲む」、「紅茶飲み 会話コロコロ 弾む頃」



●『光冠(コロナ)茶会』におけるヤノベケンジの「渡月藻庵」その3_d0053294_02032708.jpg今日の写真は先月18日、展示初日に撮った。先ほど写真を加工しながら「その4」まで投稿することに決めた。とはいえ書くべきことがあるのか、今のところ見当がつかない。このブログは毎回結末を決めて書き始めるのではなく、もやもやとした雲のような中にわずかな光を見つけると、云々と書き始め、最後は何となくうまくまとまりがつく。結末は書き始めに予定しなかった場合がほとんどで、締めくくりに満足出来る場合は気分がよい。友禅の仕事は最初に描く小下絵の段階で筆者には完成作が明確に見えている。キモノや屏風ならば複雑な工程を経ながら最低3か月要するが、そのように最初に決めたとおりに作ることは、この文章のように出たとこ勝負とは大いに違い、ある意味では退屈だ。さほど考えることなく、手のみを真剣に動かせばいいからだ。毎日こうして書くのは、決めた字数に収めることを前提に言いたいことを言う行為で、手よりも頭を使っている。適当なことを書きつつも自分の頭の動きが実感出来ることは、簡単に言えばスリルが味わえる。そのスリルは友禅の仕事では、書き替えられる文章とは大いに違って失敗は許されず、しかも下絵から完成作までそれが続くため、真剣さは友禅が勝るが、ブログの投稿も一回限りの真剣さをそれなりに感じていて、そういう状態に自分を置くことは楽しい。スポーツをする人はそういう場面に自分を晒すが、筆者は競争相手のないスポーツを文章でしているのだろう。それは自己満足だが、友禅の仕事では注文者に最大限に似合うキモノを念頭に採寸から始めて作るので、ブログが自己満足であってもかまわない。今日は写真を4枚使うので、3段落すなわち原稿用紙9枚は最低書かねばならず、それで以上のような「埋め草」を書いたが、今日は冒頭の一字として「藺」を使う番で、そのことが「埋め草」的文章を書く思いに意識の深いところでつながったのだろう。ついで書くと、筆者の睡眠中の夢は夢判断に頼らずとも、9割は思い当たることがある。その思い当たることが夢では奇妙に歪んで現われることはごく自然だ。そこでこうして書いていることは、書かれている以上のことは何もないようだが、実際は書く気になった理由、また書くことで暗示していること、今後書くかもしれないことなど、表向きには他者には読み取りにくい多くのことを散りばめている。何が言いたいのかと言えば、この文章は夢と同じで、隠されている真意がある。そして自分でも気づいていないことも当然ある。もっとも、筆者が何をどう思い、またそれをあからさまに書かないことに関心を持つ人はおらず、ほとんどの読み手は表面的に理解出来る事柄しか読まない。
●『光冠(コロナ)茶会』におけるヤノベケンジの「渡月藻庵」その3_d0053294_02034916.jpg
 だがそう言ってしまうのもおかしな話だ。表面的に理解出来ることの中に、作者のあえて言わない思いが紛れ込んでいるだろう。言葉はそういうことが出来る。もちろん音楽や絵でもそうだが、象徴的な表現を目指すと却って底が見え透くことが多い気がする。筆者が言いたいのは、あえて象徴しようとするのではなく、普通の言葉で普通に書きながら、考えていることがさして意識せずに滲み出ることだ。そういう境地には、まず「慣れ」の段階に達し、そこをある程度超えた余裕を持たねばならない。「慣れ」は否定的に言えば「マンネリ」だが、筆者が思う「慣れ」は職人的熟達で、最低でも10年要する技術だ。それを前提にした「遊び」と言ってよく、筆者はそういう境地を目指している。ヤノベの作品に無関係なことを書いているようだが、案外そうでもない。昨日載せた写真に「渡月藻庵」を説明したパネルがある。その文章がヤノベによるものかどうか、この投稿のためにようやく先ほどざっと読んだ。彼の巨大な鉄の立体作品は自由に味わえばよく、大多数の人はそのようにして見るゆえ、作品の説明文は作者の思いを説明しはするが、こじつけと捉えられても仕方がないところがある。「渡月藻庵」は最初「ULTRA―黒い太陽」と命名された。放射状の突起は旭日旗の立体化と言ってよく、また鉄はすぐに錆びて黒っぽくなるので、「黒い太陽」の命名は理解出来る。なぜ「ULTRA」なのかはわからないが、巨大な子どもを象った作品「サン・チャイルド」の確か右手の掌に同じ形の銀色の太陽が載せられていて、その太陽を別作品として巨大化させ、色合いから「黒い太陽」と名づけたのだろう。この作品はどこから見てもシンメトリかと言えば、そうではなさそうで、突起は割合ラフな間隔で取りつけられている。