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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●『森村泰昌 自画像の美術史 「私」と「わたし」が出会うとき』
集に偏執するにつれて理解出来る人は少なくなるが、その理解する人は多くの知識を持っているので、そういう人を納得させなければ一時的な名声を得ても没後まで長続きすることはないだろう。



●『森村泰昌 自画像の美術史 「私」と「わたし」が出会うとき』_d0053294_01291234.jpgとはいえ、死んだ後のことはわからず、生きている間に光が当たればよいとたいていの作家は思っている。光が当たらねば収入に困り、満足な制作が出来ないからだ。特に画家や彫刻家はアトリエを確保せねばならず、材料費も馬鹿にならない。森村泰昌は筆者と同じ1951年の大阪生まれで、生まれた場所も2キロほどしか離れていなかった。同じ学区であれば同じ学級になってその人となりについてここ書くことが出来たかもしれないが、同じ時代の空気は吸い、また筆者も美術史に関心があるので、少しは思うところがある。いつ読んだか忘れたが、森村は世界の有名な現代美術家に対して、なぜこんなものが芸術として高く評価されているのか、またそれに伍するにはどういう方法があるのかと悩み続けたとのことだ。これは音楽ではどのような前衛をやってもジョン・ケージが大方やってしまっていることに通じるが、現代美術ではデュシャンだ。筆者は20歳頃から盛んに美術に関する本を買って読み、デュシャンがどういう作品を作ったかは20歳頃に知り、その前後の西洋の美術以外の歴史について、つまり美術史について知識はあった。展覧会に片っ端から行き、それは習慣となって今に至っているが、今日取り上げる森村展もだいたい内容は想像出来たが、まあ見ておこうと思った。訪れたのは6月19日で、その前に家内と鶴橋から歩いて玉造の神社を訪れた。話を戻して、筆者が最初に知った森村の作品は、セザンヌのリンゴを描いた静物画のそのリンゴに自分の顔を埋め込んだもので、美術雑誌で見た。セザンヌの描くリンゴに自分の顔を埋め込むところに自意識の強さと少々の無理を感じたが、その後森村は静物画を引用せず、もっぱら画家の自画像になり切って撮った写真を発表する。一旦そのことが決まれば、後は手変え品変えではなく、手はそのままで品を変えることに邁進し、美術好きなら誰でも知っている巨匠の作品を次々と網羅することになった。それが筆者には退屈に思える。美術史は近世ではたとえば古典派からロマン派、そしてレアリスム、その後は野獣派やキュビスム、シュルレアリスムなどと、一連の流れがある。もちろん西欧でのことだ。その一連性のうえに前衛が次々と登場するが、森村の前述の自画像シリーズは、レオナルドやファン・エイク、デューラーといった歴史順ではなく、たぶん思いつくままだ。つまり、森村の作品は美術史の発展ないし流れに呼応せず、時が停まったのと同様の状態で制作する。そのいわば取りつくしまのない仕事にまことにご苦労と思うと同時に、新作を見てもそれは今までの作品の穴埋めである以上の驚きを感じない。
●『森村泰昌 自画像の美術史 「私」と「わたし」が出会うとき』_d0053294_01295256.jpg もっと端的に言えば、森村は職人で、同じ作業をセザンヌのリンゴ以降やり続けているということだ。そこにデュシャンの格好よさはない。デュシャンは退屈することが大嫌いで、同じことを繰り返さなかった。それゆえ作品は少ない。デュシャンの後、美術の本場はニューヨークに移り、そこからアンディ・ウォーホルが出て来るが、彼はデュシャンとは反対に、あるいはデュシャンがやった複製即創作の概念を拡大し、画題を変えた作品を版画によって量産した。儲かる度合いから言えば、圧倒的にウォーホルで、彼はシルクスクリーン工場の職人を食べさせるために大量に作品を生む必要があった。その点、デュシャンは金儲けや名声には恬淡として、好きなチェスで時間をつぶすなど、ダンディ具合が現代美術家では最も高い。美術に対して白けていたのだろう。その点はウォーホルはもっとであったと言ってよく、絵画に優れた技術などもはや不要で、一旦有名になれば、世間はどんなものでもその作家のものをほしがる熱狂性、つまりアイドル性が確保出来ることを知っていた。アメリカの60年代はそういうポップな時代で、ウォーホルはその時代のイコンとなった。アメリカ文化を貪欲に受け入れる日本がウォーホルの影響を受けて当然だが、一方では明治から西欧の美術を受容して来た歴史があり、西洋美術史のあらゆる流派を飲み込み、何でもありの状態で現在に至っている。それを無個性と呼び切ることは出来ない。日本美術史があるからだ。その基盤上に西洋が積み重なって独特の美術を形成している。それは他のアジア諸国でも大なり小なり言えることだが、日本はアジアでは最も早く欧化を遂げたので、アジア的西洋美術を学ぶには日本が最適だろう。