「
桟橋が 左右に分かつ 凪の海」、「極上の 群青の海 倦まず見ゆ」、「浮雲の 変わる姿に 思い沿い」、「駄句はもう これ以上限りと 上の空」

昨日の午後、スーパーに行くために家を出ると、目の前の空に大型犬のラブラドルレトリバーそっくりの大きな雲が浮かんでいた。傾いた太陽が照らして色までそっくりで、特に顔の目鼻に相当する部分が黒く、なおさら本当の犬に見えた。その面白い眺めを家内に見せたくなり、早く出て来るように言っている間に、目鼻は怪獣のように歪み、全体の形も崩れがひどくなった。それはそれでまた別の何かに見えるのだろうが、筆者は興味を失った。そう言えば昨日「風風の湯」でFさんは、「人生は通過点の連続や」と言った。別れはさびしいが、さほどそう思えない場合もあるが、結局は出会って別れの連続で、人生は電車に乗って車窓を見続けるようなものだ。「通過点 果ては意識の おぼろ雲」という状態になる時までの間、誰しも好きなことをしようとする。さて、今日の写真は雑貨店「ちくちく」を背にして店の前の参道としての地道を見通した。2,3枚目の写真は参道西側で、2枚目は板塀の隙間からでは全体が写らなかったので、カメラを頭上にかざしながら、たぶん塀の向こう側全体が写るだろうと予想してシャッターを押した。スマホでは自撮り棒という便利なものがあるが、筆者のデジカメは撮った写真の確認が困難で、しかもたまに写っていない場合もある。2枚目の写真は一発勝負でうまく撮れたが、これは本当は盗撮に属する行為で、具合が悪い。そう思いながらも写真を使うのは、他にどのような彫刻があるかを紹介したいからだ。ついでながら、2枚目を撮りながら思ったことは、吉本豊の彫刻を知った
埼玉在住の女性のブログで、別の気になる写真を見つけ、それが筆者の記憶とは大いに違ったことだ。わざわざその写真を確認しに自転車で出かけ、しばらく疑問が解消されなかったが、やがて思い当たったことは、その女性が自撮り棒で撮ったのではないかということだ。当人に訊ねていないが、たぶん1年後くらいにはその機会を作りたい。話を戻して、「ちくちく」の参道は昨日までの東側に彫刻が壁沿いに並べられる。西側は建物があり、2枚目の写真のように塀の奥の庭や、3枚目のように家の外の片隅に作品が置かれる。顕著なことはドーナツ型に彫った石を輪投げのように直立の棒状の石に刺した形の作品がとても多いことだ。それらは初期作ではないだろうか。つまり、氏は抽象から具象に進んだのではないか。この輪投げを象ったような彫刻はインドの「リンガムヨニ」を連想させる一方、東北のこけしとの関連も思う。筆者はこけしに全く詳しくないが、10数年前に面白いと思って買ったものに、胴体から輪が外れないように削った白木の小さな玩具がある。

その名称がわからないが、こけし作家の中に同じ手法で一風変わったこけしを作った人がいて、こけしがフラフープ遊びをしているような形だ。また笛として作ったものもあるが、筆者が所有するものは鉄アレイ型の胴体に外れない輪がふたつある。いずれにせよ、それらは一本の木から輪と胴体を削ったもので、誰しもその技術の誇示に目が行くが、旋盤を使えばさほど難しくなく、また量産しなければ商売にならない。それと同じ形のものを石で彫るとなるとはるかに困難だが、吉本氏の作品は輪は外せる状態にある。それゆえ胴体と輪は互換性があって、いわば作品として形の変幻が利く。ただし、公共の場に置くと輪だけ持ち去られる可能性がある。先に「リンガムヨニ」と書いたが、吉本氏のこの特異な作品にその影響を見ることは許されるであろう。「リンガムヨニ」は日本の餅つきの石臼と杵でもあって、氏の作品に日本的な味わいは確かに認められる。一昨日の最初の写真、つまり「ちくちく」の前に置かれる2体の背の高い作品は、日本の土人形で猿が同様に積み重なったものを思わせ、先のこけしの特殊な技法とともに、氏の作品に郷土玩具らしい味わいを感じる人は多いだろう。ロダン以降の彫刻で石となれば、そして吉本氏の作品に近いとなれば、以前書いたブランクーシ以外ではザッキンやバルラハを一瞬感じるが、前者の写実やそのキュビスム的解釈、また後者の宗教性が濃厚な表現主義となると、西欧の美術史の流れから生まれて来たものであって、日本の彫刻家がそれに何らかの痕跡を残そうとしても、しょせん模倣に終わるしかないか、あるいは日本的な味わいが長所として出る、出すかしかない。その意味で吉本氏の作品は、筆者にはまだ郷土玩具の味わいを知っている人が創造したものと思える。それは否定的に見れば昭和の時代遅れだが、肯定的に見れば日本の個性を濃厚に内蔵したもので、「ちくちく」が大きな神社の参道を少し入ったところにあることは、理想的かつ理にかなっていることと思える。店やその脇の家が氏の所有であるとすれば、自宅が自作を展示する美術館の役割を持ち、その点でも筆者には理想に感じられるが、並べられる作品が買い手を待っているとすれば、その作品数は少ないほうがよく、売れないままにたまる一方である状態ならば、作家生活の難しさを思う。とはいえ、モジリアニは石の彫刻で食べるのが困難で、それで油彩に転向したから、高槻市内の中心地と言ってよい場所に土地を所有し、移動の困難な重い彫刻を多く並べられる境遇は、生活困難な芸術家のイメージからはいささか遠い。筆者は積極的に作品を宣伝して売る考えは乏しく、たまたまの人との縁があれば作るというのんびりとした態度でこの年齢までやって来たが、他人の作品についてあれこれ書かずにもっと自作を宣伝すべきか。

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