「
噛んだガム 捨て場所ゼロで 噛み続け」 緊急事態宣言が京都にも出されることが決まり、京都に来る人はまた減って、旅館業はヘルだろう。だが、ヘヴンの頃もあったから、百年に一度くらいのパンデミックは仕方なしと諦めるしかない。
昨日の夕方、阪急嵐山駅前のホテルは灯りがついた部屋は5つほどの侘しさで、3日前はその部屋の灯りが10ほど、1週間ほど前はその倍はあったから、コロナの影響が視覚的によくわかる。筆者は「ゆるい気が ぬるま湯浸かり なおゆるみ」の状態で、それは寒さとコロナで外出の機会が減ったからで、体重がまた数キロは増えるかもしれない。そうなれば
交通事故ゼロ祈願の音頭を踊るゆるキャラに混じっても違和感がなく、「いいわ感」で歓迎されるかと言えば、「ぶった爺 ぶった斬ろうか そこを退け」と野次を飛ばされる。そんなことを想像しながら昨日は嵯峨のスーパーに行く途中、右京警察が作ったチラシポスターの警官と同じ踊る格好をして家内に写真を撮ってもらった。中ノ島公園は筆者ら以外に地元住民らしき人がひとりで、渡月橋にも人影はほとんどなかった。それでも営業している店がぽつぽつとあったが、嵐電の嵐山駅前の和菓子屋では男女の店員5名が一斉に通りを歩く筆者を見つめていた。毎年2月は京都に来る観光客は1年で最も少なくなるので、店はさほど打撃を受けないと思うが、今年は暖かくなっても観光客が増えるかどうかわからない。それで「儲けはな コロナ次第や この野郎」という悔しい思いをしている経営者は多いはずだが、桂川に佇んで魚を狙っている鷺には関係がなく、筆者が毎朝古米を与える雀も「我先に 狂い乱れる 群れの先」という光景を見せつけ、暮らしに変化はない。それは筆者も同じだが、3日前から嵯峨の4,5軒あるスーパーを巡るのに、これまでとは反対のクロックワイズで道をたどることにした。すると同じ道でも景色が変わり、気分も変わる。ほんのちょっとした変化でも面白いと感じることは、醤油を少々足すようなもので、「紫を 少し足したい 薄い味」と日々物足りなさをいささか感じている人は多いだろう。スーパーを4軒回って帰宅すると時計は2時間経過しているが、出かける際に噛み始めた1粒のガムを捨てるに捨てられず、味がなくなってもまだガムんでいて、いつも結局自宅の屑入れに捨てる。一度その味のなくなったガムにMINTIAの1粒を加味噛み合わせたが、ミントの味がガムにそっくり移ることはなかった。さて節分が近づき、日暮れが少し遅くなった。昨日はさほど夕焼けはきれいでなかったが、午後6時頃の空気が紫色になる頃合いは大好きで、新丸太町通りの西果て辺りのだだっ広さを眺めながら、百年前はそこが畑広がる嵯峨村の先であったことを思った。家内は自分の足で歩いて買い物に出かけられることをありがたく思わねばと口にしたが、本当は筆者と歩くのが好きなのだ。「紫に 染まる夕暮れ 村の先」
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