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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●『森村泰昌 自画像の美術史 「私」と「わたし」が出会うとき』続き
屋の白袴と言われる。筆者は女性のためのキモノを染めることが本職なので、男つまり自分が着用するものはネクタイを除いて作ったことがない。



ヴェストなど、洋服のほかのものを染めようかと思わないでもないが、襟つきの綿シャツなら連続模様のプリントが相場で、それを手描き友禅で染めては手間がかかり過ぎる。Tシャツなら70年代に絞りの1点ものが流行ったし、生地に水気をたっぷりと含ませた状態で筆に染料をつけて描けば、自由なぼかし絵を染めることが出来るが、輪郭がくっきりとしたロゴのようなものを表現したい場合は友禅かシルクスクリーンの版画に頼るしかない。それはさておき、江戸時代の絵師は自画像を描く慣習がなく、その点で紺屋の白袴であった。また自作を自宅に飾ることもほとんどなかったはずで、やはり紺屋の白袴であったが、絵師は芸術家ではなく職人であったからだ。天才芸術家の代表としておそらく今後もレオナルド・ダ・ヴィンチが位置すると思うが、そのことは昨日投稿した最後の写真、つまり今年4月から6月中旬まで大阪の国立国際美術館で開催された森村泰昌の展覧会チラシの見開き内部の写真からもうかがえる。同展は第1章が「自画像の美術史」とされ、チラシではその最初にレオナルド、次にデューラー、レンブラントが取り上げられ、生まれた順になっている。その下の写真はレオナルドの「最後の晩餐」に倣ったもので、白卓に着く歴代の巨匠の中央すなわちチラシ見開きの折り目に位置する画家がレオナルドで、キリストの扱いだ。レオナルドをキリストと目するのはその風貌からして妥当で、その点でデューラーが自身をキリストになぞらえた自画像も影を薄くするが、森村がなり切るそのデューラーは、白卓ではキリストの右隣りに座し、準キリストの位置だ。面白いのは、この白卓の12人は、向かって左端が紺色のジャケットを着た森村で、彼が他の11人から少し離れたところに位置することは、彼がユダであることを暗示している。これは歴代の巨匠になり切った自画像を制作して有名になった森村を、キリストであるレオナルドが代表して赦すという図式で、森村は内心少しはそのパロディ、コピー精神を巨匠たちに対して恥じ、しかもやはり面白がっている様子が伝わる。これは大阪人特有の「いちびり」の精神で、ふざけながらも真面目、真面目でふざけるというこの態度は、今はお笑い芸人が代表している。つまり、森村は吉本興業を生んだ大阪の遊び心を代表し、それを芸術の域に高めようという意気がある。ただし、その芸術の域は人によって思いがさまざまで、真面目に真面目であるべきと考える人は多いだろう。それが面白い作品になればいいが、この「面白い」を理解しない人は多い。「面白い」は大阪では最大の讃辞で、面白くないものは大衆の人気を得ない。だが、大衆の人気を得るものが「面白い」の本質かと言えば、全然違う。
●『森村泰昌 自画像の美術史 「私」と「わたし」が出会うとき』続き_d0053294_13064140.jpg
 美術好きは百人にひとりもいないだろう。百人にひとりとして1億人で百万人だ。各地の展覧会はそれらの人々を相手にし、その百人にひとりのうち、こうしてブログに長文の感想を書く人はたぶん千人にひとりもいないはずで、筆者のこの文章を読む人はさらにその百人にひとりと考えれば、10人という計算で、やはりと思う。そのようなごくごく狭い、少ない人を相手にする展覧会は収支を考えるとだいたいは大赤字だ。そんなものは不要であると大阪の市長、知事は考え、お笑い芸人を見本にせよと暗に言うが、お笑い芸人の「面白さ」は芸術のそれとは全く別種のものだ。それでごくごく狭い、小さな「面白さ」が多くの人に支持されるが、そこに森村の芸術を対峙させると、卑小な「面白さ」を退治しようという、胎児から本当は具わっているはずの人間の尊厳と言ってよいものがあるのではないかと考えてみることは必要だ。