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●神社の造形―廬山寺の弁財天
えるのではなく、あまりその気にならないので投稿を怠りがちなカテゴリーがある。それに元々投稿したい気持ちを我慢するほどのことはない。気になっていることは消化したいし、またついでに書いておきたいという程度の気持ちだ。



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それで今日から7,8回の投稿になると思うが、去年11月21日、ひとりで市バスに乗って巡った京都市内の神社の続きを投稿する。当日は14,5の神社を巡り、一日で巡った最大の神社数で、写真を投稿用に全部加工しながら投稿がかなり遅れている。去年12月下旬には東京に行ってたくさん神社を訪れたので、なるべく訪れた順に投稿しなければ撮影した写真が埋もれてもったいない。撮影は一瞬でもその時のことはよく記憶してもいるからだ。今日は京都御所内の神社を巡った後、梨木神社近くの御所の門から寺町通りに出た際に訪れた蘆山寺について書く。昨日の弁財天つながりだ。丸太町通りから北の寺町通りは左手に御所があるので、丸太町通り以南と違って全く繁華ではなく、歩いている人はほとんど見かけない。タイガース、と言っても野球ではなく、日本のグループ・サウンドだが、その歌手であったジュリーが出た鴨沂高校や、またその南に同志社を設立した新島襄が暮らした邸宅があるなど、落ち着いた雰囲気が今出川通りまで続く。もっとも、今出川通り以北の寺町通りも雰囲気はよく、また相変らず寺が多くあるが、母はその寺町通りをほんの少し東に入ったところに住む。河原町通りを歩くと店が多くて飽きず、そのため寺町通りを歩くより時間がすぐに経つ気はするが、バスや車が多いことを嫌う気分であれば、また歩くのであれば寺町を行く。さて、蘆山寺は大阪のお笑い芸人で片割れが京大卒のロザンを筆者は連想する。その芸名が蘆山寺に関係するのかどうか調べたことはない。蘆山寺は京都の人なら必ず聞く名前で、毎年節分で刀を持った赤鬼、青鬼が登場して踊る儀式や豆撒きがあり、その様子はTVニュースになる。京都はほかにも豆撒きをする寺が多く、地元の寺の節分会に訪れることが普通だが、蘆山寺の周辺に民家は少ないので、その節分会をどういう人が見に行くのかと思う。それは蘆山寺から東1キロほどに吉田神社があって、河原町通りを挟んでいるとはいえ、上京、左京の住民は境内が広くて露店がたくさん出る吉田神社に行くはずと思うからでもあるが、寺であれば檀家があって、一年を代表するような催しの人集めを心配する必要はないのだろう。蘆山寺に角大師の御札があることは2年前の投稿「魔除けと招福の御札」で触れた。それ以降気になりながら、当日はいくつも神社を巡るつもりでいたうえに筆者ひとりで訪れたので、いつか家内と拝観しようと思って5分ほどで境内を出た。境内には人影は皆無であったが、ホームページを見ると国宝や重文の仏像があり、また見どころも少なくない。
●神社の造形―廬山寺の弁財天_d0053294_22430411.jpg 門は南北にふたつあり、南の門は「紫式部邸宅址」のまだ新しそうな大きな石碑があるが、柵が設置してあってそこからは入れない。それで北門を入ると、突き当りに比叡山の延暦寺にある元三大師堂に似た建物がある。大師堂で、これはもちろん元三大師のことで、その前の両脇に立派な一対の石燈籠があるのが目立つ。角大師の御札はその大師堂の南にある「入口」の立て札のある木製の柵から入って突き当り左手で買えるのだろう。また本堂やその庭である「源氏庭」の拝観もそこで受け付けているのだろう。筆者はその「入口」から入ってさっと本堂前を一巡しただけだが、「入口」の柵を入って右手に鐘撞堂があった。その前に画家の池田遙邨の筆塚があって写真を撮った。今日の2枚目がそれだ。遙邨と蘆山寺の関係は知らない。彼が蘆山寺を画題にしたことはないと思う。それに日本画家が写生したくなるようなものはないと思えるので、この筆塚はどういう縁があってのことか興味が湧く。今日の3枚目の写真の祠は、北門を入ってすぐ右手つまり南側に寺町通りを背にして塀沿いにあった。あまりに小さいので、どういう経緯でそこにあるのかわからないが、ネットで調べて弁財天を祀ることを知った。紫式部が「源氏物語」を書いた場所であるので、女性の神の弁財天を祀ることにしたのだろうか。そう言えば「源氏庭」は桔梗の花で有名のようで、それも紫色の花が紫式部を連想させるからではないか。筆者が訪れた時、最初の写真に見えるように、北門に『初公開 与謝野晶子筆「源氏物語礼讃」』の立て看板があった。この書は与謝野かそのファンが寄贈したものだろう。となれば、池田遙邨が境内を描いていればその絵が寺の宝物になるが、筆塚を遙邨が建立したのであれば遙邨は絵を寄贈しているのではないか。またその筆塚は一般人が使い古した筆を納めることが出来るようには見えないが、遙邨ファンには遙邨の墓の代わりをするように見える。嵯峨の車折神社にある渓仙桜もそうだ。境内は案外狭いと思ったが、筆者が一巡した本堂前からさらに東へ進むことが出来て、その突き当りは皇族らの墓地がある。またそこに至る途中に御土居の遺構があって、これは家内と見に行きたい。この寺が皇族と関係があるのは、明治維新まで宮中で仏事を司っていたのが、廃仏棄釈で仏教は不要となり、天台宗に預けられ、明治天皇の勅令で4つの寺のうち唯一復興された。御所のすぐ東にあるので、明治天皇は縁を切るのが忍びなかったのだろう。また元は吉田山の南にあったのが、秀吉が寺町を造った際に現在地に移転させられ、それで境内の東に御土居があったことは理解出来る。寺町通りを歩いているだけでは全くわからないことが寺には多い。もちろんそれは普通の家でもそうだが、緑の多さで言えば寺社はその比ではなく、無料で見られるところは積極的に足を踏み入れようと思う。
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by uuuzen | 2016-05-06 23:59 | ●神社の造形
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