排除されるのは体温が37.5度以上の客となっているが、去年4月のように京都にも
菌杞憂辞退詮議宴つまり緊急事態宣言が発令されれば、「風風の湯」はまた当分閉鎖されるだろう。
そうなれば困るが、何でもなければないで慣れる。先月中旬から「風風の湯」では新たな体温測定機としてスマホが玄関を入ってすぐのところに三脚上に設置された。その縦画面に客は近づいて顔を大きく映し、額に焦点を合わせると体温が表示されるが、寒い外から玄関を入ったばかりでは、28、9度にしか表示されない。以前に使われていた手持ちの小型体温計もおそらく同じ赤外線を使う仕組みで、たいてい28,9度に検温された。ところが、従業員に「何度?」と訊かない限り教えてくれず、Fさんはよく文句を言った。「あのなあ、せっかく測るんやから、何度か教えてくれてもええやろ」。それは常識だと思うが、いつの時代も老人と若者の考えには隔たりがある。そう思えば腹も立たない。Fさんがうるさいと思ったのか、先日からはスマホに自分で顔をかざして検温するようになったが、爬虫類のように低温にしか表示されない仕組みでコロナ感染の有無を調べようとするやる気のなさでは、感染者が激増して当然だ。一昨日はネットでPCR検査を日本よりはるかに多く実施しているヨーロッパが日本よりはるかにコロナ感染死が多いので、検査を渋っている日本は正しいという記事を読んだが、検査数と死者数だけを結びつけて考えることは無茶だ。死者が多いのは医療の崩壊があるからで、検査を絞る日本では病院で診られずに自宅で死んで行く人が今後増える。またそうなっても、その死者はコロナが原因とは思われず、実際日本ではその意見が目立って来ている。となれば、政治家がコロナに感染し、自宅療養でコロリと死んでも見て見ぬふりをされ、これも実際そうなっているが、経済を杞憂する政治家が「菌よりも 金が怖いの 本音なり」の考えを持っていることによる。「風風の湯」でも誰がいつ感染しても不思議ではないが、なるようにしかならないという思いは誰しもあるだろう。いくら注意しても感染する人はする。つまり、人間には運がある。それは賭けと言ってよく、賭博に興味のない人も否応なしに人生が賭けに晒されている。筆者はパチンコや競馬などの賭博を全くしないが、開高健がちまちました賭博をするより、人生すべてを賭けていると言ったことに同意する。男らしいとはそういうことを言うと思うが、人生全部を賭けた思いでしている仕事が、たとえばコロナによってコロっと終止符を打たれることはあり、運は天に任せるしかない。それにしてもあまりに酷い政治家ばかりで、コロナよりはるかに始末が悪い。筆者はまた中学2年生の時に歴史の先生が言ったことを思う。『国会はろくでもないことを毎日やっている……』 ただし、政治家の能力がコロナ禍で衆目の知るところになっているのは喜ぶべきことではある。

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