人気ブログランキング | 話題のタグを見る

●当分の間、去年の空白日に投稿します。最新の投稿は右欄メニュー最上部「最新投稿を表示する」かここをクリックしてください。

●神社の造形―厳島神社
外の嵐山から中京を思うと、そこは別世界で、住みたい気持ちがある一方、よそ者扱いされて別世界である思いはいつまでも変わらない気がする。ところが住み着いて有名になっている外国人は少なくなく、祇園祭の巡行に参加している人も見かけるし、TVで有名になっている人もいる。



●神社の造形―厳島神社_d0053294_01184125.jpg
そうした外国人は京都が閉鎖的な街ではないことを世間に示すうえでは便利で、またその外国人も京都の文化を母国に紹介するなどして京都から恩恵を受けている。筆者は京都が本場の友禅染を本業にしていることもあって、京都以外で暮らすつもりはないが、そこに女性とは違う定めを思う。女性は結婚によって人生が大きく変わる。たとえば中京区の代々続く古い家柄に嫁ぐと、その家の人となることが出来る。京都に憧れる若い女性は今も多いと思うが、出会いによっていわば簡単に京都の長い歴史に食い込める。男がそうなるには、つまり中京にそれなりの住まいをかまえるには、仕事で大きな業績を上げる必要がある。それが容易ではないと言えば、古い家柄に嫁ぐことも競争相手が多くて簡単なことではないと反論されるが、女性は男よりも人生が一気に好転しやすいのは確かだろう。白拍子の祇王が平清盛に愛されて歴史に残ったことは、美貌と才能がある女性は男の権力者に目をつけられやすいという、古今東西不変なことを表わしているが、男が男に引き立てられて出世することも同様に多く、その意味では男女とも秀でた何かがあれば自ずと世間の知るところになると言うべきだろう。祇王は清盛が若い仏御前に心を移したことで嵯峨に隠遁し、結局その仏御前も清盛に飽きられて祇王のもとに身を寄せることになり、そんなひどいことで清盛にバチが当たったと言うべきではないだろう。いつの時代も男はそのようなものだ。絶対的な権力があればなおさら、白拍子つまり今でいう芸能人を消耗品のごとく考えるだろう。祇王や仏御前は今の有名な女優や女性歌手が及ばない教養もあったはずで、それで歴史に残ったと見るべきだが、戦後の日本の為政者は教養を理解せず、したがって寵愛される女性も同じように中身は知れている。つまり、祇王や仏御前のようには歴史に残らない。さて、去年11月21日、御所の神社を順にお詣りし、その最後が今日取り上げる厳島神社であった。御所の西南に位置し、池があるので地図でも目立つ。改めて地図を見ると、当日訪れなかった御所内の神社がまだあった。それはまたの機会になるが、そう思いながら数年はすぐに過ぎる。中京に住んでいれば散歩がてらにすぐだが、嵐山からではバスか電車に頼るしかない。自転車もいいが、御所には駐輪場はないはずだ。話を戻して、この神社は鳥居が有名で、最初の写真の鳥居脇に立つ駒札には、「平清盛建立 唐破風鳥居 重要美術品」とあり、また京都市内の珍しい鳥居三つのひとつとされている。
●神社の造形―厳島神社_d0053294_01190046.jpg 清盛時代の鳥居が現存することに驚くが、石製であったことが幸いした。それに現在は御所の中、以前は公卿の所有地であったからだ。唐破風のように鳥居の中央が上向きに反り上がっている。同じ形のものが他の神社にないとすれば、どういう意図があってこういう形にしたかだが、安芸の厳島神社から清盛が勧請した当時、安芸の同神社には唐破風を模した鳥居があったのだろう。また清盛は摂津の経が島に厳島社を勧請し、後に母を合祀したとされ、その後どういう経緯によるのか、現在の地に遷り、九条家の邸宅内に取り込まれた。現在鳥居は池に面しているが、池がいつからあったかは不明ながら、明和8年(1771)にはあったとされる。また鳥居は経が島にあったものを室町後期に足利義晴が細川家の邸宅に移し、明和8年に九条家が幕府に願って現在の地に移したというから、平安時代から有名な鳥居であったのだろう。また九条家は明治に東京に移り、鳥居は現在地に残された。2枚目の写真の右下の貼紙には、「厳島神社(池の弁財天) 御祭神 宗像三神 祇園女御(ぎおんにょうご) 平清盛公の母君」と書かれる。筆者が注目したのは、その上に掲げられる絵だ。鳳凰や鶴が飛び交い、四季の花が咲く中、池の畔に坐って琵琶を奏でる弁財天をカラフルに絵具で描く。顔つきもは明らかに現代の女性で、色合いも今風だ。古くても数十年前のものだろう。また有名画家の作ではないはずで、ありがたみが乏しいが、ないよりはいい。それに参考にする弁財天の名画は例があまりない。半裸の彫刻なら多いが、それらは春画すれすれの味わいがあって、それを踏襲して描き、またこの神社の誰でも見られる場所に掲げることは盗難に遭いかねず、風紀上もあまりよくないだろう。七福神の一神として弁財天が描かれる時は着衣が普通だが、春画の影響から弁財天が残り六神に性的に犯されている様子を描く場合もある。そこに平安時代の白拍子の置かれた位置も垣間見える気がする。そんなことを考えながら、絵の下にある由緒書きを読まなかった。それより目立ったのは、小さな貼紙「犬を連れて入らないでください 社務所」で、近隣の人の朝夕の散歩コースになっていることが想像出来る。広々とした御所の中は、せせこましい中京の住まいで飼われる犬にすれば天国気分だろう。庶民が立ち入ることが出来なかった場所が、今では犬も歩く。3枚目の写真は枚数を少なくするために上下に2枚組み合わせたが、この神社の大きな特徴になっている池だ。橋は社の前に至る擬宝珠つき欄干のある石橋「高倉橋」で、明治に九条家が東京に邸宅を移築した後に設置されたものとWIKIPEDIAにある。「池の弁財天」と呼ばれるのは、祭神がみな女性で、日本の本地垂迹では宗像三女神の一柱である市杵嶋姫命を弁財天と同一視することが多いからだ。また市杵嶋姫命は水の神様で、弁財天は水辺によく祀られる。日本では水辺はどこにでもあるが。
●神社の造形―厳島神社_d0053294_01193355.jpg

by uuuzen | 2016-05-03 23:59 | ●神社の造形
●京都府立総合資料館の移転工事 >> << ●『WHO THE F*@% ...

 最新投稿を表示する
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2025 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?