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●渡月橋上流左岸河道整備、その27
水と 洪水なきは 不自然ぞ」、「洪水が 来す恵みの ナイル川」、「滅入る夜 音楽聴きて 寝入るよし」、「暑さよし 寒さもよしの 輝く日」、「よしあしと 呼ばれる芦は あっしぞよ」、「遠き日々 思えば自動 再生す」



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桜の蕾がまだ固い頃の2月23日に撮った写真を今日は使う。今は工事はとっくに終わってクレーン車は姿を消し、桂川には相変らず鷺が魚を求めて終日孤立、数種の鴨は群れて泳ぎ回っている。緊急事態宣言解除のため、また桜が満開になったので、当然のごとく嵐山に来る人は急増し、コロナ感染者も増えている。「風風の湯」は3月末で午後8時までの営業から以前のように10時までとなったので、嵯峨のFさんも筆者も7時頃に行くようになった。若い観光客の利用がだいたい7時半頃を境に激減するからだ。コロナの変異株は感染率が高く、無自覚でそれを持っている若者が少なくないとなれば、なるべく彼らと出会わないようにする。コロナ禍はサバイバル・ゲームだ。ウィルスがすっかりなくなる直前に感染すればそれまで注意し続けたことが無意味となる。映画『恐怖の報酬』と同じで、気を緩めた時に不幸がやって来る。とはいえ、放射能と同じで目に見えないウィルスがどこにどう潜んでいるかわからない。今週の初め、久しぶりにほぼ満員の市バスや阪急電車に乗った。そこで感染したならば来週症状が出るはずで、この遅れてやって来る発覚がまたコロナの厄介なところだ。ともかく、「生き抜きたい」のであれば不要不急の外出を自粛するという思いで、筆者は相変わらずスーパーと風呂に行く以外は家から出ない。それでブログの投稿はもっぱらスーパーへの途中で撮った写真を使っているが、これは今に始まったことではなく、筆者はコロナの影響をほとんど受けていない。ところで、先日甥からYouTubeに投稿するのはどうかと言われた。文字と写真では物足りず、映像ならばよりわかりやすくなると考えているネタは2,3あるが、YouTubeで人気のあるお笑いや犬猫のペット分野とは全く違って、きわめて専門的な内容だ。たぶん誰もやっていない内容で、またやれない内容との自信はある。少しだけ洩らしておくと美術関係のことだ。視聴回数は望めないしまた望んでもおらず、長年取りかかっている仕事が一段落し、そして心の準備が整えば始める。このブログも最初は非公開で毎日書き、投稿の感覚が充分手慣れ、区切りのいい頃、つまり7か月間経って公開し始めた。ともかく、何かが変わる、あるいは変えるべき時期が来ている気分で、それは今年古希になるという思いのせいでもある。本題と関係のないことをさんざん書いて最初の段落が終わろうとしている。工事中の写真は見ればわかることで説明することはあまりないが、今日の写真は撮った時に思ったことがある。
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 最初の写真はクレーンが何本か立っている様子が好きゆえの撮影で、2枚目は測量中の様子が珍しいからだ。3枚目は2枚目とは厳密にはつながらないが、写真右上に測量で測るべき高さの目盛りを刻んだスタッフ(指標の竿)を持つ男性のしゃがんだ後ろ姿が写っているので呼応している。また仮設トイレに着目した。ちょうど用を足してそこから出て来ているかのように見えている男性の後ろ姿が写り込んでいるのが面白い。筆者が最も注目したのは仮設トイレの屋根が緑色で、また背面に一本の緑の木を描いていることだ。これは無粋な工事現場に少しでも自然らしさをもたらそうとの考えによるが、一方では緑の木立に向かって立ち小便する、あるいは緑の中に隠れてしゃがみ込んで用を足すことを暗示し、その眺めを思い浮かべると面白い。ところが現実は仮設トイレが設置され、その中で用を足す人は周りから見られているかもしれないという心配はなく、またその代わりに広々とした解放感はなく、仮設トイレは家や駅、公共施設のトイレと違って独特の経験をもたらす。もっとも、それが東北の大震災で作られた時、大勢の人の利用によってたちまち役目を果たせなくなったということもあって、便利ではあるが、度が過ぎる使い道にはあまりにか弱いものだ。それが仮設の本性であって、そのはかない存在に自然さを演出するために一本の木を描くことは、造花と同じく、表徴に思いを託する豊かな精神の表われで、きわめて日本的なものだ。工事中という状況は昆虫で言えば変態に相当し、完成の美からは遠い雑然としたものだ。そこに少しでも潤いをもたらすためにたとえば仮設トイレの壁面に緑の木を描く行為は無駄であろうか。真っ白であってもかまわず、女性のヌードでもよいだろうが、緑の木であれば無難と言うより、嵐山にふさわしい。またこの現場では最も渡月橋に近い場所に停められたトイレ車であるので、嫌でも観光客の目に留まるし、筆者もこうして言及する。一本の木の絵は些細なことだが、その些細さが何事においても重要だ。美意識は些細な細工、工夫に着目することで、さりげなさに本質が見える。ブログとは違って視覚性が最大の道具となるYouTubeでは何をどう見せるかで投稿者の些細な部分が露わになる。それは本質がより図らずも表出することであって、隠したい何かを持っている人や恥ずかしがり屋向きではない。とはいえ、本人の意図とは違うことが読み取られるとしても、それも含めて人間らしさで、そこに悲しみに似たものを思う。その伝で言えば、このブログも筆者の想定外のことが大いに読み取られているはずで、YouTubeに向かうための意識の敷居は低いと言えるが、自分の動く顔や姿をネットに晒すことには抵抗があり、その点をどうしたものかと真っ先に思っている。「人生は 工事中の 連続や」、「人生は 麹の中の 発酵や」
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by uuuzen | 2021-04-03 23:59 | ●駅前の変化
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