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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●吉本豊の野外彫刻、その1
で2年前に逝った家内の妹の主人が、かつて高槻市内で寿司屋を開いた時、鳥取の父親は記念にカウンターに使う銘木を贈った。「テンポナシ」という木で、「店舗無し」に通じてあまり縁起がよくない名前だが、名前のとおりに店舗はなくなった。



●吉本豊の野外彫刻、その1_d0053294_15192478.jpg
とても珍しく、また硬い木で、高価であったと聞く。店を継ぐ者がいないので、店内にあったものもすべて処分したが、カウンターだけはもったいないので、大工に外してもらい、義妹は夫の形見として自宅に保管した。売却すれば数十万円程度で、そんな端金はほしくない。そこで筆者は近所に知り会いの仏師がいるので、高さ30センチほどの仏像を作ればどうかと提案した。亡き夫は真言宗と、それに合わせた仏像がよい。義妹は承諾したので、筆者は仏師のOさんにそのことを伝えた。Oさんはテンポナシを見たことがなく、硬過ぎれば彫刻刀が使えるかどうか心配しながら強い興味を示した。また板の厚さを心配したが、小さな仏像であれば充分ということになった。そうこうしている間に義妹は店の客であった男性から相談を受けた。その人は木工の加工を生業としていて、カウンター材が保管されていることを知り、それで何か作らせてほしいと義妹に言った。話し合いが進み、仏壇の前に置く経机がいいということになった。筆者はその話をOさんに伝えると、Oさんは「いいアイデアで、それを作った残りの材で充分に仏像は彫れる」と言った。そして義妹は経机を作った後の端材はコースターが作れる程度の破片でも返却してほしいと伝えたが、すべて使い切ったと言われて経机ともうひとつ別の机が家に運ばれた。合わせて40キロの重さで、可能な限り、元のカウンターの重厚性を尊重したそうだ。筆者はその机を見ていないが、結局少しの端材も出ず、仏像の話は消え、筆者はOさんにありのままを伝えるしかなかった。コロナ禍であっても、Oさんを一度高槻に連れて行き、現物のカウンター材を見せ、またその客と話をさせておけば、仏像の1体くらいには使える端材が確保出来たと思っている。ま、縁がないことの一例で、仕方がない。完成した机から仏像が作れないこともないだろうが、たぶん元のカウンターの厚みはない。義妹の夫は西国街道沿いの大きな病院で亡くなったが、筆者は2年前の10月31日に大山崎から高槻まで家内と西国街道を歩いた時にその前を通った。さらに西に行くと間もなく右手つまり北側に上宮天満の大鳥居がある。その前を右に折れて西国街道歩きを終えたので、その歩きを再開するのは鳥居前からとなる。先日の2月28日、義母の三十三回忌で高槻に行った時、鳥居前の西国街道を少々歩いたが、目的は別にあった。そして多くの写真を撮ったので、今日から5,6回に分けてそれらを消化する。「ネットでは 店舗なしでも 商売可」だが、このブログは「ねっとりと テンポ遅めで 感無料」。
●吉本豊の野外彫刻、その1_d0053294_15195235.jpg
 1月下旬、ある版画家の作品をネットで調べている時、以前高槻在住であった人のブログで興味深い情報を得た。ついでに得たことが他にふたつあって、全部を紹介し終えるのは早くて1,2年先になるだろう。その3つのうち、最初に関心を持った版画家のことは、その人のブログのみではよくわからず、さらに2週間ほど調べてようやくほしい情報を海外から得たが、日本からでは書籍の入手が困難だ。その版画家の件についてはいつか書くとして、今日は吉本豊という彫刻家の作品だ。彼が手がけた黒い御影石の彫刻が高槻市内にいくつかあることを知り、その実物を見ようという気になった。家内の実家のある高槻ならすぐにでも出かけられるが、三十三回忌があることを家内から聞いていたので、その日に見て回ることにして、訪れるべき場所を小さな紙片に簡単な地図を書いて記した。土地勘がそれなりにあるので、いくら方向音痴の筆者でもさほど迷わない。今日紹介する「相生地蔵」が設置される場所は数年前に歩き、何となく記憶があるが、通りに並ぶ店に気を取られ、まともに見なかった。ともかく、法要の後、車でJR高槻駅前まで送ってもらい、家内とともに「相生地蔵」を見に行った。脇に建つショッピング・ビルの売り場を通って外に出たすぐのところにあった。前面左前に銘板によれば、17年前の設置だ。周辺の再開発が終わって元の場所に地蔵の石像を戻す際、吉本豊氏の彫刻を台座として制作を依頼したのだろう。京都や大阪ではお地蔵さんは祠に収めることが普通だが、町内の人たちは現代的な商業ビルの脇道に古臭い形の屋根のついた祠はふさわしくないと考えたのだろう。それで昔のお地蔵さんを取り込み、それを保護する形の芸術的なお地蔵さんに生まれ変わった。古い小さな地蔵に巻かれる赤い布が吉本氏の巨大な立方体彫刻の黒い色合いとよく釣り合い、厳粛さと親近性が同居して一見の価値ある芸術作品となっている。これが吉本氏の彫刻だけであっても同じように目を引くとは思うが、道路幅や建物が変わっても土地の持つ個性はあって、かつてお地蔵さんが祀られていたことを消し去ることはよくない。小さなお地蔵さんの撤去で祟りがあると思うのは非現代的と言う人はいるだろうが、昔の人々の祈りの対象を消し去って経済の論理のみ支配する商業施設で街を埋めてしまうことは、古い歴史を忘れることだ。その考えが蔓延すると、日本全国どこでも繁華街は同じ「のっぺらぼう」ということになりかねない。とはいえ、小さな昔のお地蔵さんだけでは新たな商業ビルの谷間ではあまりに頼りなく、また邪魔者扱いされる。それで現在のような新しい彫刻との合体となれば、周囲の喧噪に負けない存在感と静謐感を持ち、街中の芸術品として百年単位の長さで愛され続けるものとなると思える。ただし、それはどのような彫刻でもいいとは限らない。
●吉本豊の野外彫刻、その1_d0053294_15202089.jpg

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by uuuzen | 2021-03-11 15:20 | ●展覧会SOON評SO ON
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