人気ブログランキング | 話題のタグを見る

●「STRANGER ON THE SHORE」
下すべき曲は新しいものに多いかと言えば、古い曲でもぱっとしないものがあったから、このカテゴリーで取り上げるのは筆者がよく記憶するものに限る。大阪市内で1951年に生まれた男が好きというきわめて個人的なもので、同世代の音楽好きとはその内容は大きく差があるはずだ。



●「STRANGER ON THE SHORE」_d0053294_01301681.jpg
つまり、一時代の代表的に有名な曲を網羅することにはならず、仮に後の人がこの文章を読んでも時代の判断には何の益ももたらさない。過ぎ去った時代を俯瞰するという大きな目的を筆者は持たず、個人の経験を書き記すことで現在、そして先にどう考えるかの一助になりはしまいかと思うだけだ。また、このカテゴリーで取り上げる曲は原則的に一ミュージシャンに対して一曲で、たとえば今日の曲「白い渚のブルース」よりも好きな曲は無数にあっても、それらのミュージシャンは別の曲で取り上げているので対象にしない。となれば、愛聴曲に限界があり、いずれ取り上げる曲はなくなるが、そうなればそうなったでまた考える。また筆者は時々家内の前で昭和30年代の歌謡曲を口ずさみ、家内は驚く。洋楽ばかりをこのカテゴリーで取り上げていて、表向きは歌謡曲を知っているとは思えないのだろうが、洋楽と同じほどラジオで歌謡曲を聴いていた、あるいは知らない間に耳に入って来たので、よく覚えている。だが、歌謡曲は意識してこのカテゴリーには取り上げていない。小学生の頃から洋楽好きであったし、それは今も変わらないからだ。その洋楽を知る手段はラジオで、わが家では筆者が生まれた頃からラジオが鳴っていた。また東京オリンピック開催年にもTVはなく、母が親類の叔父さんに無理を言ってオリンピック開催の直前に中古TVをもらって来たが、最新の洋楽は中学生になってももっぱらラジオに頼った。それゆえ、中学生までの筆者の記憶する洋楽は日本でヒットしたものに限る。そうした曲はとてもたくさんあって、題名のわからないものもある。ネット時代では簡単に曲名はわかりそうだが、案外そうでもなく、知りたいと思いながら何十年も経っている曲がある。それはともかく、ネット時代になって古い音楽が気軽に楽しめ、またネット・オークションでシングル盤が安く手に入るようになった。「白い渚のブルース」も10年ほど前にネット・オークションで入手した。筆者がかつてラジオで聴いたヴァージョンかと思ってはいるが、当時はヒット曲が盛んにカヴァーされ、筆者が入手したものはオリジナル・ヴァージョンではない。盛んにラジオでこの曲を聴いたのは1962年で、筆者は10歳であった。その頃に聴いて今も覚えている曲がたくさんあり、順次このカテゴリーに取り上げて行くつもりでいるが、そのことで心がすっきりするというのでもない。記憶は死ぬまで反芻され続けるが、筆者は回顧が趣味ではない。昔は充分賞味し尽くし、タイムマシンで行けるとしてもこんなことかと思うだろう。
 本曲はヴェンチャーズもカヴァーし、それを収めたコンパクト盤を当時聴いたことがあるが、あまり感心しなかった。ギターの音色はこの曲の持ち味に最もふさわしいとは言えないからだ。昭和30年代には本曲のようなクラリネットの音楽が流行したようで、「鈴懸の径」という曲をよく耳にした。以前取り上げたが、「小さな花」や64年の北欧映画の主題歌「太陽のかけら」もそうで、筆者は知らず知らずのうちにクラリネットのムード音楽に耳馴染んでいた。もっとも、ラジオからだけではなく、学校でも聴いた。それにNHKの『みんなの歌』で「クラリネットをこわしちゃった」を聴いて一緒に歌ったものだ。調べると同曲は1954年の録音で、『みんなの歌』で放送されたのは63年で、「白い渚のブルース」を知った翌年だ。その後クラリネットのゆったりとした音楽はあまり聴かなくなった。80年にベニー・グッドマンのバンドが来日した時、FMでのそのライヴ演奏をカセットに録音し、しばらく大いに楽しんだ。