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●神社の造形―神泉苑、その1
車が走るに充分過ぎる現在の50メートル幅の御池通りは、戦争が終わる直前までは5メートル幅であったが、強制疎開による家屋撤去によって、神泉苑前の御池通りとは幅が逆転した。



●神社の造形―神泉苑、その1_d0053294_00401493.jpg
筆者はたまに市バスとは走るルートが少し違う京都バスで河原町に出る。そのバスは神泉苑前を東に向けて走り、堀川通りに出た後は道路の幅が急に広くなるので、少し左つまり北に向けてハンドルを切って50メートル幅の御池通りの北側に入る。その後のバス停は下車する人が少なく、また道路幅が広い割に交通量が少ないので、速度を上げて河原町通りまで突っ走る。そこでいつも疑問に思ったのは、JR二条駅から堀川御池まで、つまり神泉苑のある御池通りをなぜ戦時中に強制疎開しなかったのかだ。長さ1キロに満たないその区間は、神泉苑という神聖な場所が中ほどの北側にあるので恐れ多かったのか。そんなことを考えていたが、戦前の地図に見ると、堀川御池交差点から東の拡幅以前の御池通りの倍ほどの幅があり、拡幅するとしてもその順序は後回しでよかったことが想像出来る。今日の最初の地図に戦前の御池通りを黄色に塗っておいたが、赤は強制疎開させられた建物があった範囲で、現在道路になっている。堀川通りの西側も赤で塗っておいたが、建物の強制疎開は堀川通りや五条通りでも実施され、50メートル幅になった。戦前の五条通りは御池通りと同じ道幅でとても狭かった。終戦直前の建物の取り壊しは急を要し、通達から10日ほどで実施されたそうだ。住民は寝耳に水で、戦争の残酷さの一端を示す。平安神宮を造る際、千本丸太町を中心とした地域の用地買収が困難で、畑地が中心であった岡崎が選ばれたが、負け戦が濃厚になった時、軍は道路を拡幅して原っぱにすることを命令した。アメリカに原子爆弾を落とされていたならば、戦後の京都は大通りが縦横に走る未来都市がいち早く建設されたかもしれない。千年の都をきれいさっぱり忘れ去って、ブラジリアのような街になっていれば、政治も文化もがらりと変わって文字どおりの新生日本になったであろうが、その新生の新制のほうが神聖よりいいという意見も今ではあるかもしれない。それはともかく、戦争で京都は破壊されず、御池通り、堀川通り、五条通りが広くなったことは、戦後の車社会にとってよかったと考えるべきなのだろう。ただし、車社会が京都にふさわしいかどうか、また現在のような車の洪水が未来において必要になるかだ。前者は観光都市を目指すうえで今後も何度も考え直す問題であるべきで、後者は車が少なくて済む社会になればまた道幅を元に戻せばよく、今は前者を考えるべきだ。そこには戦前からあった市電を戦後の昭和時代に廃止した事情が絡むが、嵐電という路面電車が今も使用されているからには、市電の一部を残し、また新たに線路を敷設するのがよかったと筆者は思う。
●神社の造形―神泉苑、その1_d0053294_00403771.jpg 新設はたとえばJR二条駅前から東の御池通りだ。二条駅前から東の鴨川まで、そしてそれを超して線路を南の三条通りに通し、東方の蹴上に至ると、他府県の人がJRを利用して岡崎の平安神宮や美術館などが集中する文化ゾーンに行くにはとても便利になる。ところで、三条通りの山ノ内は道路幅がかなり広く、そこを嵐電が走るのは車の通行の邪魔になっておらず、御池通りに路面電車を走らせても交通渋滞は生じないはずだが、京阪三条駅は地下化し、同駅から東へ路面を走っていた京阪電車が消えたので、また同じ道に線路を引くことには反対意見が多いだろう。地下鉄と違って路面電車は老人に優しく、工事費も地下鉄の数十分の一で済むはずだ。ヨーロッパの古い都市では路面電車はよく走っている。京都の市電が消えて嵐電が残っている様子はかなりちぐはぐで、堀川通りと御池通りは市電を復活させてよい。ただし五条通りは亀岡とつながっていて、物流の大動脈として機能させる。さて、去年11月21日、一昨日投稿した御金神社を撮影した後、御池通りに戻って神泉苑を目指した。同じ北側の歩道を500メートル西で、昔から神泉苑の前はバスで通ったり、歩いたりしているのに、境内に入ったことはなかった。昔、韓国から短期留学に来日した人と話した時、彼は東京から京都に着いた後、昼食のために神泉苑に連れて行かれたことを喜んでいた。