それは、そのように思わせる「面白さ」が森村の作品にあるということで、森村の作品行為は、鑑賞者が読み取ろうと接近しないことには見えて来ないものがある。それはどのような芸術でもそうだが、森村の場合、有名な絵画を元にするので、鑑賞者はまず瞬時に作品を把握し、その一種醜悪さに度肝を抜かれ、次にその反応が何に起因するのかなど、さまざまな面から作品行為について考え続ける澱のようなものを宿す。その澱は原画を最初に見た記憶とは関係がない。森村の行為の結果の作品がどういう意味を持つのかという、ねばつく感覚だ。それが嫌悪を伴うものであれば、森村は現代の特質として嫌悪ないし憎悪を認めているからだ。一方、森村は選んだ名画を描いた画家に対して敬愛の思いがあることは確かで、その輝かしい列席に自らも連ねたいという願望がありながら、それが各巨匠に対する「なり切り」の自画像である点が物悲しさを誘うが、そのいわば絶対的アウラに届かぬ思いは現代の芸術家に特有なものとも思え、美術史から今後は自画像がなくなることと、また森村の歴代巨匠なり切り絵画における森村の各自画像がひとつの指針を与えているとみなすことも出来る。それが市中では顔出し看板に似たものがあることは昨日書いた。市中の証明写真撮影用ブースが示すように、戦後は誰でも気軽に、毎日でも自分の顔を撮影することが可能となり、また化粧と服装を変えることで別の個性を示し、それを作品化することが可能になったことは、以前投稿した澤田知子の作品が表わしている。澤田の変身写真と森村の巨匠なり切り作品は根が同じながら、後者は美術史すなわち確定した評価、名声に依拠し、また憧れがうかがえる点で芸術としてはいかがわしさが強い。澤田の作品は美術史を考えない楽天性と、また圧倒的で愉快な「面白さ」があるが、その面白さはお笑い芸人のそれのように底が浅く、澤田は森村とは違う観点でもっと美術史に関心を持つべきだ。
●『森村泰昌 自画像の美術史 「私」と「わたし」が出会うとき』続き_d0053294_13065605.jpg
 紺屋の白袴で言えば、森村は自分の袴をあらゆる色に染め、それを見せることで稼いでいる点で、江戸時代で言えば職人かつ芸人だ。筆者は自分の顔をめったに撮影せず、ネットに載せることもほとんどないが、そのことから森村を思うと、とても勇気があると感じる。だが、巨匠なり切りであれば化粧し、森村本人の原型をあまり留めないので恥ずかしさは減る。またそうしてさまざまな形で顔を露出していると、役者のような気持ちが育まれ、素顔を晒すことに羞恥はなくなるだろう。有名になれば人前に出る機会が増え、そのことでも自分の顔に自信が持てるようになる。ネット時代になって有名人とは顔が知られていることと同義になり、それで積極的に自分の顔写真をネットに載せて有名になりたがる無名人が増殖しているが、澤田や森村の作品はそのこととの関係で考察する必要がある。というのは、自画像のない有名画家が日本の江戸時代以前には多いからだ。若冲がそうで、その顔がわからないことがもどかしいながら、わからくても若冲の芸術は何ら損していない。若冲に自我意識が乏しかったとは言えず、むしろ強烈にそれはあった。蕭白にしても同じで、作品がそれを証明している。森村が若冲の鶏の顔に自分のそれをはめ込んだ作品を作っているのかどうか知らないが、セザンヌのリンゴを使ったからにはそれはたやすい。それでも本展の副題「自画像の美術史」が表わすように、巨匠の顔に森村は関心があり、またそうした自画像を西洋の絵画がルネサンス以降提供して来たことは、自我への意識が強くなって来たからで、その末端に森村がいる。男だけなのかどうか、また知的なことに興味を抱いている者だけかどうかは知らないが、筆者はそれなりの立派な業績を遺した人物の顔に関心が強い。そして有名な人物はみなとてもいい顔をしていると思う。森村もそのことを強く思っているはずで、それゆえに巨匠の自画像になり切ろうとする。そこには自分の顔に対する自信のなさが垣間見えもする。昨日書いたディックスやコリントは、自分の顔を描き続け、特に後者は老いて崩れて行く様子を容赦なく、執拗に表現した。