彼らの曲がとても古くて懐かしいことと、その古さにクラリネットが重なっていたからだ。つまり、クラリネットに昔ならではの滋味を感じていた。そのひとつの代表が「白い渚のブルース」だ。筆者が入手したシングル盤はローレンス・ウェルク楽団による演奏で、このヴァージョンを当時ラジオでよく聴いたのか、あるいはオリジナルのエッカー(アッカー)・ビルクによるものか、記憶は定かではない。後者はネット・オークションでの出品が珍しく、日本ではローレンス・ウェルクの盤のほうがよく売れ、またラジオでかかったのではないか。ウェルク盤がいつ発売されたのか知らないが、ジャケット裏面の解説によると、同じ62年であることは間違いがない。ビルク盤はコロンビアから発売され、ジャケットはかなり地味で、より古さを感じさせる。イギリスとアメリカで大ヒットし、すぐに日本のコロンビアはオリジナル・ヴァージョンを発売したが、おそらく2、3か月も経たない間に日本ビクターがウェルク盤を発売した。60年代はカヴァー演奏が大流行し、欧米の曲を盛んに日本の歌手が日本語で歌った。それらはすぐに埋没し、ラジオでかからなくなったが、今はYouTubeによってジャケットとともに楽しめる。そこで思うのは、ミュージシャンの栄枯盛衰の目まぐるしさと、古い録音でも当時はしっかりとした才能が集まって精いっぱいの仕事をしていたことだ。それはあたりまえだろう。レコードを店での販売は、今の半ば素人のミュージシャンとは違って、会社その他多くの人が関係したことで、やはり優れた才能と目された者だけに許された。それゆえ、60年代のヒット曲は今聴いてもどこか価値を感じると言えば、それはおおげさであろうが、大ヒット曲にはそれにふさわしいアウラがある。流行歌、流行曲は、その2,3分の短さによってその時代を鮮明に浮かび上がらせる。
●「STRANGER ON THE SHORE」_d0053294_01303461.jpg ウェルク盤の解説に、『ディックチャールスワース楽団の「青い灯影のブルース」がヒットしております』とあって、当時「ブルース」という言葉を邦題に用いることが流行っていた。「青い灯影のブルース」は原題が「NIGHT FALL」で、クラリネットが終始メロディを奏でるが、本曲よりもブルースっぽさが濃い。原題の「陽が暮れて」という意味ではそれも当然で、一方の本曲は「汀の見知らぬ人」の意味で、もっと自然豊かで解放感がある。それにブルースっぽさはない。なぜ邦題に「ブルース」の言葉が入ったかだが、「汀の見知らぬ人」では売れないとレコード会社は思ったのだろう。60年代末期にフランク・シナトラが「夜のストレンジャー」を大ヒットさせ、その頃には「ストレンジャー」でも意味が通じたが、62年に本曲を「渚のストレンジャー」とでも訳せば、時代を先取りしていた。ともかく、当時の本曲の邦題は「ブルース」の言葉に便乗した商法で、メロディがさほどブルースっぽくはなくても、そう謳っておけばそう外れてもいないとの考えだ。これはクラリネットが戦前からアメリカのジャズでたとえばベニー・グッドマンによって使われて来たことにもよるだろう。アッカー・ビルクはクラリネット奏者で、WIKIPEDIAには彼の自作自演曲が61年11月にイギリスで発売され、翌年にイギリスで2位、アメリカで1位を獲得し、62年を代表するインストルメンタル曲となったとある。10歳の筆者がよく覚えているほど日本でも大ヒットし、カヴァー・ヴァージョンもたくさん出た。筆者が面白いと思うのは、このどこか明るい曲が60年代初頭の空気を内蔵しつつ、間もなく登場するビートルズにも微妙に影響を与えていることだ。この曲のどの部分をビートルズが吸収したかについて、楽譜を通じて証明しようというつもりはない。何となく雰囲気が、たとえばジョン・レノンが書くビートルズ曲にある気がするという漠然とした思いだ。ビートルズがこの曲を知らなかったことはあり得ず、大いに感化され、ヒットするメロディとはどういうものかを学んだことは疑いがない。