浸り切って気分がいいことを誰しもさまざま持っている。ライヴハウス通いが趣味な人ももちろんそうだが、ライヴハウスごとに演奏するミュージシャンの音楽性がおおよそ決まっているようで、ヘヴィメタが好きな人はフォーク畑の人が主に演奏するライヴハウスには行かないだろう。
音楽もそれを聴く場所もたくさんあって、ライヴハウスに行かずとも音楽は楽しめる。筆者は近所にある「風風の湯」によく行き、自分の部屋で好きな音楽を聴く以外は、そのサウナ室で流れている音楽を最もよく聴いている。ほとんどは記憶に残らないが、3、4か月前のことだが、昔ラジオで聴いて記憶にある音楽が流れた。帰宅してその曲名を苦心して調べると、南米の有名な音楽家の作品で、その原曲が日本の歌手によって歌われて子どもの頃の筆者の耳に届いたことを知り、オリジナルのピアノ演奏をCDで入手しようと思いつつそのままになっている。それはいいとして、先日近くに住む仏師のOさんが初めて来宅し、筆者の所有するCDを見て驚きながら「全部聴けないやろ」と言った。全部をじっくりと聴き込めないという意味で、そのとおりだ。人は時間に限りがあるのに、音楽は無限にある。となれば「風風の湯」でたまたま聴いて耳にこびりついた古い曲とは縁があった。その縁は不思議なものであるから大事にしたいが、他のより濃い縁のために忘れることがよくある。とはいえ、一時の縁でもこうしてブログに思いを書いておくことは自分を顧みる機会となり、それがまた何かの縁になり得るとの思いはある。ところで、今年はコロナ禍のためにライヴハウスが大きな打撃を受け、閉鎖に至った場所も少なくないと聞く。筆者は高齢者であり、また今年は春以降、染色の仕事の注文に忙殺されたこともあって、金森幹夫さんからはそれなりにライヴの誘いがあったが、どれも断った。ひとつ気がかりであったのは、金森さん経由で北海道のミュージシャンのCDを夏頃に2枚もらい、そのミュージシャンが二度京都で演奏したにもかかわらず、筆者は演奏を聴きに行かなかったことだ。そしてGO TO トラヴェル・キャンペーンのさなか、彼らが11月下旬にまた京都で演奏することを知り、今度こそと出かけた。11月23日のことだ。会場はレザニモヲを生んだと言ってよい「夜想」で、筆者は初めて出かけたが、今月で閉鎖になるとのことで、その場所でのほとんど最後のライヴを筆者は見たことになる。チラシには4バンドが出演とあって、筆者はレザニモヲ以外は知らず、また何も調べずに演奏を見聞したが、年内に感想を書いておこうと思う。当夜はチラシにあった順ではなく、最後に記されていた三木英男という男性のギタリストが最初に演奏した。金森さんの旧知のようだが、もちろん筆者は初めて演奏を聴いた。そのわずか15分ほどの演奏について何をどう書くかをこの1か月ほど折りに触れて考えた。

筆者はそのギタリストと顔を合わせず、話もしなかったので、どこの生まれでどういう経歴であるかを知らず、以下に書くことは大いに的外れであるかもしれない。そうであっても、筆者の眼前で演奏された音楽をどう感じ、また何を思うかは筆者の自由で、作品とはすべてそのように作品のみで投げ出されているし、それをなるべくそのまま受け入れることから始めねばならない。ただし、15分の1曲のみでは書くべき材料が乏しい。そこで先ほどYouTubeを調べると、2年前に4,5曲で30分ほどの演奏が投稿されていた。それを見て筆者は「夜想」で接した15分の演奏から受けた印象がほとんど全く変わらないことに気づいた。こう言えば、15分で充分という誤解を与えかねないが、もちろん多くの演奏を聴くほどに個性が明確化し、味わい深くもなるだろう。ただし、そういう機会が筆者にはないかもしれず、今はきわめて薄い縁とでもいうべき15分の演奏から思いを綴るしかない。さて、まず思ったことは年齢だ。たぶん60代と思うが、そうであればギター歴は数十年になるだろう。その間に時代は大きく変わり、当然彼の音楽性も変遷があったに違いない。その到達点として現在の姿があるが、どういう経緯で現在の音楽性に至ったかという興味をそそった。そのひとつのヒントは前述のYouTubeの映像にあるだろう。「夜想」でも彼は少し声を出して歌った、あるいはハミングしたが、YouTubeでもそれがあり、また最後の曲では歌が主でギターは伴奏に回っている。