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●神社の造形―白山神社
法で信仰の自由が保障されている。無信仰でもかまわない。筆者が京都に出て友禅の師に就いた時、たまに宗教の話になった。師はまじないを信じず、神頼みしたところで何も実現するはずがないと言った。



それでいて愛宕山の千日詣りに熱心で筆者は誘われたことがある。去年筆者が家内とその千日詣りをしたのは、師の誘いが長年気になっていたからでもある。千日詣りはいわばまじないであり神頼みだ。人間はしばしば矛盾行為をするが、本人も周囲もさほど不思議に思わない。ちょうどそんな曖昧なものとして寺や神社もある気がする。神仏を信じないと言いつつ、どこかで願いがかなえられればいいと思う。それで自分の想像を超えた神や仏、それに類する存在があるかもと思っている。上田秋成は母が神社に熱心に参拝して子どもの頃の自分の病気が治癒したことを長年覚えていて、神に祈ると通じると信じていた。あるいは合理的な彼であったので、そうした信仰を否定しなかったと言うべきだが、念力と言えばいいか、人によってはそれが抜群に強い人があろうし、またそう思う謙遜の情は大事で、そうである限りは神も微笑んでくれると考えれば、実際にそのとおりになる場合が多いのではないか。筆者はそう考えている。それでこの「神社の造形」の投稿を始めて以来、割合いいことがよく生じることに気づく。念が通じると言えばいいか、御利益としか思えないことがよくある。ただし、それは前言のように、まず謙遜の思いを忘れないことだ。有頂天になり過ぎると必ずしっぺ返しがある。それをバチが当たったとは言わないが、よいことがあれば感謝すべきで、そういう思いが念として神と呼応する気はする。話を戻して、御利益のために筆者は神社を訪れているのでは全くないが、神社が存在するにはそれ相応の理由があって、その立地は今流行りの「パワー・スポット」であることは疑いがないと考えている。ある因縁によってその力のようなものを持つに至り、また境内が常にきれいに清掃されていることはその力が持続していることを意味する。逆に言えば、打ち捨てられた神社があれば、そこにはパワーがない。これはパワーは形に現われるという考えで、形がないはずの神と矛盾すると言えるが、人間は形を持って精神が宿り、精神は形に宿るから、神社の造形を通じて人間の神に対する思いの一端を知ろうとする筆者の考えには合理性がある。頼み事があってお詣りするのではない。神社の雰囲気に一瞬であっても浸るのは気分転換によく、また記憶に残るもので、神社の力とでもいったものにわずかでも心身が感化される。ただし、それが必ずしもいいことばかりではない気はしている。朝鮮人参やニンニクは、体の弱い人にはあまりよくないと聞く。神社はそれと似ていると感じることがたまにある。ましてやブログ・ネタのために片っ端から訪れると、いくら八百万の神でも軽薄と感じるかもしれない。
●神社の造形―白山神社_d0053294_20543043.jpg
 去年11月21日の午後、母宅に立ち寄った後、河原町丸太町のバス停で下車し、東南方向目指してジグザグ歩きをした。四つ辻があれば必ずそこで曲がる歩き方で、筆者はそれを10年前、中京区にある便利堂からの帰りにたぶん意識して初めて実行した。同社から南東にその歩き方をすると四条大宮辺りの交差点に着くが、その日は途中でその歩き方をやめた。それはともかく、めったに歩かない道を知りたい思いから河原町丸太町から南東にジグザグ歩きをすると、左手に白山神社が現われた。立ち止まって中をうかがうと、社務所から年配の男性の顔が見え、境内に入らずに通りから写真を撮ってその場を後にした。その日、目当てにしていた神社でもなかったからだ。ところが撮った写真はあるので、それを投稿するためにネットで調べた。場所は麩屋町押小路を下がった東側だ。小さな神社で、よくぞこんなところになぜという気がする。調べると、最初は御池通りに至るほど境内は大きかった。それが小さくなったのは、梨木神社に似て、徐々に維持が困難になり、土地を売却したのではないか。肩身が狭くなった形だが、あるだけましで、もっと維持困難になれば出世稲荷神社のように移転するだろう。この神社の由緒はとても興味深い。およそ900年前にかつて白山通りと呼ばれたことのある、おそらく現在も道幅がほとんど変わらない麩屋町通りにあった出来事を想像すると、京都の歴史の長さに感心する。それは東京では望めないことだ。平安末期、加賀の白山神社の第八社で平家が暴れ、それに対して僧徒たちが朝廷に訴えるために神輿3基を担いで京都にやって来たが、内裏で公卿に受け入れられず武士に排除され、仕方なく退散することにしたが、現在の白山神社のある場所で神輿が動かなくなり、そのまま帰郷した。それで神輿3期を各町内に分けて祀ったとされるが、この白山神社で1基が現存するとは書かれていない。動かなくなった神輿を廃棄することは出来ず、それで神社を造ったとすれば、よほど信心深かったが、今でもそういう神輿があればゴミ同然に捨てる人はいないだろう。神輿がたまたま動かなくなったのは、そこに神様が腰を下ろしたいためと捉える考えはとてもおおらかで、またそうして出来た神社が現存することにさらに驚く。「白山」はこの地域の町名にも残っていて、何も知らずに歩けば日本のどこででもあるような街路だが、民家に混じってこの神社があることはとても目立ち、またエネルギーを放っている。歩いてもそれに気づかない人はいるだろうが、一旦気づいて気になって調べると、京都あるいは日本の信仰がさまざまな縁を大切にしながら続いて来ていることを知り、その歴史の長さの前では、まじないや神頼みを無意味と一蹴出来ない貫禄を感じる。そういう考えの人は今までいたはずで、それで境内も縮小されたと思うが、残っていることは無視し切れない何かがあるからだ。
by uuuzen | 2016-05-08 23:59 | ●神社の造形
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