人気ブログランキング | 話題のタグを見る

●当分の間、去年の空白日に投稿します。最新の投稿は右欄メニュー最上部「最新投稿を表示する」かここをクリックしてください。

●『細雪』
昨日は終日雨が降った。もう少し寒ければ雪になっていたはずだが、もうそんな日はないだろう。だが油断は出来ない。4月になっても雪の降る日はある。そんなことを考えながら、何を書こうかとぼんやり考えていてこの本に決めた。



●『細雪』_d0053294_1175913.jpgせっかく読書のカテゴリーを設けながら、ブログを始めてまだ一度も書いていなかった。本を読んでいないのではないし、いいと思う本に出会わないでもないが、何となく勢いに乗れないで来た。本は毎月たくさん買っているが、ここで採り上げて面白いようなものではないことも理由だ。この『細雪』は去年秋に映画を見たことがきっかけで、谷崎潤一郎の小説は初めて読む。その後思い出したが、谷崎訳の『源氏物語』も古書で何年か前に買って手元にある。10数冊からなる全集で、箱のデザインの配色がとても気に入っている。この年令になっても『源氏物語』を読破していないのはかなり格好悪い話で、密かに読もうと思ったがそのままになっている。『細雪』を読んだ今では谷崎が『源氏物語』を訳そうとしたのはわかる気がする。谷崎は関東大震災以降関西にやって来て、そこで改めて上方文化を身近に知って大阪や京都の文化を愛するようになった。日本の小説の原点である『源氏物語』も京都での物語であるので、小説家として京都を知る必要があると再認識したのではないだろうか。また谷崎が存命中の京都はまだ今よりももっと町並みも古風であったし、王朝時代の京都の空気を想像しやすかった。京都がいくら変貌したとはいえ、神社仏閣や道はほぼ昔のままであるので、谷崎が味わったであろう京都の空気はそのまま本を通じて想像することは出来る。そのため筆者にはこの小説の中で特に面白く読んだのは京都や芦屋、神戸の知っている場所が出て来る部分だ。それは枚挙にいとまがない。読みながら付箋を貼ればよかったが、何しろたまに少しずつ読んで4か月近くかかったので、仮にメモしていてもそれを途中で失ったであろう。そのためここで書く内容は思いつくままでまとまりのないものになる。
 そうそう、思い出した。昨日大阪に出た。いつも立ち寄る古本屋で200円で『細雪の着物』とかいう本を見つけた。本当の定価は2600円程度だが、文章にたくさんマジックで線引きしてあるのでそんな格安の値段がついていた。市川昆監督撮影の『細雪』に使用されたキモノについての本で、写真が多く、キモノの資料にもなるので買えばよかったが、目新しいことも書かれていないようでやめた。市川昆の『細雪』は見ていないが、筆者が去年見た1950年撮影の最初の映画化と比べて俳優は全部変わっているし、谷崎の没後に撮影されたので、全くの別物として考えるべき作品だろう。しかし、市川昆が映画化するに当たってキモノにこだわったのはよい。1950年の映画でもそれなりにキモノは重要な位置を占めていたが、モノクロ作品であるのでせっかくの豪華さも形なしであった。そこを市川昆は思って再映画化を考えたかもしれない。そうでなければ『細雪の着物』といった本が出版されはしないだろう。中をぱらぱらと見たところ、これも当然だが、キモノは戦前にあったような模様や色合いの、つまり古典的な柄のものが用意され、京都の友禅師たちによって特別に誂えられた。それは困難なことではない。資料はたくさん残っているし、技術も変わっていないので、むしろそんなキモノを復元的に作るのは簡単なことだ。したがって、わざわざ『細雪の着物』と囃し立てることもないと思うが、呉服業界ではキモノを売るためのネタ作りが常に必要で、話題の映画に使用されたとなると、それと同工異曲のものが一時期にしろブームになって売れる。そのようなまことに情けないとしか言いようのない商売を呉服業界は長年続けていて、時代は変わっても、ある一定の割合で過去の流行をそのまま追ったような商品を作って売ろうとする。キモノそのものが回顧的商品であるため、回顧という要素こそがキモノを売るための最大のテーマになっているのだ。つまり、もう時代を先取りしたような斬新なキモノの流行を生み出す潜在力がなく、一部にそういう動きがあってもそれはかえって邪道のようにみなされる。市川昆が『細雪』によってそれなりにキモノの美しさを画面に定着させ得たとは思うが、それは半世紀前のキモノを復元したことのみに終わったと言ってよい。
