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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●「明かり見る ふたり見る吾 また見られ」
世的な人が山登りをするのか。今読んでいる串田孫一の『山のパンセ』からは元来孤独が本質である人間性を凝視する態度が垣間見える気がする。その本についてはいずれ感想を書くとして、今日は昨日の投稿の続きで、6年前の愛宕山千日詣で撮った写真を使いながら別のことを書く。



●「明かり見る ふたり見る吾 また見られ」_d0053294_14271370.jpg
今日の最初にの写真は愛宕山の五合目で撮った。そこは登り始めた頃の急な階段を越えた後に続く少し平坦な場所で、愛宕山の登山道では唯一南方に視界が広がって下界を見下ろすことが出来る。筆者らが登った夜は満月で、また京都に出て来た頃から愛宕山を千日参りする風習があることを知っていたので、思い切って登ることにした。その数日前にYさん宅を訪れ、一緒に登ってもらえないかと相談すると、Yさんは夜は登らないことにしていると言うので、筆者は家内とふたりで登ることにした。それはさておき、五合目の見晴らしのよい場所から、わが家も含まれている眼下の街の灯を見下ろしながら、登って来た甲斐を実感した。山登りの醍醐味を少しはわかったと言ってよい。しばし休んでまた後半を登り始めようとした時、筆者らが立って見下ろした場所に男女のカップルが立っていた。その様子を背後から撮影したのが今日の最初の写真で、撮ろうと思ったのはフリードリヒの絵とそっくりであったからだ。フリードリヒが描いたように後ろ姿で、誰かは特定出来ない。それに6年も経っていてもう使ってもいいだろう。この見知らぬふたりが見つめる先に満月が見えていればなおよかったが、その場所から満月は見えない。ただし当夜は天気がよく、満月は上がっていて、その写真は当時投稿した。さて、今日の2、3枚目の写真は1978年4月9日に京都国立博物館で見た『フリードリッヒとその周辺』展の会場で買った図録から撮った。昨夜その図録の文章を読み、フリードリヒは生前あまり有名でなく、没後すぐに忘れ去られて百数十年経った1960年代から再評価が始まったことを知った。同展は日本で彼の作品をまとめて展示する初めての機会で、筆者は今もその会場の雰囲気を鮮明に記憶している。そのことを43年経った今、長文で綴ることも出来るが、今日はそれをせずに別のことを書く。同展以降フリードリヒの絵が含まれる展覧会を楽しみにし、ポスターや額絵を買いもし、それらをトイレの壁に貼って今も毎日眺めているが、前述の図録の文章でなるほどと思ったことがある。フリードリヒの風景画は山を描いたものとは別に、海辺を描いたものも多い。その海辺がドイツであることは当然として、それが具体的にどこであるかを筆者は今まで気にしなかった。そういうことはよくある。去年暮れ、仕立て上がった振袖を見せた21人のひとりに同じ自治会の住民で仏師のOさんがいる。Oさんはたまたま筆者の部屋の隅に積まれていた図録のうち、近年東京で開催されたムンク展の図録に興味を示した。
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 筆者が初めて大いに気になった画家はムンクで、中学生になってすぐのことだ。日本で初めてのムンク展に、筆者は初めて学校をさぼって初日に行った。その後開催されたムンク展の図録も全部持っているが、数年前の東京展は関西に巡回しなかったので見ていない。ムンクはあまりに有名で、今では誰でもノルウェーの画家であることを知っていると筆者は思っていたのに、Oさんは知らなかったと言った。どの国の画家であろうと、作品が印象的であればそれでいいと考える立場を筆者は否定しない。ただし、歴史や風土があって人間の生活がある。そこから作品が生まれて来るからには、生まれ育った土地の影響を受けて当然だ。つまり作品のより深い理解にはどこで生まれ育ったかは無視出来ないと思っている。それはさておき、『フリードリッヒとその周辺』展の文章から、フリードリヒがポンメルンの生まれであると知って筆者は驚き、なるほどと納得出来た。ポンメルンは筆者が家のあちこちの少ない壁面などに飾っている銅版画家シュマイサーの生まれ故郷だ。それに海辺の国のポンメルンが面するバルト海を少し北にわたるとノルウェーだ。フリードリヒが描いた海辺の風景はバルト海沿岸で、その雄大な景色の彼方にノルウェーがある。図録の文章には、フリードリヒがムンクより先んじていたことも書かれている。確かにムンクの絵「叫び」はフリードリヒにどこか通じる。わが家に飾ってある絵は、複製本物取り交ぜて、ムンク、フリードリヒ、そしてシュマイサーのみだ。またその順に筆者は買い求めたが、そこにポンメルンないしバルト海が共通点としてあることに昨夜気づいた。独身であったムンクと人間嫌いと見られていたフリードリヒは通じているが、シュマイサーは若い頃に京都にやって来て日本人女性と結婚し、また筆者は何度か話したところからの感想を言えば、人間嫌いではないだろう。ただし、世界各地を旅し、最後は南極を題材にしたところ、明らかに彼にもポンメルンの海辺との深い関係があるように思える。話をフリードリヒに戻す。近年筆者はマルローがかつて企画した叢書『形体の宇宙』の未邦訳を買い集め、そのうちの1冊で700ページに及ぶ『破裂の時代 1750-1830』に大いに驚いた。フリードリヒは1774年生まれで1840年に死んだから、同書が扱う範囲にほぼ一致している。1960年以前は美術史において彼をどう扱っていいかわからず、はみ出た存在として完全に無視されていた。それが1993年出版の『破裂の時代』では最も重要な画家として扱われている。そしてその傾向は今後増して行くだろう。筆者はそんなことを知らずに27歳の時にフリードリヒの絵を間近で堪能し、その複製画を部屋に飾り始めた。フリードリヒは遠くを見つめながら、いつか理解されることを知っていたであろうか。「厭世家 遠征するや 精神が」、「厭人は 猿人からの エンジンや」
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by uuuzen | 2021-01-23 14:29 | ●新・嵐山だより
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