そしてその曲には明らかに「四畳半フォーク」の香りがある。筆者はこの言葉を揶揄的に使った有名女性歌手の歌を全く好まないが、日本ではその女性歌手の歌うきらびやかで空疎なポップスがその後大流行し、今に至っている。今は東京の四畳半のアパートやマンションに住む若者がいないのだろうか。そうではないはずで、彼らは悲しい現実を直視することを好まず、四畳半に住みながらきらびやかさを夢想して空疎な心で悩んでいるだろう。まあそれはどうでもいい。筆者は「四畳半フォーク」の短調の物悲しいメロディも好きではないが、きらびやかで空疎な音楽よりも現実的で、その意味で真実がこもっていると思う。ただし、一種の泣き落としのようなところは、たとえば今年の紅白に出場するGReeeNの音楽が正反対のところに位置しながら、その本質は同じく「あざとさ」にある。何が言いたいかと言えば、TVに出て有名になるには「あざとさ」が欠かせないということだ。そしてライヴハウスで演奏するミュージシャンにはそれがないとまでは言わないが、もっと真実味がある。ただし、その真実味はあまりに聴き手に現実を直視させるもので、それゆえにTVの「あざとさ」を好む孤独な人が圧倒的に多い。もちろん「あざとさ」を承知で楽しむことは誰しもあって、ライヴハウスのミュージシャンも一様ではない。

三木さんはサウスポーで、またピックを使わない。ループ再生の伴奏を多用しながら、空間の広がりを感じさせる音色のエレキギターのソロを奏でる。前述のフォーク調の曲が若い頃の作品で、その後「四畳半」から放浪の旅に出たような味わいがあり、筆者は15分の演奏を聴きながら、突飛かもしれないが、芭蕉の俳句を思っていた。日本的情緒があると感じたからだが、そのことは先ほど見たYouTubeのフォーク調の曲で補強されたと感じている。日本に住んで演奏しているのであるから、日本的情緒がどこかに出て当然で、これは意識しなくてもそうなる。ただし、三木さんにも好きな外国のギタリストがいるはずで、特にエレキギターとなるとエフェクターによって音はどうにでもなり、その分あざとくなりやすいが、三木さんの演奏は言葉は悪いかもしれないが、素直で、それで欲のない芭蕉を連想したと言ってよい。また芭蕉を思い出したのは、江戸時代は芭蕉に憧れて多くの人が俳句に勤しみ、それで身上をつぶした人がいたことだ。三木さんがそうであると言いたいのではなく、誰でも俳句が作れるほどにエレキギターは特別の楽器ではなくなっていて、後はどれだけ長く続けるかだ。その点、三木さんは現在の様式を築き上げるまでにおそらく数十年があり、その年季が演奏の技巧面ではなく、醸し出す音楽性から感じられる。ただし、それを一度聴いて強烈な個性を感じ、ただちに夢中になるという人は珍しいだろう。それは芭蕉の俳句も同じで、即座に心に入り込むものばかりが優れた作品とは限らない。先に広い空間を感じさせると書いたが、それはエフェクターで簡単に出来ることだが、そういう音色を好むところに個性があり、またその音色から筆者はたとえば
ビル・フリゼルの「LIVE TO TELL」やU2のエッジが弾くギターを連想した。三木さんの曲は起承転結がそれなりにあるが、唐突にいつ終わってもよく、「漂泊」という形容がふさわしい。芭蕉ないし吟遊詩人と言えばおおげさな讃辞になるが、人生を託す、人生が滲み出ているという意味においてはギターで思いを語る音楽家であり、また情景が思い浮かぶ点では画家的なところもある。筆者がこれまで見たライヴハウスで演奏するミュージシャンでは彼は最も年配と想像するが、力まず、淡々と演奏するその姿には、自己表現を楽しむひとつの理想郷がある。ギター界の芭蕉になれなくても、無趣味で暇を持てあます人とははるかに違った満ち足りた境地がそこにはある。それは諦念ではない。死ぬまで人は旅を続けるもので、創造に身を捧げる人はなおさらそうだ。三木さんの音楽はまた何かの縁によって変わって行くかもしれない。そうでなくても枯淡の境地に至れば、これまで類例のない演奏を聴かせるのではないか。そういう演奏の場が頻繁に設けられるには、聴き手がもっと高齢化ないし露骨過ぎる「あざとさ」を嫌う人が増える必要がある。
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