 『細雪』は戦後すぐに3巻本が順に出版され始めたが、執筆が始まったのは戦前で、昭和10年代を描く。ヒトラーがオーストリアに進軍しつつあることや、満州で一旗上げて成金になった人物の話など、不穏な空気が随所に出て来るが、それ以外は全くホームドラマのような4姉妹の日常を描く。「細雪」という言葉は一度も登場しないし、雪の場面もなかったと思う。薬や医者の話が頻繁に登場し、それは異常とも思えるほどだ。谷崎はよほど健康に気をつけていたのかもしれない。また奈良ホテルに宿泊した時に南京虫にかまれる場面がある。それは実際の谷崎の経験かもしれないが、有名ホテルともあろうものが不潔な南京虫とは何事かという思いがあったとしても、少しおおげさに騒ぎ過ぎる気がする。よほど谷崎は潔癖症であったのだろう。戦前から書かれ始めたが、開戦迫る中で贅沢は禁物ということで雑誌掲載は中止になった。これは具体的にどの部分か知らないが、たとえば姉妹が帯をあれこれ取り変えて着用し直す箇所だろう。ほかにもキモノや帯の模様の名前がよく登場し、そういう部分は今の若い人には大半はちんぷんかんぷんであるに違いないが、日本の古典的文様の代表的なもの程度の名前を知っておくと、この小説はさらに面白さが増す。それを映画では視覚的に表現するので、ただきれいなキモノだなと思えばそれで充分かもしれないが、文様にそれぞれ役割というものがあるから、ある程度の教養があればなおこの物語の小道具は楽しめる。そして小説の本当の面白さは実はそういう細部にある。誰がどうなってどうのこうのというのは、いわば二次的な事柄とさえ言える。実際この小説は始まりも終わりもあってないようなもので、いつ終わってもよいと思える一方、まだまだ話が続いてよいとも思わせる。だが、そう言ってしまえば谷崎に失礼だろう。用意周到に仕組まれた物語というものがあって、やはり最初と最後は印象深いと言えるからだ。それに最後は日本が悲惨な戦争に突入して行く前で終わるので、よけいに4姉妹のその後の運命がいろいろと考えられる。それはまた別の物語で、たとえば妊娠した子を流産した末娘の妙子はバーテンダーと結婚するという最も貧乏くじを引いた形で結末を迎えるが、ひょっとすれば戦後に裁縫技術で才能を発揮して4姉妹の誰よりも成功した人生を手に入れないとも限らない。いや、きっとそうだろう。だが、そうした可能性を何も書かずに、あくまでも戦前のまだ豪華な生活がそれなりに許されていた姉妹たちのある一定の区切られた時期の日常だけにとどめている。
 最後まで読んでおやっと思ったことがある。1950年の映画とは結末に差があることだ。大筋では一緒だが、映画では小説にはない象徴的な場面をつけ足していた。谷崎が脚色された台本を見てゴー・サインを出したのは確かだが、どのような経緯があったか知りたい気もする。全3巻の小説を2時間少々の映画にまとめるのはかなり物語をはしょる必要があるが、映画は小説の抜粋ではなく、小説にないことも描いている。映画の結末では、大阪上本町9丁目の両親がかつていた実家にうえの姉妹ふたりがしみじみと話をする場面がある。そして盆に載せて運ばれたお茶の中に天井からぽつりと白いものが落ちて入る。それを見て姉妹のひとりが白蟻だと気がつくが、古い木造の家がもう朽ち果てて行きつつあることをそのことでふたりは実感する。この場面は時代の変化が不可避であることをうまく描いていて、小説の主題をよくまとめて表現している。そこから思うのは、小説がどこまで厳密なものかということだ。一字一句を変化させてはならないとするのであれば、映画でのこの脚色は否定されるはずであるし、谷崎としては小説は本にはなったが、1950年の段階では、大筋はそのままであれば、つまり解釈に誤解が生じないのであればある程度の改変はいいと思っていたのではないだろうか。それは、小説にはあるのに映画に全く登場しない、知り合いのロシア人親子や隣家のドイツ人夫妻と子どもたちとの交流に関する話などからも言える。映画がいくら小説をもとにしているとしても、小説の完全な視覚化は問題ではなく、的外れなものでない限り、そこそこの改変は許したということだろう。
 映画を先に見たにもかかわらず、不思議と小説からは映画の俳優たちの顔や演技は思い浮かばなかった。そして小説の方がはるかに内容が豊かで、これは忠実に映像化するとかしないとかの問題ではないと思える。どう巨額を費やしても小説の完全な映画など無理で、映像では想像が限定されるが、文字ならばより自由に想像が出来る。へぼ小説もあるが、大体において文字による描写の方が映像よりも豊かな内容を持ち得る。百聞は一見にしかずと言うし、映像は映像の永遠性は当然あるが、映像があれば文字が不要という時代は絶対に来ないだろう。文字は嘘を込めることが出来るが、映像でもそれが可能なことを今では誰しもよく知っている。嘘をつくのはむしろ映像の方とさえ言える。