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●『儀間比呂志版画展―沖縄への思い―』
念は仏教用語では「たいねん」と読み、迷いのない境地を意味する。『論語』では「40にして迷わず」とあるが、自分を振り返ってみると、確かにそうだ。作品を作るうえであれこれの試行錯誤はあるが、大本に迷いはない。



●『儀間比呂志版画展―沖縄への思い―』_d0053294_01012099.jpg40歳以降は作家の個性はすっかり固まる。それはいい意味でも悪い意味でも言える。40歳で個性溢れる力作をものにしていなければ、つまりそれなりに世間で評価を得ていなければ、その後はいくら頑張っても優れた作品を生むことは無理だ。ある作家の全生涯を概観する回顧展は、40歳以前とその後とでは、筆者は40歳以前が面白いと思う。それは同時代の流行に染まった作品を作りながら、40歳以降に固定する個性が見られるからで、自信をつけて突っ走った40歳以降の作品は、時としてその自信が鼻について好きになれないことがある。業界では個性が大きく開花した晩年の作品がだいたいどの作家でも人気がある。思う存分、自由自在に、自信溢れて個性を発揮しているところに、仏教で言う諦念が認められるからだ。どの作家でも長年制作を続けるとそのような境地に達するだろう。さて今日は先日25日に立命館大学の国際平和ミュージアムで見た沖縄出身の木版画家である儀間比呂志の展覧会について書く。当日は家内と天神さんの縁日に出かけ、本展を見た後、キモノの仕立てを依頼するために今熊野を回った。チラシの説明によると今年4月に94歳で没した。長年活動したのに筆者はこの作家を知らなかった。京都三条寺町の平安画廊で個展を開いたことはないように思う。図録を買わなかったので手元のチラシから紹介すると、儀間は沖縄に生まれ、戦前17歳で北マリアナ諸島のテニアン島にわたった。サイパン島の南に位置して対馬のように対になっている島で、当時は日本の領土で、大正時代から沖縄や内地から移民を受け入れて仕事があった。そこで3年過ごし、1943年に帰国して出征するが、その翌年にテニアン島はアメリカが領土とするので、儀間の20歳頃は戦争に見舞われた。横須賀で敗戦を迎え、アメリカ軍が統治する沖縄に戻らず、復員列車の終点であった大阪に住む。そして23歳から6年間、大阪市美術研究所で油絵を研修、その後上野誠に木版画を学んだ。筆者は上野誠も知らず、先ほどネットで調べると、1909年に長野市に生まれ、東京美術大学で学び、学生民主化運動に関わって退学、信州に戻って版画を学んだ後、再度上京、各地で美術教師をしながら終戦を迎え、戦後各地で版画家として活動し、1980年に70歳で亡くなった。長野には彼の版画館があって、作品が愛されていることがわかる。作風は儀間と大いに違うが、戦争反対、労働者や家族、母子をテーマにし、精神性は共通している。儀間より14歳年長で、儀間が大いに影響を受けたが、本展を見て筆者が最初に感じたことはケーテ・コルヴィッツからの影響だ。
●『儀間比呂志版画展―沖縄への思い―』_d0053294_01014103.jpg
 ケーテの有名な作品に、「種を粉に挽いてはならない」がある。子どもをかばう母親を描いたもので、リトグラフとして各地に所蔵されている。ケーテの撒いた種子は上野誠、そして儀間へと花を咲かせた。東京美術大学出の上野は儀間に多くの模範とすべき画家を教えたであろうし、そういう知識に飢えていたはずの儀間は上野から多大の影響を受けたはずだ。大阪で学んでいた頃、天王寺公園で似顔絵を描いて金を稼いでいたが、酔っ払いからの扱われ方に嫌な思いもした。そのような苦労を通じてなおさら純粋な気持ちを持った人々を表現しようと考えたであろう。儀間の作品には逞しく生きる人々への優しい眼差しがある。そしてケーテとは違って、画面が明るく美しい。それは沖縄の空気と人々を反映してのことで、また戦後の高度成長を間に当たりにした気分でもあるだろう。ケーテは二度の大戦を経験し、息子を戦争で亡くした。そしてヒトラーが政権を得てからは退廃芸術の烙印を押され、戦時中に死んだ。高度成長期以降、平和ボケと言われるようになった日本では、ケーテの慟哭を表現した作品は、あまりと言うよりもほとんど人気がないように見える。それを言えば本展を開催した国際平和ミュージアムもで、平和を満喫している時代になぜ戦争の惨禍を思い出さねばならないのかという人は多いだろう。それでそういうムードを反映していつの間にか政治家は暴走を始め、芸術の種子を簡単に粉にしてしまう。話を戻して、儀間は1953年、13年ぶりの沖縄で初個展を開く。30歳のことだ。その後、各地で展覧会を開き、また数々の画集や絵本の出版によって沖縄への思いを伝えたとチラシにある。本展は去年寄贈された奥田豊氏旧蔵の68点を紹介し、初期から最晩年まで網羅するのかどうかはわからないが、今日の2枚目の写真のチラシの表に印刷された「沖縄のさけび」は1960年頃で、ケーテの影響が強い力強さがある。木版画となれば棟方志功が圧倒的に人気があるが、儀間の作品は棟方の初期作の「二菩薩釈迦十大弟子」の線をもっと鋭くしたものを生涯守った。3枚目はチラシ裏面に載る作で、70年代半ば以降つまり40歳頃以降だ。「アリランの歌」のみ1991年頃で、韓国の風俗に取材した作は意外な気がするが、テニアン島に住んでいた頃は朝鮮からの移民がかなり多く、彼らと交流を持ったのではないか。国際平和ミュージアムの中野記念ホールを68点で埋めるには作品は少ないはずだが、大作が多く、おそらく絵本に使われた作とは違うはずのケーテ風のドラマティックな画風が目立ったが、また大画面でなくても圧倒的な存在感を放っていて、筆者は満腹になった。会場で知ったが、筆者は長年儀間の作品と知らずに見ていた作品があった。京都の河原町丸太町を少し北に上がった西側にある関西文理学院の1階のモザイク壁面で、バスの中からでもよく見える。いずれ間近で撮影して紹介する。
●『儀間比呂志版画展―沖縄への思い―』_d0053294_01020409.jpg

by uuuzen | 2017-11-28 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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