ただし、美術は一方では国の経済力がものを言うから、今後数十年のうちに中国の現代美術は自らの数千年の美術史の上に欧化の影響を日本とは全く違った形で遂げるであろうし、その兆候はもう見られるのではないか。それはウォーホルのポップ・アートを吸収し、中国らしさも持ったもので、そういう芸術を想像すると筆者はわくわくする。それが日本の現代美術とどう違うのかという点に関心があるのだが、日本の現代の美術ないし今後のそれを考えるうえで大きな意味を持つと思うからだ。また話を戻すと、森村の作品は全体として見れば美術史の巨匠の作を自分の顔で網羅する行為で、パロディないしコピー芸術とみなしてよい。そしてそのことはデュシャンが「モナ=リザ」でやり、ウォーホルがマリリン・モンローやプレスリーの写真をそのまま使った版画で行なったことであり、その延長上にある。現代美術でいかに独自の方法論を確立するか。その答えを森村はデュシャンやウォーホルから学び、また写真を使ったこともいかにも現代的だ。それはウォーホルのように写真から版画を造る手間がなく、さらに効率がよくなった。
●『森村泰昌 自画像の美術史 「私」と「わたし」が出会うとき』_d0053294_01303040.jpg
 森村がなり切る自画像はどれも巨匠で、ネタの尽きは早く訪れると思うが、自画像ないし肖像を描いた名画はたくさんあるので、森村の一生では制作時間が足りないかもしれない。それは森村が一作を制作するのにどれほど時間を要するかに関係する。一方、美術ファンなら誰でも知っている名画を浚い尽くせば、やや有名な画家に移るしかないが、それでは知る人は少なくなって効果、つまり人をあっと言わせる驚きの度合いが見込めない。こう書きながら筆者が思い浮かべているのは、たとえばオットー・ディックスやロヴィス・コリントの自画像だ。筆者はそれらを大いに愛好しているが、森村は食指を動かさないだろう。美術ファンでもあまり知らないからだ。そこで森村の「巨匠なり切り自画像」は、見る人に「ああ、あの名画か」と最初に思わせ、次に「なんだ! 別人か」と驚かせることを意図したもので、巨匠の自画像が内臓する精神性とは全く無関係のものと言える。そこが面白いと森村は考えるのだろうが、そこが少しも面白くないという意見もある。そこで問題となるのが、日本の現代において、あるいは世界に広げてもいいが、美術家が自作に深い精神性を意図することがもはや不可能になっている、あるいはむしろ滑稽とみなされる状態にあるのではないかということだ。デュシャンやウォーホルの作品に精神性がないとは言わないが、レンブラントやゴッホの自画像にあるような精神性をそもそも意図していない。ダダイズムはあらゆるものを否定し、嘲笑したが、それを経験した後、つまり世界的な大戦争を経た後、もはや精神性の回復は不可能になったとみなすことも出来る。簡単に言えば、みんな白け切った。信じるものがないと言い替えてもよい。特に日本ではそうだ。仏教はあってもそれを心底信じている人を筆者は見たことがない。それはおそらく欧米でも同じで、敬虔なクリスチャンはきわめて稀ではないだろうか。では何を信じるかとなれば、アイドルや金だ。そのことをウォーホルはマリリンやドル記号を描いて示した。とはいえ、ウォーホルは金さえも嫌悪したのではないか。そしてウォーホル自身はマリリンやプレスリーのような偶像に上り詰め、その点で思い残すことはなかったと思うが、森村はその偶像への道を美術史の巨匠に扮することで目指し、大規模な本展が国立国際美術館で生きている間に開催されたことで、ある意味思い残すことはないだろう。とはいえ、彼は死ぬまで制作を続けるし、次なる名画を探し続けるが、前述のようにそれはひとりの美術家の制作の生涯として見た時、同じことの繰り返しで、筆者は全然違う発想による、それでいて過去の作から有機的つながり、さらに思考が華々しく飛躍した作品を見たい。だがそれは年齢的に可能なことだろうか。可能とすれば、それが具体的にどういう形になるか筆者にはわからないが、破壊的な行為しかないだろう。
●『森村泰昌 自画像の美術史 「私」と「わたし」が出会うとき』_d0053294_01310241.jpg 美術史からランダムに巨匠の絵画を引用する行為は、どこまで行ってもランダムに終わる。またそれは森村である必要はなく、森村の作品をさらにパロディ化して作品を作る者が出て来るだろう。森村の作は観光地によくある顔出し看板と同類で、森村の作品の森村の顔を刳り抜いて別人が自分の顔を埋め込むことは今ではたやすい。もちろんデジタルの解像度はうんと低くなるが、それはそれでひとつの思想になり得る。だが、森村はそのようにして自作が顔出し看板となって使用されることを望んでいるのかもしれない。それは引用した巨匠や自分を貶めることにはならない。その反対で、どこでも手軽に顔出し看板になることで、原画はますます有名になる。ムンクの「叫び」が日本ではちょうどそのように受容されている。現代は精神性の時代ではなく、遊び、マンガの時代なのだ。それで日本のアニメやマンガが世界的にもてはやされる。