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●「BEAT IT」
々し 肌は太鼓の 張り具合」、「太鼓打つ 恵比須顔した 太鼓持ち」、「太古から叩けば鳴るは 若さなり」 瑞々しさはミイラにならない限り、誰にでもある。とはいえ、若者と老人とでは後者がミイラのように干からび度が高い。



若者と老人の間はアナログで推移し、しかも個人差が大きい。とはいえ年齢は正直なものだ。先日TVでマイケル・ジャクソンの最晩年のライヴ・ツアーのリハーサルを収録した映画を見た。あまり真剣に見なかったが、マイケルの人気がいかに高く、また真面目な人柄であることが伝わった。ネット情報によればマイケルは2009年3月にロンドンで記者会見を開いて7年ぶりのツアーを行なうことを発表したが、6月に死んだ。51歳まで2か月を残した。ツアーはキャンセルになり、リハーサルの様子を収めた映像が映画『THIS IS IT』と題されて死後4か月経って公開された。筆者はマイケルが死んだというニュースにさほど驚かず、50歳で死んだことはぎりぎり瑞々しいアイドル性が保持されてよかったと感じた。享年50と10か月は、ザッパが53と1か月弱であるので、おおよそ2歳差だが、ザッパが長年の病からかなり老けて見えていたのに対し、マイケルは映画ではまだ激しくダンスを披露し、スタイルも80年代の全盛期と変わらないように見えた。だが、そこにかなりの無理があったのかもしれない。芸歴はザッパより長く、家内も「ジャクソン5」時代の子どものマイケルを記憶している。アメリカの黒人ミュージシャンは連帯感が白人以上に強いように見えるが、マイケルは先輩のエンタテイナーたちから大きな影響を受けて個性を確立した。マイケルのムーンウォークはジェームス・ブラウンがほぼ同じものをやっていたと言ってよく、またマイケルの書く曲は特別に個性が強いというほどのものではなく、作曲能力はスティーヴィ・ワンダーの足元に及ばない。ところがスティーヴィが70年代の全盛期を過ぎると、新たな黒人ミュージシャンのヒーローが求められた。それをマイケルが担った。また音楽を映像とともに見せるMTV時代が到来し、そこに独特のダンスを披露してうまく乗った。ただし、70年代半ば以降にアメリカではディスコ・ブームがあり、その延長にマイケルは集団で統制の取れたダンスを歌と組み合わせることで、余人には真似の出来ない境地を見せた。マイケルのムーンウォークは83年が初めてとのことだ。それを見て育った子どもたちが大人になって、前述の2009年のツアーのバック・ダンサーとして大勢が応募した。同映画で筆者が最も見入った場面は、マイケルと一緒に踊りたい若者が世界各地から集まり、彼らが集団で舞台で踊り、審査員の目に晒されたことだ。たぶん何百人が応募し、10名程度が出演が選ばれた。彼らはマイケルと一緒にツアーをする夢はかなわなかったが、映画が公開されたので共演した経歴として認められる。
 マイケルと踊った後はどうするかということを考えずに遠方から応募したその若さに筆者は感心する。それが瑞々しさだ。大勢の中から選ばれることに賭けてみる。それは若い頃に旺盛にやるべきだ。落選すれば別の道を考えればよく、選ばれればその経験を後に活かせばよい。またマイケルと踊ったとなれば、脇役であっても一目置く関係者は多いだろう。同映画はマイケルが主役であるので、応募したダンサーにマイケルのようなカリスマを感じなかったが、場数を踏むと自信がつき、カリスマ性も出て来るだろう。そのように筆者は思いながら、やはりマイケルの並外れた個性を思った。歌って踊れる。しかもどちらもオリジナルだ。またその才能がマイケルのように世界的に広く認められるのは稀有なことだ。100年にひとりの人材と言っていいだろう。「KING OF POP」と評されたことからもそのようにみなしていい。ただし、この「ポップ」は言い得て妙だ。流行は常に変わる。大衆の好みは目まぐるしく変わる。熾烈な音楽産業で「王」と呼ばれるには、流行遅れにならずに第一線で活動し続けねばならない。それがマイケルに可能であったかとなると、観客を前に踊った最後である43歳が本来は引退の潮時であった気がする。50歳で30代と同じ曲を同じ振り付けで踊ることには無理がある。映画ではそれを感じさせなかったが、そこはプロであるからで、肉体の酷使に耐えることは大変であったろう。マイケルはファンが喜ぶ曲をやると語ったが、それはいわば懐メロ歌手的で、時代に応じた斬新な曲と歌詞、それに伴なう新しいダンスを創造することはもう難しかったのではないか。映画ではマイケルが伴奏メンバーに次々に指示を出した。筆者はそれを全員がしっかりと聴いてマイケルが納得する演奏を一度でクリアするのだろうかと、半ばハラハラする思いで見たが、マイケルの曲はおそらく大半が古い曲で、伴奏者たちはそれらがしっかりと耳に入っている。