廻船が荷物を積んで港に入って来る様子は宝舟に見えたことだろう。今は大量のコンテナを積むタンカーがそれに該当するが、先月そのタンカーが積むコンテナが荷崩れを起こし、一部は海に落ち、残りが危うい形でバランスを取りながら港に入って来る様子がTVに映し出された。

「ああ、もったいない。海に落ちたコンテナの中身はどうするのだろう」 筆者はまずそう思ったが、保険金で解決するのだろう。物の場合はそれでいいが、せっかくの限りある人生、悪夢は見たくないもので、それで獏という動物を想像し、悪い夢をばくばくと食べてもらうことにした。それでも誰しも悪夢は見るもので、その意味で人間は平等に出来ている。いくら大金持ちが悪夢を見たことの気分悪さに対して文句を言っても、誰も保障してくれない。それで悪夢が原因で機嫌が悪くなり、鬱憤晴らしに人を殺すという王侯や政治家がいるだろう。そう考えると、ますます獏には心臓がばくばくするほどに活動してもらわねばならない。それは現実には獏の活動を思い描いて自分の行為を顧みることだ。悪夢は見たくないものだが、悪夢を見てそれをいつまでも覚えていることは獏の存在を忘れているのであって、悪夢を見た後は獏のことを思い出して気分を取り直せばよい。で、今朝見た夢は蒔絵作家のカラフルできらびやかな光沢のある装飾満載の作品やその写真集をある男性に見せられているもので、どの作品も今再現出来るほどに細部までよく覚えているが、意気揚々と見知らぬ蒔絵作家の作品を持ち上げるその男性に対して筆者は無言で応じ、また心の中ではたいしたことがないと思っている。こうして書いていてなるほどと思い当たることがある。夢は目覚めている時に思ったことが形を変えて出鱈目に現われて来る。筆者の場合、夢を反芻するとほとんど思い当たることがあって、悪夢の場合も同じだ。となれば、目覚めている時に立腹せず、また嫌なことを考えなければ悪夢を見る頻度は減る理屈だが、心の奥に刻印された傷のようなものは表向きは癒えていても、何かの拍子に疼くことはままあって、怒りの感情を除去することは不可能と言ってよい。その何かの拍子に思い出すことに、幼ない頃の経験がある。昔買って気になり続けていた串田孫一の『山のパンセ』を最近ようやく読み始めたが、元旦の夜に読んだ箇所に似たことが書かれる。「…私には時たまあることで、二十年、三十年とすごしてきたことがみんな夢で、今、自分はまだ十幾つかの少年であるのがほんとうのように思える。もちろんそれは、瞬間のことで、いつまでもそんな気持ちになってはいないのだけれども、それからしばらくの間、忘れていた遠いことを細かに思い出すのである。」これを書いた時、串田は43歳であったが、89で死ぬその間際でも同じことを思い出していたのではないか。爺になっても少年の心を忘れない人がいるし、少年でも老人の醜い心を持つ者もいる。

そうそう思い出した。これは昨日家内と息子との3人で嵯峨のスーパーに歩いて行く途中に脳裏に蘇ったことだ。筆者が中学1,2年生の頃、近所の名前は忘れたが、2,3年下の男児がとても重い布袋を筆者に見せに来た。中を見ると銀色に光った細長い活字がたぶん1000本以上あった。これをどうしたのかと訊くと、500メートルほど離れた印刷屋の玄関脇に置いてあったので奪って来たと言う。筆者は驚き、呆れながら、その小さな印刷屋が大いに戸惑っているので、すぐに返しに行けと言った。店の人にばれずに盗んで来たものならば、同じように見つからずに返すことは出来るだろう。ところがその少年は渋っていた。それで再度筆者は返しに行くことを厳命し、追い返した。その少年には兄と姉、弟がふたりいて、両親とも忙しく商売をし、近所では最も金持ちであったが、子どもたちはみな孤独を抱えていて、筆者の家庭をしばしば羨ましがった。それで何かと言えばその少年は筆者に話をしに来たのだが、使い道がわからない活字をその少年が持っていても何の得にもならず、また奪われた店の人たちの困惑と残念さを思うと、よくぞその少年が盗みをする気になったなと思った。その事件を境にその少年はわが家に足を踏み入れなくなった。恥ずかしかったのか、煙たかったのか。その活字を返しに行かなかったとすれば、その少年はろくな大人にはなっていない。たぶんそうだろう。筆者は勉強がよく出来たこともあって、近所では評判の少年であったが、そのことを活字を盗んだ少年も知っていて、それで筆者に盗んだものが何かを訊きに訪れ、またそれが換金出来る価値があるかどうかを知りたかったのだろうが、人の心を踏みにじって潤うことを考えることをどこで学んだのだろう。親か、あるいは血か。そう言えばその少年の兄も手癖が悪かった。大人になって尊敬出来る人が現われ、芸でしばし生きたが、その後は知らない。銅版画家シュマイサーは、イタケ―島にオデュッセウスが旅の果てに帰還することに自らの画業をなぞらえ、年齢を重ねて旅の宝物でいっぱいになることを夢見た。彼の画業を見ると、その夢は果たされたと言ってよい。他人の所有物を盗むことなど論外で、自然から多くのものを得続ければ画業は豊かになる一方だ。今年の筆者は「風風の湯」で元旦の夜にもらったおみくじによれば、「奇蹟的な幸運が期待でき、芸術関係の人は、よいインスピレーションが湧く…」とあった。ほんまかいなと思いながら、家内が先月暮に買った煎餅に宝舟の焼き印があることに気づき、その写真を撮り、何枚かばくばく食べた後、芸能の神を祀る車折神社にお参りに行くことにした。弁天さんの前には若い女性が数人いた。芸能よりは金運祈願だろう。参道を南下すると、とんがりコーンのような小山を祀る祠があって、この山は何を思うのかと、『山のパンセ』を思い起こしながら踵を返して北門から外に出た。

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