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●神社の造形―縣神社の稲荷大神、伏見の弁財天長建寺
訪神社が深草の石峰寺にあったことが江戸時代半ばの名所図会からわかる。神仏が入り混じって信仰され、また有名な大きな神社は日本の各地の寺に支店として小さな社が建てられた。



●神社の造形―縣神社の稲荷大神、伏見の弁財天長建寺_d0053294_14014172.jpg
それほどに人の移動があり、信心深くもあった。また何事も徒歩であったから、人力による尽力を永らく見える形として残すため、なおさら神社の勧請は鳥居とセットになった祠の建立が求められたのであろう。神聖な場所として鳥居と祠があるのは当然かもしれないが、神は万物に宿り、大きな山や木、石でも代用出来るし、それが御神体になっている場合がある。また石峰寺にあった諏訪神社がなくなったことは廃仏棄釈時の寺の関係する一方、祠が劣化し、拝む人がいなくなったこともあり得る。寺や神社がなくなることはよくある。さて、大きな神社を訪れると目につくものが多く、1回の投稿では写真を消化出来ず、また別の神社に次々と行くので、このカテゴリー用の写真は増え続けている。なるべく撮影順に投稿するつもりでいるが、今日は去年11月21日にまとめて訪れた神社の紹介の続きではなく、前回の弁財天つながりで去年8月19日に宇治の妹の家に行った時、そしてその帰りに伏見に住む息子の家の向かう前に撮った写真を使う。最初の写真は宇治の縣神社で唯一朱色で目立つ稲荷大神だ。伏見稲荷大社から縣神社まで10キロほどで、宇治から伏見まで日帰りで歩いてお詣り出来るが、江戸時代以前ではそんな暇な農民は珍しく、毎日五穀豊穣を祈るために勧請されたのだろう。今はどの神社でもどんな願い事をしてもよいようだが、祭神が異なれば御利益も違う。それゆえ、さまざまな祭神を勧請して小さな社を境内の隅に並べて建てたが、表向きはどの祠も同じような形で、家で言えば表札に当たる扁額がなければ区別がつきにくい。その点、稲荷神社は朱色の鳥居や玉垣で目立ち、また神社の代表的なその色合いはいかにもありがたいように見える。朱色はそれだけ手間をかけていることであり、また樹木の緑によく映える。筆者は子どもの頃、花札に描かれる短冊にひとつに、平仮名で「あをによし」と書かれることを知り、やがてそれが「青丹よし」で、緑と朱が映えて美しいことを意味すると思い至った時、春日大社を思い浮かべた。緑豊かな山に朱色の社殿はとてもよく映える。そしてその最も奥深い神社が熊野三山であるといつの間にか思うようになったが、その三つの神社を訪れようとしながら、またそのツアーを旅行業者から送られて来るパンフレットを眺めながら、なかなか実行出来ないでいる。その話を去年8月19日に妹にすると、最近夫と車でさっと回って来たと言い、玄関間の片隅に飾ってある三山の御札や破魔矢を示した。それが今日の2枚目の写真だ。思い立てばすぐに行動する妹で、ラス・ヴェガスを初め欧米各地を何度も旅行している。帰り際に玄関脇の数鉢の蓮が結実しているのを見かけ、その「はちす」を2個切り取ってもらった。
●神社の造形―縣神社の稲荷大神、伏見の弁財天長建寺_d0053294_14020204.jpg 「はちす」は褐色に枯れたものを昔どこかで入手したことがあるが、鮮やかな緑色の状態のものは初めて手にした。なぜそんなものがほしいのかと訊かれ、中の種子を食べると言うと、食べられないと驚かれた。中国では饅頭などに蓮の実を混ぜる。つまり普通に食べるのだが、それがどういう状態で収穫したものかを筆者は知らない。まさか褐色に干からびたものではないはずだ。とはいえ、まだ緑色であればえぐいかもしれない。そう思いながらそのまま放置すると、今では褐色になって中の実が取り出せる。その形が独楽になりそうで面白い。結局ひとつも食べなかったが、すっかり枯れた状態では発芽するのだろうか。たとえ発芽するとしてもわが家では妹宅のように大きな蓮の鉢を何個も並べる場所がない。帰りは車で京阪宇治駅まで車で送ってもらい、その車中でレディ・ガガの曲を聴かされた。ポップスに敏感なのだ。筆者はガガがザッパの家を買ったとは言わなかった。ザッパの話をしてもわからないからだ。兄妹でもお互い結婚すれば配偶者からの感化もあって、考えは次第に変わって行く。また車に乗れば行動範囲が広がり、熊野三山でもすぐに行ける。車を運転しない筆者はその発想がなく、熊野はとても遠い。ヨーロッパと同じほど遠く感じる。平安時代の京都の貴族はそれを京都から歩いて何度も通ったが、その費やす月日が長いほどに信心の思いも深まったのだろう。手軽に手に入るものは何となく価値が低いように感じる。遠くにあり、そこまで自力でようやくたどり着くというところにありがたさがあると感じることは、去年妹宅に行く20日前に登った愛宕山の千日詣りでよくわかった。山頂の愛宕神社に行かねば手に入らない特別大きな御守り札がある。それは車でさっと行って買うことは出来ない。御利益は労苦に比例するのではないか。貧しいものはせめてそう思うしかない。それで妹が熊野三山で買って来た御札に筆者はほとんど注目しなかった。さて、京阪電車を利用すると終点の宇治から終点の中書島まで7キロほどだ。中書島で下りて濠川沿いの道を北上し、大手筋商店街近くにある息子のアパートに行くことにした。2年前の3月下旬、筆者らが行くのに便利なように山科から転居させた。部屋にいないはずだが、家内は掃除をしてやろうと言う。濠川沿いは家内と何度か歩いたことがある。伏見独特の風情が溢れる道だ。そのひとつに今日の3枚目の写真の建長寺の弁艶やかな柄色の壁がある。この寺に最初に家内と訪れたのは何年前のことだろう。その時は境内に入り、女陰を刻印した御守りの硬貨の存在も知った。本尊が弁財天で、財運の御利益があるとされる。弁財天は裸で表現されることがあり、かつて遊郭のあった中書島のこの寺ではそれは遊女を連想させる。芸事上達の神でもあって、弁天さまは現代の芸能人の化身でもあろう。レディ・ガガなら弁天の身なりで歌いそうだ。
●神社の造形―縣神社の稲荷大神、伏見の弁財天長建寺_d0053294_14023878.jpg

by uuuzen | 2016-05-05 23:59 | ●神社の造形
●『WHO THE F*@% ... >> << ●神社の造形―廬山寺の弁財天

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