「
句をひねり 今日も可はなし 苦もなきに」、「可とするか ここに坐りて これを書き」、「散歩して 外の寒さに 世間知る」
最後の句は一昨日と昨日、散歩を兼ねて中ノ島公園でしばし冷たい風に晒されながら探しものをしたことによるが、世間が世知辛いとは別に思わず、こじつけだ。それに川沿いの冷たい風とはいえ、桜の蕾は大きくなり、開花は間近だ。「サトちゃん 誰もいないよ 2階行こ」 嵯峨のスーパーに出かける際、たまにカメラを首から下げる。今日の最初の写真は先月中旬に撮った。2枚目は今月4日で、そして10日ほど前、写真のサトちゃん、サト子ちゃんは姿を消した。ネット・オークションでは同じようなものが1体当たり4,5万円で売られていて、制作年代と状態によって価格は大きく違うだろう。サトちゃんが誕生した時のことを覚えている筆者の世代には珍しくないが、デザインしたのが土方重巳であることを知ったのは、彼の
回顧展を3年前に見たからだ。その時の投稿にサトちゃんの写真を載せなかったので、今回はちょうどいい。子象は小僧に通じ、サトちゃんが薬局の看板として玄関脇に置かれたことは、江戸時代では大きな店の前を丁稚の小僧が掃除していたことからすればよく理屈に合っているが、昭和時代に有名であったそのサトちゃんは、大手のドラッグストアが幅を利かせる時代になってあまり見かけなくなった。それは佐藤製薬の業界に占める位置にもよるだろう。かわいいキャラクターで会社のイメージを作る戦略では佐藤製薬は当時の日本のブームで最も成功したと言ってよく、また同じ手法は今も健在だが、コロナのワクチンからもわかるように、日本の製薬技術は世界的に見れば偏っていて、短期に儲からないことはしない。それでコロナ・ワクチンも海外の言いなりで、摂取して何らかの害があっても売り手は責任を負わないという。話を戻して、サトちゃんのようなキャラクター人形は掌に載る小さなものならいいが、店頭の大きなサイズではたいていの人は置き場所に困る。4,5万円では古い石仏が買えるし、最近そういう石仏にほしいものがあった。裏庭に小さな石燈籠を置きたいと思いながらそのままになっていて、代わりに石仏でもいいかと思うようになっているが、祈りの対象であった古い石仏では家内は猛反対するだろう。今は石仏よりサトちゃんのようなソフビ人形を愛好する人のほうが多いはずで、ソフビは石の重厚感のなさ、つまり当たってもけがをしない柔和さによって日常生活で馴染みやすい。筆者は男性が好むガンダムにも全く興味はなく、昭和以前の古いものがいい。今も細々と生産される伏見人形は江戸以前の土人形の代表であったが、明治以降にブリキの玩具が登場し、戦後はプラモデル、そして漫画のキャラクター人気が全盛を迎えた。そこに佐藤製薬が土方にキャラクターのデザインを依頼し、その小象の名称を一般募集して「サトちゃん」が選ばれた。
現在のキャラクター百花繚乱の原点に仏像がある。祈りの対象の仏像からやがてサトちゃんが生まれたと考えると、祈りよりもかわいらしさ、そして商売第一へと人々の関心が移って来たことになり、それはそのまま芸能界に立ち現われ、一般人のSNSにも波及している。筆者のブログやホームページに二等身のキャラクター「マニマン(宝珠男)」を作って掲げているのもそれに倣ってのことで、商売はさておき、かわいさの意図はある。子象や子どもの河馬のかわいらしさは、成長すれば人以上に大きくなる動物が人より小さいからと思うが、人の赤ちゃんも含めて動物の子どもはみなかわいい。それは本能と思うが、その感情の欠落している人がたまにいる。現在世間を賑わせている元卓球少女がネットで批判されるのは、乳のみ子を置いて別の男と嬉しそうに出歩くからだ。「母」は「女」に乳房を加えた文字だが、乳房はあっても自分の子ではなく、夫以外の男に揉ませるとすれば、彼女に母性はない。精神的に未熟なそういう女性はいても不思議ではない。ところで昨夜子象が深い穴から救助される写真つきのネット記事を読んだ。一方、日本のある動物園で手長猿が知らない間に子を産んだニュースをTVで見た。とてもかわいい赤ちゃんで母の胸にしがみついていた。雌と雄の檻は仕切りがあって、性器の挿入は不可能であるから、どうして妊娠したかがわからず、動物園の女性飼育員は原因を調べて今後同じことが起こらないようにすると語っていた。それはとても意外、異常なことだ。なぜ雌と雄を壁1枚隔てて飼育するのか。子孫をもうける本能を封じるのでは監獄だ。その手長猿はお互い匂いを感じつつ、いかにしてその監獄内で子孫を残すかと日夜考え、壁のわずかな隙間から精子を授受し、そして雌は子を産んだ。そのことがあってはならないとは、あまりにも動物園は残酷だ。雌はパンダのように人間の篤い手助けなしに自分で産み、またその赤ちゃんを見るために客は増えるだろう。子どもがいるのに育児を夫に任せ、自分は新たな若い雄と楽しく過ごすというのでは猿以下だ。おそらく自分はまだまだかわいいと思っているのだろう。日本の芸能界は猿以下の人種が跋扈している。そう言えば昨日のTVで、還暦を迎えた女性がカメラマンにヌードを撮ってもらい、「わたし、まだいけてる」とうっとりしている様子を見た。「雌の暴走の醜さ」と言えば糾弾されるが、かわいさをエロと勘違いする女が増えているようだ。ともかく、スーパーに向かうある日、今日の写真の2体のかわいいソフビ人形の出現に気づき、それが2か月ほどで姿を消したので、同じ場所を通りがかるたびに一抹のさびしさを思う。写真に撮っておいてよかった。「子象像 よくぞかわいく 象った」、「幼きの 後ろ姿の いとおしさ」 次の句は2枚目の写真に添える。「嫌だもん サト子の誘い お断り」
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