「
涙落ち 塩味増した 菓子食べる 吾子の顔見つ 吾後悔す」、「叱られて そっと見上げる 母の背が かすかに震え 吾さらに泣く」、「小遣いを 手に走る兄 追う妹子 その笑み愛し 吾忘れ得ぬ」
今日はスーパーで久しぶりにスナック菓子の「おっとっと」を見かけた。約2か月ぶりに100箱ほど入荷したのだが、2種類ある箱は以前に買った。中身は違う可能性があるとはいえ、もう興味がない。ところが2月17日に撮った写真が1枚あって今日はそれを使う。
前回の投稿は同月16日だ。その数日後に投稿するつもりが遅くなった。ところで、「風風の湯」の常連のFさんからグリコのアーモンド・キャラメルが好きだと聞いた。筆者も小学生の頃は母から毎日もらう10円玉を握って近所の菓子屋に行ってそのキャラメルを買ったものだ。半世紀以上食べていないが、今もあるのだろうか。「おっとっと」もかなり古いと思うが、菓子の形を変化に富ませる遊びの要素を加味し、また味も別のものを作るなど、時代の好みに応じる意気込みがある。魚から始まって植物や恐竜など、図鑑と照らして遊べることとは別に、菓子ひとつずつの簡略化した形はいかに壊れにくいかを前提にした意匠で、それがいかにも日本的で注目に値する。「おっとっと」は「おとと」で「魚」のことだが、そういう言葉遊びをこのスナック菓子に何らかの形で反映させれば新たなシリーズの展開が出来ると思うが、見て面白いものは世界共通でも言葉は国によって違うので、菓子に豊富な言葉を持ち込んだ教育的遊びを企画することは難しいか。それはともかく、筆者はもう「おっとっと」を買うつもりはないので、まだ見ていないレア型について報告は出来なくなるが、今日の写真で左下に赤で囲んだものは、形が明らかにされていない謎のレア型なのかどうかは不明ながら、たぶん製造過程で生じた「崩れ型」のはずで、何を象っているかわからない。もっとも、恐竜の型にしても省略し過ぎでわかりにくいものがある。写真にある楕円型のものは恐竜の卵で、実際は半分に割れていて、表側を向けて撮った。卵型はあまりに複雑な恐竜の型に混じっているので目立っているだけであって、こればかりでは鶏の卵かもしれず、誰も見向きもしないだろう。ともかく、複雑な型に混じるこの単純な楕円は道化の役割で、窮屈な世界に単純で素直な存在が必要であることを子どもに認識させる効果がある。もちろんそれとは別に恐竜が魚と同じく卵から生まれることを知り、また恐竜から鳥が進化したこともわかり、その卵的存在、つまり箱を割らなければ何が出て来るかわからない菓子「おっとっと」の特性にもつながって、子どもの意識深くに影響を及ぼすのではないか。おおげさに言えば哲学が導かれる。箱を開けて何が出て来るか。人生とは、毎日とは、その連続で、たいていは期待から外れるが、パンドラの箱では最後に小さな希望が出て来る。そしてそれが卵であれば……。
スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示する