とはいえ、それが美術史にどう組み込まれて行くかとなると、アメリカのポップ・アートが60年代に先例を生んでいて、日本はそれに追従しつつ、マンガの本家としてどう独創性を発揮して欧米に認めさせられるかだ。さて、ウォーホルの版画は大きくて派手な色合いのものが多いが、アメリカではそれくらいでなければ目立たない。また版画という複製は商売としてはうま味が大きく、森村は作品のサイズや複製性をウォーホルに倣った。世界には美術館やコレクターが無数に存在し、作品を市場に流通させてこそ、つまり画商を潤わせてこそ、巨匠と目されるようになる。その点で森村は成功したであろう。国立国際美術館の巨大な壁面を自作で埋めるには、連作性と大画面が求められ、その点写真はつごうがよかった。ベンヤミンは版画などの複製芸術はアウラが減少すると言ったが、アイドル性は元来複数性的で、現代芸術の世界で有名になりたかった森村は思惑どおりにアイドル性を獲得し、そこに歴然とアウラが輝いている。ただし、そのアウラがベンヤミンの考えたアウラと同質とは言えない。アウラは絶対神のようにそれ唯一の神々しさで、森村が引用する巨匠の自画像にはすべてそれがある。そしてそれを自分の顔で置き直す森村の作品にはアウラはない。あるとすればアイドル的なそれだ。もっとも、森村はそのことをよく知っているだろう。アイドルは次々に新しい者が登場し、数十年も経てばほとんど忘れ去られるが、マリリンやプレスリーはウォーホルが作品に使ったことで、彼ら本来の映画がすっかり忘れ去られても、美術史に記憶されるかもしれない。たぶんそうだろう。そうだとすれば、森村は自分でマリリンやプレスリーと同格になったのだろうか。それはパロディやコピー作品にどれほどの価値があるかを決める後世の人々の判断に関わり、またアウラとは何かという哲学と関係するが、人間の遺伝子が複製されることから、アウラも複製されると考える立場がある。
●『森村泰昌 自画像の美術史 「私」と「わたし」が出会うとき』_d0053294_01313998.jpg
 美術史は書き替えられるが、森村が引用する巨匠の作はたぶんどれも数百年後も記憶される。そこに森村の美術史に自作を組み入れてもらいたい思いと、そして後世の人が森村の作から現代の美術史を垣間見ることの出来る、森村の作品本来の意図とはおそらく別の価値がある。前者は美術史が現代の項目においてパロディやコピーをどれほど重視するかにかかっており、後者は森村が現在の美術史の見方に異議を唱えていない点で日和見主義を感じさせ、より通好みの美術ファンを満足させない。現代美術は過去の美術をどう解釈するかに大きく関係している。そして過去の美術は森村が引用するルネサンス以降とは限らない。先史美術から古代美術へと、連綿として続いて来ている西洋美術から森村の作品を見れば、あまりに近視眼と言ってよい。森村はデューラーの自画像になり切ることは出来ても、キリストにはなれないだろう。どういう反感を買うかわからないからだ。したがって、ローマ時代の棺桶に付した死者の生前のリアルな肖像画や、ビザンチンのイコンも除外する。またターナーやフリードリヒの風景画も省くしかない。美術史とはいえ、それは部分に過ぎず、また森村の好みが大きく反映している。ただし、それはそれで森村の方法論の限界を示しつつ彼の個性だ。森村は日本の美術も引用し、会場では松本俊介の有名な自画像を引用した作があって目を引いた。またフリーダ・カーロの作品では日本の祭事に使われる花輪を引用し、カーロになり切った森村の写真の下に鯛の張り子を使うなど、日本的要素を組み合わせた。特に目を引いたのはヴェラスケスの「ラス・メニナス」で、筆者は連作の5点を順に撮影し、今日はそれを縦1列に1枚の写真にした。上から順に、「ラス・メニナス」を見る森村、「ラス・メニナス」の登場人物全員が森村のなり切り、「ラス・メニナス」の王女を描くヴェラスケスから見た眺め、「ラス・メニナス」を描くヴェラスケス、「ラス・メニナス」が描かれる光景を眺める王夫妻で、これは鏡を含めて多くの視線が交差する「ラス・メニナス」をそれぞれの位置で見直した連作で、福田美蘭の絵画にほとんど同じ考えによる作品がある。そう言えば、筆者は20代前半、ムンクの絵の人物が見る光景を想像して描いたことがある。誰でも同じようなことは考えるものだ。それを森村のように徹底してやればよいが、その実行は難しい。森村の作品はアイデアが先行しているように思われがちだが、衣装を揃え、化粧を絵とそっくりに施すなど、手作業に負うところがとても大きく、その意味でも職人的だ。森村の顔は美輪明宏に似ていて、彼になり切れば迫真性が出ると思うが、存命中では許可を得るのが難しいか。またそのようなそっくりさんは毎年のようにTVに登場して来る。今日の最後の写真はチラシ見開き内部の一部で、森村がなり切った巨匠オン・パレードだ。
by uuuzen | 2016-07-11 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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