それはいいとして、久しぶりに小説を読む楽しみを味わえたが、それは選んだ本の版がよかったからだ。文庫本であればきっとこうはならなかった。筆者が入手したのは各巻箱入りの3巻本で、戦後直後に発刊されたものだ。つまり、この小説が世に出た最初のもので読んだ。これは谷崎が自作をどういう形、紙質、活字の本で読んだかを知りたかったのであえてそうした。奥付けには「潤一郎」と彫った白文方印の検印が捺されているが、この朱色が生々しくてよい。こうした検印は後年には廃止されるが、谷崎が自分で捺したものではないにしても、こういうごくささいな点が艶めかしくてよい。各巻はみな厚さが3センチほどあるが、驚くほど軽い。片手でずっと持って読んでも全然疲れない。ハードカヴァーではなく、本文と一緒に折り曲げられるフランス装で、これもよい。紙はやや粗悪で裏と表とでは質がかなり違う。ざらざらした面とつるつるした面が交互に出て来るのだが、これも慣れれば気にならない。本文は1ページ当たり13行で1行当たり35文字であるので、かなりゆったりと読みやすい。文字をびっしり埋めても455文字だ。ページ数は上巻が393、中巻が488、下巻が560で、全部で1441ページ、400字詰め原稿用紙で1600枚ほどになるが、活字が全面に埋まったページばかりではないので少し割り引くと、実質1400枚程度ではないだろうか。毎日少しずつ書き続けたようだが、その持続性はたいしたものだ。長編でも一貫した調子で整っていて、どのページもすらすらと読める。それでいて無駄もなく饒舌も感じさせない。それに最も感心したのは、大阪弁がそのままうまく活字になっていることだ。これは簡単なようでいてなかなか難しい。下手をすると下品になってしまうからだが、そこは大阪弁でも船場言葉を使用しているため、まことに香りが高い。神戸弁を話す婦人の登場がわずかにあるが、そこではその独特の訛を面白がっていて、谷崎が大阪と神戸の言葉の違いをしっかりとわかっていたことを伝える。これは関西に住む者でないとわからないが、京都、大阪、神戸の言葉はそれぞれに住む人が聞くとすぐに違いがわかるし、大阪だけでもまたいくつかの地域で違う。それだけ上方は奥が深いのだ。
 下巻の最後では3女の雪子がいよいよ見合い結婚の話がまとまり、毎年訪れている嵐山を、桜の季節ではなくて極寒の季節に訪れて、結婚相手の後見人の子爵の別荘を訪れる場面がある。そこはかなり詳細に描写されていて、谷崎が実際にそのようにして同じ場所を訪れたことをはっきりと伝えるが、百人一首で有名な小倉山であるので思い入れが強かったのであろう。『源氏物語』を訳そうとしたこととも関係があると思える。小倉山は筆者のいる部屋から見えているし、歩いても10分少々であるから、よけいにこの小説を遠いところの出来事ではないような気にさせた。だが、今はその子爵の別荘が想定されている場所にも変化が訪れて、谷崎が知っていた時とはかなり違っている。その最たるものとして、筆者も知らなかったことがあった。それは姉妹たちが京都の桜や新緑を愛して嵐山に来るたびに利用していた嵐山から愛宕山の上り口まで通じていた路面電車だ。また愛宕山には中腹までケーブルカーがあったという。早速ネットで調べてわかった。実はいつも嵐山の桂川沿いから丸太町通りに抜ける道を車で通る時に利用している高架のすぐ下がその路面電車の軌道であった。丸太町通りから北に愛宕山までは今は道路になっているが、そう言えばそこに路面電車が走っていてもおかしくはない。戦争中にそれは廃止されてしまい、今はトンネルやケーブルカーのためのコンクリートの土台がわずかに残る。戦前の嵐山が今と同じように桜の名所でたくさんの人が訪れていた様子は小説からよく伝わる。たとえばチマ・チョゴリを着た朝鮮人たちが嵐山公園で踊っている描写がある。日韓併合時代であったのでそうしたこともあったのだが、今でも嵐山公園は桜の季節になると韓国人を初めあらゆる人種の人がたくさん訪れる。美しい桜には国境はない。日帝が植えたソウルの桜は戦後もそのまま韓国の人々によって大切にされ、花の名所になっている。韓国ドラマ『美しき日々』でもそれは登場した。谷崎にとって美しき日々は戦前までであったのかもしれない。キモノがとてもよく似合う4姉妹を思い浮かべていると確かにそう言えるかもしれない。
by uuuzen | 2006-03-17 01:18 | ●本当の当たり本
●黄色い雪 >> << ●『永遠の片想い』

 最新投稿を表示する
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2025 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?