それはレンブラントも同じだが、森村はそこまで自分の老いて行く顔を凝視するだろうか。ランダムに自画像の名画を取り上げてなり切るのでは、彼自身の老いは刻まれようがない。つまり、素顔で勝負する態度があるかどうかだ。そう考えると森村の作はアンソールの仮面を描いた作にとても近いように思うが、アンソールは仮面に囲まれた自画像を描き、自分が仮面になろうとはしなかった。澤田も森村も仮面としての自画像を表現し、それは整形美容である程度はどのような顔にも作り変えられる、また作り変えたい人が増えて来ている人の多さと重なる。いずれ森村の顔をそっくりに整形手術した人物が森村になり切って作品表現をするかもしれない。そういう不気味さを森村の作品は暗示してもいる。
●『森村泰昌 自画像の美術史 「私」と「わたし」が出会うとき』続き_d0053294_13062533.jpg
 6月19日は本展を見る前に家内と鶴橋に出た。ネットの「日本の古本屋」で見つけた本を買うためだ。その店にしか売られておらず、ちょうどよかったのだが、店主は売り切れたのにネットから消去するのを忘れていたと謝った。そして少し談笑し、筆者は森村のアトリエがどこにあるかを訊ねた。するとすぐ近くの喫茶店の前のことで、早速そこに行って撮ったのが今日の2枚目の写真だ。右のシャッターが閉まっている場所がそうで、線路の高架下だ。筆者は古本屋の主に、森村のお父さんが経営する茶舗の場所も訊ねた。すると、同じ町内で、少し南に行った大通り沿いにあると言う。その日は探さず、後日グーグルのストリート・ヴューで調べて、ようやくわかった。その店の前なら筆者は大阪に住んでいた頃に何度か歩いたことがある。5年前に兵庫県立美術館で見た『森村泰昌 なにものかへのレクイエム-戦場の頂上の芸術』の会場で、筆者は森村がその店の内外で撮った映像作品を見た。その時にその店がどこにあるのか気になった、本展を見る直前に鶴橋でだいたいの場所が判明した。森村はその店を映像作品に使ったし、またグーグルで外観は記録されているので、今後取り壊されてもさほど惜しくないだろう。保存して森村記念館にするには木造では脆弱で、また森村の作品を展示するには狭い。本展でも森村が作った映像作品の上映があったようだが、1時間以上もあって筆者は見なかった。チラシにはその映像作品からゴッホになり切った森村がネオン街を見上げる写真がある。浮世絵を見て日本に憧れたゴッホが現代の日本の都市を見て驚き、また疎外感を味わうことを暗示しているようだが、ゴッホの生きた時代と現代の疎外感は同じはずで、ゴッホはネオン街を見て狂喜し、それを描いたことはあり得る。ゴッホの星空を描いた作品はほとんどパチンコ屋のネオンで、ゴッホは人工的な光も好んだのではないか。ゴッホが生きていれば現代をどう思ったかという想像は誰にもわからず、したがってどうでもいいことで、思うだけ時間の無駄でしかもセンチメンタルないし大衆に媚びるようで筆者は好まない。森村はアメリカのポップ・アートの洗礼を受けつつ、現代芸術の醜悪性、キッチュな面をよく自覚している。そこで美術の「美」とは何かが問われ、筆者も自問する。醜を通じて美の表現を求めることに歴史はある。醜の皮膚の下に輝く美の真実があるというイメージは、その反対の、つまり美に隠された醜を知るよりも鮮烈で、人々は喜びやすい。美しく表現すればするほどに嘘に見えるという懐疑を現代人は抱いている。とはいえ、圧倒的に美しさを感じる美しい絵画はあり、要は画家の精神が作品にそのまま表れる。美術史に燦然と名前が登場する巨匠たちは自我にどう向き合ったか。その自我はそのまま自分の顔に表われていると思ったとして、誰かになり切ろうとは思わなかったはずだ。
by uuuzen | 2016-07-12 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
●『森村泰昌 自画像の美術史 ... >> << ●嵐山駅前の変化、その398(...

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