「
刈る母の 髪に映るや 刃の光」、「枝葉刈り 見栄え増したる 母子の像」、「居並びの 石像見つめ 母想う」、「戯れに 子を背に負いて 尻をつき」、「母子像の 石の重さの 慈愛かな」
「その1」に載せた相生地蔵尊の2枚目の写真は、撮影時には気づかなかったが、奥に若い父親が幼ない子どもに自転車の乗り方を教えている様子が写り込んでいる。それが子どもを見守る地蔵の役割に合致していて面白い。また真正面から撮った最初の写真では台座の前面に膝を抱えて坐り込む人物像が彫られ、その顔の表情は吉本氏の作品の代表的な様式で、筆者は即座にパウル・クレーの晩年の作品「母と子」などの顔を連想した。クレーは晩年に手が不自由になり、繊細な線描を引けなくなり、形体を太い筆で省略して描いた。それによって力強さを獲得したが、「母と子」ではその線描の様式が画題と相まって見る者に親子の強い結びつきを有無を言わせずに感じさせる。筆者は若い頃から芸術家の晩年に関心がある。クレーのように、またルノワールもそうであったが、手指が思うように動かない状態に陥っても、却ってそのことで新たな表現の境地を切り開くことは、生きる意味、生の素晴らしさを伝えてくれる。ただし、誰でもそのようには生きられない。むしろ、ごく限られた人だけで、またそれは若い頃からの積み重ねによる。定年になった暇と金が出来たので何か趣味を始めるというのでは絶対に無理な話で、真の芸術家のみが一生全体を費やして最晩年の栄光に至る。話を戻して、吉本氏の作品における人物像は男女の区別がないが、クレーの影響を受けていることは間違いないだろう。そのことは、「その2」で書いたように氏の作品における「浮き彫り」の手法とつながる。クレーの絵画を彫刻にするならば、浮き彫り的もしくは立体の各面が浮き彫り的でその結合になる。実際氏の作品は直方体に切り出した御影石をなるべくそのまま、つまり彫って削り取る部分を可能な限り少なくしようという思いが看守出来る。それは手間をあまりかけないという手抜きに見られかねないところがあるが、あまり込み入った彫りをしないことは作品に逞しさを付与するし、また破損もしにくい。それに固まっている石の本質を尊重するのであれば、彫りを多くしないほうがよい。自然にわずかに手を加えるという考えは日本的であろう。若冲が石峰寺に造った五百羅漢の石像群は、北白川から切り出された原石の元の形や傷を活用し、つまり素材の石の形を最大限に利用したもので、そこには千年かもっと先の未来には摩耗して自然石に戻ることを想定した思いがある。それは西欧にはない、自然に沿った考えで、相生地蔵からも同じ思想が何となく伝わる。古い石仏のお地蔵さんとの共作となれば、無名性を考えないわけにはいかないからだ。即座に作者がわかる作品が無名性を持つとは矛盾した言い方だが、流行に乗じず、風景に馴染む彫刻はどれも無名的だ。

無名の造形の代表は柳が唱えた民藝で、吉本氏の作品には民藝特有の逞しさがある。それは前述したようにあまり多く彫らず、脆弱性を感じさせないからだが、何を彫るかという題材にもよっている。今日の3枚の写真は正面奥に赤い屋根の雑貨店「ちくちく」を臨みつつ向かって左側、教会で言えば回廊に該当する場所に並ぶ作品を順に奥へと撮影したもので、題材はどれも「親と子」だ。クレーのように「母と子」と限定するには、頭部からは性の区別がつかず、「子どもをあやす親」を表わす像としておく。口を大きく開けた笑顔もあって、また目鼻は線彫りに近い浮き彫り的で、クレーを知らない人は漫画の影響を思うだろう。それもよしで、明るさと楽しさが、親が子に対する慈愛に加わっている。像のみでは背丈が低いため、台座は欠かせないだろうが、市販のブロック材の場合もある。となれば、そうではない粗削りの平たく厚い石や直方体の石は、いずれ作品に使う原石としてひとまず台座の役割を負わせているのかもしれない。今日の最初の写真の右は台座を抱え込む像で、相生地蔵の小振りなもので、向い合う立ち姿の人物像の間に「8」の数字を彫る銘板が表現されている。相生地蔵には背中に「2」を浮き彫りする人物像がある。これらの数字の意味はわからないが、子どもでもわかる数字があるところに子どもでも感じる謎めきがあり、そのことが作品に一種の神秘性を付与している。おそらく作品番号のようなもので、鑑賞者にはほとんど意味のないことと思うが、世界共通のアラビア数字を目立つように彫ると、その数字がひとり歩きして、「2の作」や「8の作」と呼ばれるようになって便利でもあるだろう。ついでながら、最初の写真の右の作は、「8」の銘板を削り取ることはたやすく、相生地蔵のように別の場所の新たな再開発地域のお地蔵さんの台座として使われる可能性を持っている。今日の写真の作品の背後は隣家との境のブロック塀で、数年前の高槻の地震で倒壊しなかったのか、また今後そうならないのかと心配した。京都の梅宮大社が近年したように、ブロック塀は背丈を半分にし、上部を金網にすればどうか。作品の間に樹木があって、その葉が作品を見えにくくしている箇所があるが、ブロック塀とともに樹木は背後からの目隠しに必要とはいえ、植生をもう少し考慮して雑然性を減少させたほうがいいように感じる。それには手間がかなりかかるので、個人宅では難しいが、「ちくちく」の商売が繁昌すれば割合どうにかなるものだ。現在の隠れ家的な雰囲気を保ちつつ、芸術ファンが頻繁に訪れる場所になればいいと思うが、家内の姉は上宮天満の北に長年住み、油絵を描いて来たのに、おそらくこの店のことは知らないだろう。いつの時代も芸術を商売にすることは難しい。吉本氏の彫刻については「その7」まで続ける。

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