提示されているものが順に自動演奏されるという、いわば芋蔓式の視聴がYouTubeの特質だ。音楽好きで暇な人にはとても便利で、好みの未知の情報も得られる。

筆者が10代の頃はラジオのヒット・パレード番組が最新の洋楽を知る大きな手段であった。その頃やそれ以前のヒット曲でも映像つきでYouTubeでは見られ、半世紀も経って納得、感心することがしばしばある。あるミュージシャンのデビュー頃から最晩年までの映像が比較出来て、パソコンの中に無数の表現者の生涯が詰まっていることを実感する。スマホやパソコンに無関心な人は今後も一定数存在し続けるだろうが、彼らの中から表現者として偉業を成す場合、他者がネットに何らかの形でそのことについて言及するはずで、ネットに載らない優れた表現は今後は限りなく存在しなくなると見ていい。ところがその考えはきわめて危険でもある。パソコンが所有する文章や写真、映像、音の情報は人間と同一ではなく、嗅覚や触覚を含めた本質の一部しかネットは伝えることは出来ないからだ。油絵ではマチエールという言葉が重要だが、パソコンの平らな画面ではそれは今後も伝えることは不可能だ。画面では絵面しか伝えられず、それは人の写真を見て元の人間を知る気になるのと同じことだ。それは写真がつまらないという意味ではない。写真から元の人間を想像する楽しみはあるし、また元の人間に対峙出来たとして、心を通い合わせられるとは限らない。憧れていた人に会え、そして相手が愛想悪かったとして、それが相手の本質とは限らず、たまたま機嫌が悪かった、あるいはこちらが失礼な態度をしたので心の壁を作られたことは大いにあり得る。それゆえ憧れている遠い人に対しては写真や映像で想像する程度に留めておくのがよい。そのことに大いに役割を果たすのがYouTubeだが、その役割は100年前に映画が培ったことで、筆者にとって目新しいのは筆者が好みそうな音楽を候補に挙げてくれる点だ。これは大型コンピュータに筆者がネット上でアクセスした情報が管理されているためで、あまりいい気はしない場合があるが、好みそうな未知の音楽を日頃求めている人にはありがたい機能だ。ネットがなければおそらく一生巡り会えない音楽が次々にもたらされ、そのことによって日々の景色が違って見える。もっとおおげさに言えば、人生をより深く見つめることが出来る。これは新たな気持ちで生き直すことと言ってよく、筆者はこの2か月ほど、特にその思いを強くし、未知の曲、未知のミュージシャンに心を奪われている。先月はそうした例として「RIPTIDE」を取り上げた。今日は同曲から芋蔓式にその後聴くことになった曲を取り上げる。「RIPTIDE」のカヴァー演奏をあれこれ視聴している間に知ったヴァージョンで、それにはさほど感動しなかったが、「I WILL SURVIVE」のカヴァー演奏には驚嘆した。

この原曲は1978年にアメリカの女性黒人歌手グロリア・ゲイナーが歌って大ヒットさせた。時代を反映したディスコ調の曲で、また圧倒的な歌唱力で日本の歌手にはカヴァーするにふさわしい才能がないように思うが、79年に布施明が「恋のサバイバル」と題して日本の歌詞で歌った。グロリアのシングル盤も同じ題名で発売されたと思うが、筆者はその盤を見ていない。布施の歌詞は原曲とはいささか違い、彼の軽い歌い方にふさわしい文学臭がある。原曲はもっと直截的で激しい。それは題名の「survive」という言葉にも表われている。これは「どうにか生き残る」という意味で、題名を直訳すれば「生き抜きたい」となる。布施の歌は「息抜き」のようにソフトで、元の詩にある必死な思いがない。ともかく、原曲の歌詞には苛酷な暮らしがある。それは一緒に暮らしていた男がもたらしたものだ。この曲は男からひどい扱いをされていたことからようやく目覚め、戻って来た男を追い出し、自分はひとりで新たな愛を求めて生き抜いて行くという決心を歌い、筆者はアイク&ティナ・ターナーを思い出す。ティナはアイクからひどい扱いを受けたが、ティナはなかなかアイクの呪縛から逃れられなかった。よくある男女の話、あるいは男女間に横たわる永遠のテーマでもある。ザッパは1973年に、「ティナはアイクからあんなひどい扱いをされているのになぜ別れないのだろう」と語ったが、その後ティナはアイクと別れた。さらにその後どうなったのか知らないが、ひとり立ちして有名になったティナに許しを乞うてアイクが訪れれば、優しいティナは赦したかもしれない。とすればティナにこの曲は似合わないが、グロリアに代わって歌っていたならばやはり大ヒットしたであろう。それはさておき、身勝手な男を見限る話は近年の日本では増えているのではないか。熟年離婚もそのひとつの形で、「生き抜いて 息を抜きたい 意気の域」を思う女性の気持ちを理解出来る男がもてそうだ。とはいえ女性が男と対等に働くことは粋のようでも息を抜けず、専業主婦でいられるのに越したことはないと思う女性が、女性から謗られるとすればおかしなことだ。本曲はそこまでは歌っていないが、女の気持ちを歌うこうした曲を男の布施明が歌うところに、日本の男女平等の意識の遅れが陰に見え透くと思う立場はあり、筆者は布施の歌う歌詞は感心しない。だが、男女平等であれば本曲の歌詞は男の気持ちでもあり得るし、実際浮気して家を出て行ったのにまた戻って来る女性はいる。愛が冷めるのは男女ともで、そうなった時、やがて新たな人生をつかむために発奮するのは動物として正しい。そういう本能を力強く高らかに歌う本曲が日本で再発見され、若い女性歌手が訳し直して歌うことを期待したいが、日本では当時よく似たメロディの曲が作られたが、どれも歌詞は本曲の世界とはかなり違い、日本向きの内容ではないようだ。