これはダンサーも同じで、MTVを見て育ったので、マイケルのどの曲もすぐにマイケルに合わせて踊ることは出来るだろう。その画面を見聴きして覚えるということをMTVが促進した。これはネットがあれば学べるということにつながり、今はコロナ禍によってさらにネットの利便性が評価されている。一方、今日はTVで、モスクワのボリショイ・バレエに応募する若い男性のダンサー数人のコロナ以前と以後のことをドキュメントする番組を見たが、かつてボリショイ・バレエ団で花型であった男性が劇場の監督になっていて、応募して来たダンサーたちを厳しく指導しながら、「SNSの普及によって、女の子をどう抱くかを知らない」と辛口の意見を述べた。それはコロナ以前のことで、コロナ禍の現在は男女のダンサーが体を密着させて踊ることは無理だが、監督が言いたいのは、生身の異性と接しなければダンサーになる資格がないということだ。
 バレリーナが男性ダンサーに素早く担ぎ上げられて自然かつ美しく見えなければ、観客は時間と金を使って劇場に行ったことを後悔する。その男女の軽やかな踊りの背後で、そのふたりがどれほどの練習をしたかを想像するのがよい。本物のプロになるとはどういうことかを若者たちはその監督から学ぶが、どれほど練習しても背が低い、あるいは顔の表情が平板など、肉体的に劣れば採用されない。それはマイケルと一緒に踊ろうと応募した若者も同じだ。マイケルが培った歌って踊れる才能は、たとえば近年の韓国のアイドルに受け継がれている。最近日本人女性の集団が、韓国の名プロデューサーとされる男性の厳しい訓練に晒された結果デビューした。筆者はアイドルに関心がないので、どの女性も同じ顔に見えるが、その意味で言えばマイケルは個性があった。80年代半ばまでは黒人らしい丸い鼻をしていたのに、それ以降、鼻は尖り、肌の色も白くなって、同じ人物とは思えなくなったが、どちらも個性は強かった。それがカリスマ性かと言えば、カリスマは個性の中でも人を強く魅せる能力で、美男や美女とは限らない。ここが人間の面白いところで、普通の意味でのと言えば語弊があるが、美しく整い過ぎた顔はどれも普通に見えるという不思議な時代にいつの間にかなった。美容整形が一般化したからだろう。今は整形していない芸能人女性は皆無のはずで、ますます巨大なカリスマと呼べる人材は出にくくなっている気がする。前述の韓国人にプロデュースされた日本人女性集団は、歌も踊りも猛烈な練習を重ねたであろうし、また全員美人と言ってよいが、それはどの野菜も形が整っている時代に応じた「没個性」でもあって、正直なところ、ひとりも筆者は欲情を催さない。その点、マイケルは若い女性ファンからどのように見られていたのだろう。YouTubeでマイケルのアリーナでの公演を見ると、かつてのビートルズと同じく、若い女性の観客は泣き叫んでいる。彼女たちはマイケルの動きを見て性的な欲望を覚えるのだろうか。おそらくそうだろう。若い男性が若い女性アイドル歌手をどう見るかと考えればよい。さて今日はマイケルの「BILLIE JEAN」を取り上げようと思いながら、よりリフが印象深い「BEAT IT」した。前者はミュージシャンなら誰とでも寝るグルーピーに困惑する様子を歌う。グルーピーは誰の子かわからない自分の子どもの写真を見せながら、「あんたの子よ」と迫るが、マイケルはその妄想を否定するという内容で、この歌詞を若い女性ファンたちはどう思ったことだろう。そこを想像すると面白いが、マイケルは彼女たちよりも冷静であったということだ。それどころか、マイケルは女性嫌いではなかったかと思う。グルーピーでも何でも、来る女性は拒まないというロック・ミュージシャンにありがちのぎらつきがマイケルにはない。
 前述の映画でマイケルは地球環境の危機について語る場面がある。彼は動物も大好きであったようで、優しい心の持ち主であったと思う。金儲けの欲もさほどなかったのではないか。あるとすればそれは周囲の者で、その点はプレスリーと同じであったろう。マイケルが売れれば売れるほどレコード会社は潤うし、またそういう関係者も多かった。映画では50人ほどのスタッフが舞台上で円陣を組んで気炎を上げる場面があった。彼ら以外に機材の運搬者や設定者など、大勢の裏方がいたはずで、彼らの生活がマイケルの身ひとつにかかっていた。それは大変なストレスだろう。そのために睡眠薬などを過剰に摂取したとしても理解出来るし、また50歳になって心身ともに限界が来ていたのだろう。これが激しい踊りを伴わない歌手であればまだしも、「BILLIE JEAN」では歌い終わった後に、単調なリズムに載せて見せどころとなるダンスがしばらく続く。それを先日筆者は初めてまともに見たが、さすが「ポップの王」の名前がふさわしい。そのあまりに痩せた細い体で、また50歳であるというのに、そういう独創的な踊りを30代から続けて来たことに今さらに驚いた。