ビートルズの登場によってポップスの世界ががらりと変わったのは確かだが、こういうゆったりとした心和む曲をもビートルズは吸収した。そのことはたとえば64年の「イエス・イット・イズ」に活かされた。同曲は「涙の乗車券」のB面扱いで発売されたが、当初はA面になる考えもあった。それは大ヒットした本曲へのオマージュないし二番煎じ的な思惑が含まれていたであろう。ところが、62年からわずか2年で流行歌の世界は激変し、本曲のくつろいだ趣はもう時代遅れとなった。ただし、本曲がビートルズの前に大ヒットしたことは歴史的事実であり、今となってはビートルズが新しいと感じれば、本曲もそうだと言う立場は否定され得ない。
 それは本曲のよさを咀嚼すれば新しいヒット曲が生まれることを示唆していることであって、一時期盛んに聴かれた曲は消耗され尽くしたのではなく、新しく解釈し直される何かを孕んでいる。ビートルズの大成功も過去に学んだからで、創作するようになる以前に記憶したことが糧になっている。その伝で言えば、本曲も過去の何かに感化されているだろう。ビルクは娘の名前を題名にしていたが、イギリスの番組に使われるに及び、その番組名に変えた。またそのことで詩的な印象が増した。「ストレンジャー」は謎めきの代名詞で、それまでおそらくほとんど知られなかったビルクにとってもつごうがよかった。ビルクは本曲以外に大ヒットがなく、本曲以降はもっぱら他人の大ヒット曲をカヴァーしたが、美しいメロディを書く才能があまりなかったとみなすしかない。それはビートルズの出現によって美声のヴォーカリストの出番が激減したからでもあって、ましてやクラリネットでメロディを吹くだけの才能では時代最先端の流行を担うことは無理だ。それでも本曲が世界的に大ヒットし、多くのカヴァー・ヴァージョンが録音されたことでそれなりに名前が記憶され、半世紀以上経って筆者がこうして書いていることからも、多くのファンを持った。イギリスでは76年までに12曲がヒットし、数多くのアルバムがあるというから、ビートルズを歓迎した若者より上の世代が支持したのだろう。自分の青春時代にヒット曲を重ねて記憶することは誰しもで、流行の最先端のみが存在するのではない。筆者は本曲を経てビートルズに夢中になったが、筆者よりかなり若い世代がビートルズに熱中していることはいささか不思議で、なぜ自分たちの時代の音楽を聴かないのかと思う。そう言いながら筆者はもはや現在どういう曲が大ヒットしているかを知らない。つまり、70年代になってもビルクの音楽を聴いた人と同じで、過去に熱中したものを反芻している。ビルクのヴァージョンは全編ビルクのソロと背後の弦楽器群で、またパソコンで聴くせいか、弦楽器はクラリネットの音とは隔たりがあって、別に録音したことを感じさせる。その点、ウェルク盤は後半部ではスティール・ギターがメロディを奏でる。これは原題の汀ないし渚という岸辺からハワイアンを連想するからだろう。スティール・ギターはビートルズの「イエス・イット・イズ」で効果的に使われ、そのことも筆者が同曲から本曲を連想する理由になっている。またウェルク盤ではイントロにビルク盤にはないメロディが添えられ、より多彩なアレンジになっている。同じ3分弱のシングル盤でも、ウェルク盤のほうがアレンジが凝っている。だが、どちらのヴァージョンもクラリネットに持ち味があり、そのゆったりとしたメロディを思い出すと、いつの間にか口笛を吹いている。メロディは2オクターヴ近い音域で、歌詞をつけて歌うには声量を必要とする。
by uuuzen | 2016-04-30 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
●神社の造形―宗像神社、その1 >> << ●神社の造形―宗像神社、その2

 最 新 の 投 稿
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2024 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?