本曲はYouTubeではグロリア・ゲイナーのヴァージョンが最も多く視聴されているのは当然で、また彼女のさまざまな年代の歌を比較することが出来るが、彼女の親世代に相当するサルサの女王のセリア・クルスの貫禄充分な歌を聴くと、この曲の歌詞とメロディがいかに時代を超えた普遍性を持っているかを知る。そして今やセリアはおらず、グロリアが70歳を超えたとなれば、新世代の声で本曲を楽しみたいのは自然で、その要望を見事にかなえているのが、アイルランドの地方都市コークに2005年4月7日に生まれたアリー・シャーロック(ALLIE SHERLOCK)だ。筆者は2か月前に彼女の存在をYouTubeで知って以来、
毎日彼女の歌を大いに楽しんでいる。以前少し書いたが、
彼女のCDをPayPalで買うためにいろいろ苦労し、しかも日本から個人宛てのPayPalに送金するには4つの指定銀行に口座を持っていることが条件であることをようやく知り、彼女の父親に送金してCDを入手することを断念した。別の入手方法を数日前に知ったが、この投稿までには届かないので申し込んでいない。それには別の理由もある。彼女のオリジナル曲を紹介したいからだが、YouTubeでもカヴァー曲しか見当たらない。彼女は8歳でギターを学び始め、12歳でコークの最も繁華な場所で歌うようになり、やがてダブリンでもっぱら歌うに至る。ところがコロナ禍のため、ダブリンでは路上演奏が禁じられ、去年秋以降はたまにコークで歌っているが、ダブリンで知り合った路上ミュージシャンもこぞってコークで演奏するようになっているという。それは彼女の望むところで、ダブリンでの2年ほどの演奏で得たものは多い。12歳から15歳へと至る演奏の中で筆者がYouTubeで最も推すのは、彼女の歌唱力が堪能出来る「アイ・ウィル・サヴァイヴ」で、いくつかのヴァージョンが投稿されているが、筆者が最も好むのはブラジルからやって来た「三銃士」をもじった名前を持つ3人組バンド「The Three Busketeers」、これを「路上三楽師」と訳しておくが、彼らをしたがえた、去年11月に投稿された演奏だ。同じメンバーでの演奏を同じ頃にコークでも披露し、その様子もYouTubeに投稿されていて、筆者はこの4人によるヴァージョンがスタジオ録音され、CDとなることを大いに期待しているが、コロナ禍が鎮火しないことには大手のレコード会社からの引き合いや録音はないだろう。若い頃の2年は大きいので、コロナ禍がアリーに及ぼした影響は小さくない気がするが、ダブリンと違ってかなり閑散として人口の少ないコークではどうにか路上での演奏が出来ているようで、その健在ぶりがネットで確認出来るのは嬉しい。ちなみにアイルランドは人口500万人に満たないが、経済的に裕福で、現在の移民はブラジルからが最多だ。