そうそう、1週間ほど前、「風風の湯」の帰りに阪急嵐山駅の半円形の階段の上で、ラジカセでダンス音楽を鳴らしながら踊っている若い男性がいた。ヒップホップ・ダンスはオリンピックの競技になったのか、それほどに全世界の若者が踊るものとなっている。その原点はマイケルだ。ダンスがスポーツと化したと言ってよいが、音楽もダンスもスポーツも練習を重ねることでは共通する。そしてそのどれも体を動かすが、マイケルがステージ上で見せた集団による一致した動きは、筆者が小学生の時に行進曲に合わせて全員が動きをともにしたことと基本は同じで、そこには音楽の合奏と同じように整った美がある。その形式美においてマイケルはムーンウォークや体を傾けたまま停止する所作など、誰もが簡単には出来そうにない踊りを組み入れた。パントマイムからの影響が大で、それは目の愉しみであって音楽とはひとまず違う。ダンスは音楽とは別の芸術だが、ロックンロールは型破りの踊りの流行をもたらし、みんなリズムに合わせて好き勝手に体を動かした。それがディスコに引き継がれ、そこからシンクロナイズド・スイミングに似たマイケルの踊りが登場するが、ステージの動きを見て客が楽しむという点で、従来のロックやポップにはなかった境地をマイケルは開拓した。そこに筆者のような旧世代とマイケル世代との溝が生まれた気がする。それは筆者がマイケルのレコードを1枚も持っていないことからの意見で、またそれゆえにヒップホップの音楽やダンスにも関心がない。これは精神の瑞々しさを失っている証になるのだろう。だが、マイケルのレコードを聴く限りは彼がどういう踊りをしているかはわからない。
 音楽はそれのみで鑑賞され、評価されるものでもある。ここでザッパを持ち出す。ザッパがディスコの音楽や踊りを退屈と思っていたことはたとえば「ブラック・ページ」からわかる。観客をステージに上げ、同曲に合わせて踊らせたことはその表われだが、同じことは73年に行なわれていた。83年の「BEAT IT」の翌年に発売されたザッパはアルバム『ゼム・オア・アス』のジャケット裏面は、ザッパがマイケルに倣って手袋をした右手を挙げた写真だ。ただし、その手袋は熱いものを触る時の台所用品で、自宅スタジオを「台所」と呼んだザッパにすれば、出来立ての熱い自作を提供する意味合いを込めたのだろう。ザッパは同作以前からレコード会社が続々と送り出す新しいバンドを風刺したが、マイケルの音楽をどう思っていたかはわからない。『ゼム・オア・アス』には「わたしのビデオに出て」という曲がある。それはMTVに対する風刺だが、その歌詞に「ブルースを踊ろう」というのがある。これはブルースの3つの和音を繰り返すダンス音楽に興じる人々をからかっていると言ってよく、またそれは暗にマイケルの音楽に言及しているように思える。「BEAT IT」も「ビリー・ジーン」もR&Bのディスコ調で、マイケルの曲はどれも基本的にはそうなっている。アレンジが格好いいので、筆者は「BEAT IT」も「ビリー・ジーン」も同じほど好きだが、他の曲はそのどちらかに似ているものが目立ち、とてもアルバム全部を聴く気になれない。もっとも、歌詞を吟味するとまた印象は違うだろう。「BEAT IT」はギターのリフが大きな特徴で、またその中間部のソロはヴァン・ヘイレンが奏で、70年代のロックを知るファンでも大いに歓迎するだろう。歌詞は血を見るような危険な相手にはかまわず、しかも負け犬になることなく、自分の出来ることに強く邁進すればよいといった若者向きの内容だ。「BEAT IT」とは誰かを殴るのではなく、自分を鼓舞しろという意味だ。ザッパは自分の音楽にどういうダンスが釣り合うかを考えたことはあるだろう。『ザ・イエロー・シャーク』公演では、「Gスポットの渦巻き」に合わせてふたりの激しい踊りが披露された。それはマイケルのダンスとは全く違うものながら、多大な練習と体力を要した。その踊りがザッパの求めたものかどうかわからないが、黒人ミュージシャンの伝統を継いだマイケルとは違ってザッパはダンスにおいて依拠すべき規範を探すことが難しかった。それもあってステージはMTVにすると動きの少ない退屈なものであったが、それを自覚したゆえに舞台上で観客に出鱈目なダンスをさせた、あるいはメンバーに寸劇的な仕草を演じさせたが、音楽を熱心に聴いてもらうにはそれで充分過ぎると考えたのだろう。それはザッパの曲に合わせてどういう創造的な舞踊がふさわしいかという課題が残されたことでもある。
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by uuuzen | 2021-01-31 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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