螺旋階段を上り下りすると巻貝になった気がする。ならば巻貝状の滑り台に巻貝を置くと、巻貝は巻貝になった気分になるだろう。それでいいのであって、巻貝が螺旋ではない坂を上り下りして人間の気分になってもらっては困る。
実際は困ることはないので、巻貝は勝手に好きなことを思ってもらっていいのだが、巻貝のほうでも、人間は巻貝が巻貝状の滑り台をどのような気分で下りて行くのかを確認したがっていると勝手に思っているだろう。つまり、巻貝は人間が理解不能なことをしていると思っているに違いなく、その最たることが登山であると思っていると思う。坂をどんどん上って行き、てっぺんに着くと降りるしかない登山は、道が巻貝状であれば巻貝になったつもりでゆっくりと気楽に登って行けばよいが、人間はずぼらであるから、なるべく最短距離で登ろうとする。ただし、危ない箇所があれば迂回するし、最短と危険をなるべく避けるというふたつの条件から山道は決まっているはずだ。筆者は登山をほとんどしたことがないので実際のところはわからないが、巻貝のような螺旋状の道は山にはない。今は車椅子の人が駅その他の場所を利用しやすくすることが常識になりつつあるが、山道だけはまだそうなってはいない。それは山が巻貝のようにひとつだけで存在しているとは限らず、いくつかが連なっている場合が多いことも理由だろう。と、アホなことを書き始めたが、人は巻貝ではないので登山する。それを無益と思う自由はあるが、それを言ってしまえば人生は無益で、人は好きなことをすればよい。わからない人には何を言ってもわからず、人間はわかり合えない存在でもある。で、筆者は登山に関心がないが、その楽しみを教えられなかったからだ。だが中学生時代、学年全体で積雪の金剛山に登ったことがある。そのためにアイゼンなるものを買い、それを靴に装着して雪面を歩く経験をした。当時昭和30年代は登山が流行っていたのかもしれない。そうでなければ耐寒訓練と称して学校から丸1日費やしてわざわざ雪の積もる金剛山まで行くことは考えにくい。その後筆者はほとんど山登りをしなかったが、山の見える場所にいつも住んでいた。今は嵐山が近くにあり、愛宕山の頂上も毎日のように見る。また渡月橋からは比叡山や大文字山も見え、山歩きの好きな人は家でじっとしているのが辛いだろう。筆者は平地を歩くのは好きだが、坂道は苦手なのだ。それでたとえば愛宕山に螺旋状のなだらかな道がついていれば、巻貝になったつもりで登山するのにと、巻糞のようなアホらしい想像をする。そんな山道ならば自転車でも登れるし、巻貝は巻貝の気分を確認したくて世界中から集まって来る。世界的観光都市を自認する京都ならば、そんな山があっていいではないか。名づけて巻貝山だ。愛宕山を眺めながら筆者はそれが巨大な巻貝に思える。
昨日YouTubeで愛宕山を調べると、二本目に見た最初のほうで
4日前の投稿で触れたYさんが下山して来る場面があった。去年8月1日のことだ。正午過ぎだろうか、投稿者は自分の胸にスマホをかざしながら登り始め、前方からぱらぱらと登り終えた人がやって来る中にYさんは混じっていた。筆者はその投稿を見始めてすぐ、Yさんを思い出し、画面の奥からこっちに向かって来るのではないかと予感したのだが、本当にYさんらしき長身の人物が見え、2,3秒後にYさんであることがわかった。Yさんは撮影者の右を通り過ぎる直前、撮影者に笑顔で声をかけたようで、また路傍の何かに触れるように見えた。去年の千日参りはコロナ禍のために1週間を設けて参拝客を分散した。また映像からは、筆者と家内が訪れた2015年と違って、その3年後の台風によって大木が参道沿いのあちこちに倒れている様子がわかった。今から2,3年前にYさんはその倒木の片づけを手伝っていると言ったのに、まだ人員が不足している。Yさんは朝から昼間しか登らないのに対し、筆者が登ったのは夜で、これでは話が噛み合わないが、ごくたまに「風風の湯」でYさんに会うと必ず愛宕山の話になる。先日Yさんは千回登頂記念に碑を立てたと別れ際に言った。筆者はその碑がどこにどのように建っているのかがわからない。ところが昨日のYouTubeでそれがようやく判明した。夜の登山では見えないはずだ。筆者の想像とは違って立派な花崗岩の石碑で、Yさんの言葉どおり、五千回、三千回と登った人の住所氏名が彫られ、5本が接しながら本堂前の参道際に真新しく建っている。三千回の碑文のひとつに「献水十二トン」の銘文があって、山頂の愛宕神社のために麓から水を運んでいるのだろうか。Yさんのような千回クラスの石碑は坂のもっと後方にあるはずだが、Yさんは5,6年前に三千や五千も登った人がいることを筆者に伝えながら、いつか自分も千回はと思ったのか。それが去年2月に11年要して実現し、今は1100回は超えているはずだ。70代半ばなので三千回は無理だが、二千ならどうにかなるかもしれない。墓以外に登山者としての石碑で名前を遺すことは、より達成感が増すだろう。それはともかく、Yさんは自分の姿がYouTubeで見られることを知らないはずで、その映像は石碑ほどに長生きせず、またYさんを知る者以外はYさんであることがわからないが、人はどこで見られているかわからないことの一例になる。今日の写真は6年前の千日参りでの写真だ。一度しか経験していなくても、前述のYouTubeを見て容易に山頂を思い出すことが出来る。
「私は貝になりたい」という映画があるが、その貝は巻貝がよく、かたつむりなら三千日を要しても山頂まで行くだろう。「石橋も 朽ち橋も行く かたつむり」、「参道の 提灯照らす 安ら顔」
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