筆者はグーグルのストリート・ヴューで外国をほとんど見たことがないが、アリーの演奏場所を特定したいために、初めてダブリンやコークの市街を調べた。その結果、アリーはコークではThomas Brownという百貨店前で演奏していることがわかった。この百貨店はダブリンにもあり、彼女がダブリンで歌う時もたいていはその百貨店前で、グラフトン・ストリートの中ほどにある。そこでは他のミュージシャンも演奏し、車は走らず、ブリンでは最も多くの店舗が密集し、大阪の心斎橋や道頓堀を思えばよい。より多くの人に演奏を聴いてもらうには、より繁華な場所を選ぶのは当然だが、コロナ禍であればそういう場所での演奏は禁止になることはやむを得ない。それでか、アリーはグラフトン通り北部の少し西に入った有名な夭折した魚介売りの女性モリー・マローンの銅像前でも歌っていた。ダブリンでもコークでもアリーらの演奏から数メートル離れたところに見物客は輪を描いて並んでいるので、アリーがウィルスを持っていたとしても客が感染することはないはずだが、人が集まること自体を避けようとするのは仕方がない。ダブリンではいつどのように禁止されたのか知らないが、アリーの歌う場所が去年秋にはグラフトン通りの最南端、道路をわたれば「セント・スティーヴンス・リーン」という公園がある場所、そしてどこか不明だが実際の公園に移動しているので、演奏が許可される場所が限られて行ったことがわかる。それはともかく、グーグルのストリート・ヴューでダブリンやコークの街を見て回ると、たとえばジェームス・ジョイスが感じた空気が想像出来て、今さらながらにネットの便利を思い知ったが、それとは別に街の変化の激しさを感じる。グラフトン通りのストリート・ヴューはアリーのYouTubeの映像に比べると、数年古く、ここ数年で店が大いに変わったことがわかる。それは東京や大阪でも同じだろう。そうした街並みの変化を横目にアリーは12歳から2、3年を演奏し続けているが、コークからダブリンは大阪名古屋間の距離があり、毎週通うことは難しいだろう。ネットにはアリーがイギリス在住とあるが、それが正しいかどうかわからず、正しいとしても高校生になってからだろう。ストリート・ヴューで知ったが、コークのブラウン・トーマス百貨店の少し南の川に面した道路の中央に、禁酒思想で有名な「マチュー神父」の大きな銅像があって、ウィスキーを生んだ国の飲酒問題の歴史的根深さを象徴的に示している。10代半ばのアリーが本曲の歌詞を深く理解して歌えるかとなれば疑問に思う人はいるだろうが、強い酒を必要とする風土にアリーの豊かな声量による絶叫型の歌唱は釣り合っていて、アリ―はアイルランドが生んだ天才だ。ハスキーで語尾をしゃくり上げる特徴的な歌い方には賛否あるだろうが、ポップ・ソングには決まった型はない。

12歳のあどけなさの残る彼女が、去年11月の演奏時の、豊かな胸を持ち、体の肉づきもよい様子に変化していることを見ると、もう女性として、また歌手として完成していることを感じるが、彼女が世界的な名声を確固たるものにするにはオリジナル曲が必要だ。彼女は毎週2曲書き、3曲をカヴァーするそうで、猛烈に勉強している最中だが、カヴァー曲は父親の助言が大きいだろう。彼女は母親がいないそうだが、その欠落感を父親が埋めるとしても限界があり、思春期に入って彼女がどういう恋愛、どういう経験をするかで今後歌の力が激変するだろう。これは深みを増すという期待だが、本曲の歌詞にあるように、ろくでもない男とはさっさとおさらばするという強い力に恵まれていれば、彼女の歌はさらに迫力を増す。そういう大人の歌手に成長したとして、やはりそこには彼女の代表作となるオリジナル曲が求められる。それをレコード会社はどう狙っているだろう。毎年新しい才能は生まれて来るが、アリーのような美貌と溌剌さを持った才能は珍しく、したがってそれ相応の作曲家が曲を提供することが望ましいが、一番の理想は彼女がそうした曲を書くことだ。その点がYouTubeを見る限りではカヴァー演奏ばかりでいささか不安がある。もっとも、路上で彼女はオリジナル曲も歌っているかもしれず、彼女をどうにか一流にしたいと思っているはずの父親もそのことを勧めているだろう。それはともかく、グラフトン通りで歌う彼女を見つめる人たちの様子が面白く、路上演奏のYouTube映像はひとつの表現ジャンルとして世界的に定着している。それはチケット販売を通じた会場での演奏とは全く別物の味わいがある。以前ジョルジュ・デュ・モーリアの小説『トリルビー』について書いたが、トリルビーは最初スヴェンガリらとともに路上で歌っていたのが、やがて大都市を代表する劇場に立つようになる。それは大道芸人から芸術家への昇格を意味するが、10代半ばのアリーが路上で歌う姿は、そのままで芸術であって見飽きず、コロナ禍が収まり、「路上三音楽師」をしたがえた4人バンドで来日公演する日を筆者は心待ちにしている。大手のレコード会社が世界的に売り出そうとせずとも、今はYouTubeの視聴回数で莫大な収入が得られる時代で、アリーはステージに立つことをさほど望んでいないかもしれないが、もっと有名になれば路上では危険で、一般人の手の届かないところに行くしかない。音楽の力は人々に元気を与えることにある。それを路上のアリーはこれ以上はない姿で体現している。トリルビーは成功したにもかかわらず、薄幸のまま夭逝するが、アリーには逞しく生き抜く力がありそうだ。そのことが本曲をカヴァーする様子から伝わる。アリーの歌う姿を見ていると、すぐでもアイルランドに行きたい思いが募るが、それほどに音楽は国を宣伝することに威力を発揮する。
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