館と言える大きな建物に1年近く行っていない。去年11月か12月に天理大学の図書館に行くつもりで、家内から昔から聞いている「おやさとやかた」も見られると思っていたのに、コロナ感染が拡大し、今のところ出かける日を決めていない。
生きていると気になることが多くなる一方だ。それでは精神的に参るので、無理にでも忘れようとすることがある。最初は無理と思っていても、やがて気にならなくなり、精神が安定するが、何かの拍子にその気になることが頭をもたげ、苦しくなることがある。それで、気になることを解消するには、そのことから逃げずに対峙し、思いをまとめればよい。そのひとつの手段が書くことだ。書けば忘れられる。つまり、気になることはまだ存分に文字にしていないことと言ってよい。それで今日はその気になることを少しでも減らすために書くかと言えば、いつもそうとは限らない。とはいえ、今日は午後5時15分頃に「風風の湯」に行き、それなりに新たなに知ったことがいくつかある。昨日から午後8時までの営業となったので、2時間早めて6時に行こうかと思いつつ、それでは若者が多いかと予想したが、さほどでもなかった。それに85ⅯさんやFさんがやって来た6時は以前の8時台と同じほど客は少なかった。浴場に入ってすぐ、ちょうど帰り際のYさんと久しぶりに会った。Yさんは週に2、3回は愛宕山に登っていて、去年2月に11年要して1000回登頂し、その記念碑を頂上に立てたと言った。定年になって誘われて登り始めたのが、ライフワークになったのだ。山歩きは運動になっていいと、いつもの笑顔で言いながら、今日も登って来たとのことだ。70代半ばだが、とてもスリムで元気だ。85MさんやFさんも若い頃は登山が好きであったのが、今は「風風の湯」に来るのをおそらく最大の楽しみにしている。筆者のそれは何かと自問すると、期日のある仕事を猛烈にしている時かもしれない。去年は振袖の注文があって、頼まれてもいないのに勝手に7か月も要して作った。仕事を完成させて満足することは、たぶん高い山の頂上に歩いて上った時と同じ気持ちだろう。ただし、仕事は終わるし、登った山は下りねばならない。それで人はまた仕事を始め、登山もする。注文がない時は自分で仕事を作るべきで、筆者は大作の計画を何年も前から立てていないわけではないが、写生の準備が思うようにはかどらない。その絡みで言えば、先月裏庭向こうの小川沿いの土地に市か区の作業員が数人入り込んで雑草を刈り取り、厚い緑色のゴム・シートで覆った。幸い数年前に植えた紅白の梅は切り株にされなかったが、鶏冠鶏頭のあった場所もシートで覆われ、もう雑草も生えない。鶏頭を育てる場所を新たに探さねばならず、気になることがひとつ増えた。「気になるは 木に成る一顆 金柑の」、 「気恥ずかし 金婚式の 鐘が鳴り」、「館出た ふたりの姿 遠のけり」
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