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●神社の造形―太郎松大明神、玉吉大明神
殿様商売をしている人は商売繁盛を願って神社にお詣りするだろうか。殿様を自認する傲慢な人ならわざわざ神社に行くのが面倒なので、会社の敷地に鳥居と祠をかまえるか。



●神社の造形―太郎松大明神、玉吉大明神_d0053294_23412572.jpgそれが無理なら事務所に神棚程度は設けるか。ともかく、商売と神社は縁が深く、稲荷や恵比須は勢力拡大にうまく策を練った。あるいは話は逆で、商売人の願いの需要増加によって本社(会社ではなく神社)が賑わい、末社も増えた。昔は殿様であった家系も明治維新後は収入のために何からの商いを始める必要が生じたが、商いを見下し、愛想もなければ、たいていの商売は成り立たない。ところがそうではない商いもあるだろう。骨董店は骨董好きを相手にし、嫌なら買うなと思っている主が多い印象があるし、古書店もそんな感じの主人が店の奥で黙って座り込んでいる。客は店を選ぶが、その反対も言える。主が殿様面していてもそこにしかない商品があれば買う客は必ずある。殿様商売は本当はそういう意味で使わず、商品知識に乏しく、もともと商売熱心でないことを言うが、そんな店はめったに見かけない。何かを売る時、その商品についての専門知識は欠かせず、客のほうが知識が多いと、価値ある商品を安く売ってしまう。その店の主は殿様風でも、傍目にはアホということになる。殿様商売はアホ殿商売という揶揄を含む。もっとも、元来殿様は商売する必要がなく、殿様商売の言葉には悲哀がある。殿様は殿様、商売は商売で、異質なものをくっつけるので異質なことが生じる。ところが殿様が廃止されて以降、誰もが金を稼ぐ必要に迫られ、雇用する側になればマネー・ゲームの渦中に巻き込まれ、また雇われ者になっても会社の成績を上げねば、つまり金儲けに貢献しなければ安月給に甘んじる。そんな大マネー・ゲーム時代に神社や寺がよくぞ残っている。後者は葬式を専門に扱って「坊主丸儲け」と揶揄されながらもまだ神社よりも収入の道は多いだろう。もちろんそれは寺や神社の大きさによるし、また経営努力も必要だ。つまり、殿様商売では立ち行かないが、商売丸出しでは神仏のありたがみが減少し、逆効果になりかねない。その点、御金神社は名称からしてわかりやすくてよい。これがもっとわかりにくい名前では、どういう御利益があるのかわからず、賽銭は期待出来ない。となれば社殿の維持管理が難しくなり、荒廃が進みやすい。その点、神泉苑は京都でも独特な存在感を放ち、またわかりやすい場所にあるので今後も安泰と思うが、神仏に無理解の為政者が現われれば、一気に取り壊されかねない。実際そうして神泉苑は境内を大幅に縮小された。さて、去年11月21日、神泉苑を訪れた後、同じ御池通りを歩かず、ひとつ南の狭い姉小路通りを歩いた。堀川通りの東側のその道は昔からよく歩いているが、西側は初めてであったからだ。鳥居を出ると少し西に信号があり、それをわたって南下し、最初の四つ辻を東に向かった。
●神社の造形―太郎松大明神、玉吉大明神_d0053294_23415157.jpg 御池通りから南の中京の道幅は江戸時代のままだろう。筆者は裏道を歩くのが好きで、その日もそうしたが、姉小路通りに至ってそれを左折した時、昭和の懐かしさを感じてとてもわくわくした。廃校になっているのか、左手に戦前の建築に間違いない小学校の校舎があり、時が止まっている気がした。それより驚いたのは、その学校の前に今日の最初の写真の御堂があったことだ。「これは何だ?」京都でもきわめて珍しい光景で、そこだけ江戸時代以前だ。道路際に朱塗りの鳥居があり、また家1軒分の狭い境内には社務所のような建物はなく、無人のようだ。誰が管理しているのかと思いながら写真を3枚撮って四条大宮に向かったが、あまりに異質なその建物と狭い道路に、筆者はすぐ近くに住みたいと思った。筆者は京都に出て来た頃、いつか四条大宮付近に住みたいと考えた。染色に関する家業が集中していて便利で、また古い繁華街があるからだ。ところが家を買うとなると筆者の経済力では無理だ。それで電車に乗れば20分で四条大宮に出られる嵐山にした。そこなら四条大宮と違って写生に便利だ。何から何まで便利という場所は、殿様以外には無理な時代だ。さて、最初の写真の建物は神泉苑の真南にある蓮光院、別名「北向不動明王」で、かつては神泉苑の中にあった。その境内が削られても建物は1200年前の創建以来、不動明王を祀って同じ場所にあるとされる。そんなことがあり得るのかだが、真言宗が撤去を許さず、また庶民も信心深くてその建物を壊した跡地に住みたいとは思わなかったであろうから、事実であると思う。創建からおそそ500年経って一遍上人がここを訪れたことが『一遍上人絵伝』からわかるとされ、当時の人々が同じこの狭い姉小路を練り歩いたことを想像すると、そういう古い歴史のない、つまり義務教育で教えられる歴史に残る人物の痕跡のない地方都市がつまらない。筆者はだいたい往路と復路の道を変えて歩くが、当日はそれが正解であった。でなければ、蓮光院の存在を知ることがなかった。神社目当てで歩いたのであるから、蓮光院の異様な威容もそうだが、道路際に立つ神社が気になった。提灯に「太郎松大明神」と「玉吉大明神」とある。どちらも稲荷系で、「太郎松」と「玉吉」は比較的珍しいのではないか。前者は愛媛に多いようで、弘法大師とのつながりから勧請されたのだろう。後者は大阪の「玉造」を連想させるが、伏見稲荷の宝珠を意味するのだろう。近所のお婆さんたちが殿様の面倒を看るかのように、交代で清掃や花を活ける世話をして来たと想像するが、今はそれが難しいのか、荒れているように見えた。神泉苑の観光客がついでに参拝することは珍しいはずだが、こういう小さな寺社はそのまま今後も残ってほしい。人々の家が新しく建て替わっても、ここだけは道路幅が狭いこともあって古の都のままで、1200年の歴史が積み重なった京都がある。
●神社の造形―太郎松大明神、玉吉大明神_d0053294_23422351.jpg

by uuuzen | 2016-05-18 23:59 | ●神社の造形
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