神泉苑の境内に大きな料理屋があることは有名で、その店でうどんつきの定食を食べたらしい。その後、朱色に塗られた太鼓橋から池を眺めて京都の情緒を楽しんだようで、外国人にとって神泉苑は食事も出来て印象に強い場所のようだ。これは文人画に詳しい人なら名前を知るが、筆者は半年前に彭城百川の掛軸を入手した。小野小町らしき女性が跪き、横向きの姿で雨乞いをしている図の紙本着色画で、画面上には光か雨、薄い斜めの線が描かれる。それを入手して、以前にもまして神泉苑に関心を持ち、ようやく訪れた。今日の2枚目の写真のように御池通りに面して石鳥居があり、御池通りの南側は戦前から学校の校庭だ。最初に掲げた地図の左端の黄緑色で囲った範囲は神泉苑が出来た当時の範囲で、その内部の小さな緑枠が現在の境内だが、かつては広大であった。北半分が二条城に被っているのは、徳川幕府の時代になって二条城として組み込まれたからだ。また南は三条通りまであったが、黄緑枠の右下つまり三条黒門北西角に、現在神泉苑に因む場所がある。それについては後日写真つきで説明する。神泉苑が大幅に縮小されながら、現在でも背後に高層ビルなど、現代を示すものが一切目に入らず、中京とは思えない別世界の雰囲気に満ちることには慰められる。料理屋が境内の北西にあることは致し方がなく、またそれはそれで神泉苑の眺めが楽しめて歓迎されているだろう。筆者は利用したことはないが。
●神社の造形―神泉苑、その1_d0053294_01031221.jpg 神泉苑は鳥居があるので神社だが、神仏習合期に造られ、弘法大師が雨乞いの祈祷をしたとされ、真言宗の寺で東寺が管轄する。前述の小野小町の祈祷は弘法大師に倣ってのことで、神泉苑のホームページには弘法大師以降、祈雨のために多くの名僧が池の畔で読経し、また白拍子の歌舞が奉納されるようになったとある。彭城百川が訪れた神泉苑は現在と同じ範囲の境内であったはずだが、江戸時代を通じて神泉苑の西端から現在の二条駅までは奉行所があって、庶民はあまり近寄りたくない場所であったのではないか。さて、神泉苑には二条城の南にある道路に面した北門からも入れる。そこには立派な門はあるが鳥居はなく、料理屋の看板やメニューが目立つので、参拝には御池通りからがよい。鳥居を入って正面に、今日の2枚目の写真の下に写る善女竜王社がある。これは池に向かって半島のように突き出た状態で拝殿、本殿が奥へと並ぶ。拝殿の手前から西へと池に太鼓橋が架かり、それは歩くことが出来る。4枚目の上の写真の小さな天満宮は、善女竜王社の手前右手の池の畔にあり、3枚目の上下の写真の弁天堂はその右手だ。弁財天は水辺に祀られることが多いが、善女竜王とともにネットで調べるとなかなか面白い。弁天に比べて善女竜王は聴き馴れないが、神泉苑における空海の雨乞いの話がWIKIPEDIAに出て来る。雨は農業に欠かせず、神泉苑で雨乞いしたことは田畑が多かったことを意味するが、筆者が京都に住み始めた頃、地元に長年住む人から、梅津は田畑ばかりで京都駅が見え、また梅津より標高が巣越す高い太秦から南方はもっと見晴らしがよく、嵯峨は広大な田畑が広がっていたと聞いた。そのことは戦前の京都市の地図からもわかる。今日最初に掲げたアメリカが作成した戦前の京都の地図は、梅津はどうにか含まれるが、嵯峨や渡月橋付近は含まない。それらの地域に軍需工場がなく、民家もごく少数で、爆弾を落とす必要はなかったのだ。面白いのは梅津で、四条通りがなく、寺社がわずかに点在するだけですべて田畑だ。もちろん民家は点在したが、たとえば渡月橋から松尾大社に至るわが自治連合会は10軒も家がなかったと聞く。そしてそれら田畑は京の中心地に住む公家や武士の食糧庫で、雨が降らねば死活問題であった。雨乞いは原始的なまじないかもしれないが、自然は今も同じで、ダムに貯めた水が下がり過ぎると雨を待つしかない。それは神頼みだ。また雨は降り過ぎると災害をもたらすので、平安時代以降、洪水の際、その溢れた水をどこに誘導するかという土木工事が重要な意味を持った。京都市内は湧き水の豊富なところで、特に南部の伏見はそれで造酒業が栄えていて、中京にあって常に水が豊かな神泉苑の池の畔が、雨乞いの儀式に使われたことは納得が行く。残りの写真は次回に使う。
●神社の造形―神泉苑、その1_d0053294_00421745.jpg

by uuuzen | 2016-05-12 23:59 | ●神社の造形
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