そこに工場製品ではない手技の味わいがいささか感じられるが、2枚目の写真から想像するに、おそらく部分を組み立てる構造で、突起以外の半円球の胴体も分解出来るだろう。そうなれば保管するには一般家庭のヨドコウの物置程度があればよいか。そのいわば畳める構造はいかにも日本的で、今日の冒頭の一字「藺」とうまく呼応することに書きながら気づく。イグサは畳の材料となり、またその針のような細い葉が集まって育つ様子はヤノベのこの作品とそっくりで、「黒い太陽」から「渡月藻庵」という新たにつけられた作品名に「藻」の文字があることともつながる。そこで、なぜ「藻」なのか。説明パネルによれば、去年開会した京都市京セラ美術館で「黒い太陽」は「SEED OF LIFE 生命の実」と題して展示されたそうだ。その展示を見ていないが、基本となる作品である「黒い太陽」はそのままで、それに別の何かを附属させた展示であったのだろう。この作品の「使い回し」は、言葉でどうにでも作品の質を変容出来る便利さを示す一方、作者の「いい加減さ」とも受け取られかねない。
●『光冠(コロナ)茶会』におけるヤノベケンジの「渡月藻庵」その3_d0053294_02040870.jpg 今回の展示は「生命の実」に別の何かを付加したはずだが、それはたぶん地面に円形の土俵を組み、その中に水を注ぎ込んだことだ。展示後にその水はすぐそばの桂川に処分出来る。また水面があれば、今日の3枚目の下の写真のように、そこに空が映え、半円球は球体に見えやすい。夜は月が映り込むかもしれないが、夜間は警備員が張りつき、作品に接近する者は不審者に思われたであろう。またその心配がないほどにコロナ感染者増加、桜は2,3分咲きで、観光客はとても少なかった。話を戻す。「藻庵」の「藻」は土俵状に囲った水面に生息していることと、「生命の実」としての展示時、ヤノベが「藻バイルハウス計画」を唱えたからだ。これは「感染症蔓延時代にいかに生き延び得るかを想定したもので、「黒い太陽」は最低限自給自足できる移動可能な家として「再構成」された」とのことだ。その再構成はたぶん今回の「藻庵」のように、横腹の突起を1本だけ取りつけず、胴体内部に出入り可能な穴を開けたままにしたことだ。これが移動可能な家と主張するのはかなり苦しく、折り畳みや移動の点からはキャンプで使うテントのほうがはるかに使いやすい。なので、説明に「黒い太陽」が「災害やエネルギー問題、食糧問題等を扱いながら深化をとげてきた」とあっても、結局は思いつきでどのようにでも説明がつく、つまりほとんど無意味な作品を言葉で見方を誘導し、また「深化」は自己満足、自賛ぶりが過ぎる言葉で、その点は感心しない。もっと言えば、「こんな役に立たないものを中ノ島公園に展示するとはけしからん」と言う無理解な人に対する上から目線ないし日本では公共の場に設置するには理屈が必要で、つまり無意味ではないことを言わねばならない立場にある、あるいはそう考える、悲しき芸術家の立場が見え透き、それゆえ安っぽく感じられる。無益なものを中ノ島公園に一時設置することは面白い。そこに月や太陽という宇宙、あるいは微視的な藻や種子を持ち出さなくてもいい。筆者はそのようにこの作品を見た。「サン・チャイルド」が輝く未来を見つめているという、優等生的な意図を反映したものであると作者が言わねばならないことにあまりいい気はしない。あまりに単純で嘘っぽいからだ。現実は常に難題山積ではないか。2018年に「サン・チャイルド」が福島で展示された時、その巨大さに怯えた子がいたと言う。その思いはわかる。掌サイズの人形を量産し、それを福島の子どもたちに配ったほうが彼らを楽しませたと思う。本来かわいくて小さな人形が、6メートル超える背丈にする必要があるのか。同じ巨大な鉄の作品は神戸長田の「鉄人28号」がある。「サン・チャイルド」は横山光輝のそのキャラクター以上に人気を得ることはないだろう。日本の現代芸術がアメリカのポップ・アートの洗礼を受け、日本のアニメ文化を取り込むことは必然か。筆者はそう思わない。
●『光冠(コロナ)茶会』におけるヤノベケンジの「渡月藻庵」その3_d0053294_02043759.jpg

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by uuuzen | 2021-04-16 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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