撤収の季節が大幅にずれるのが鶏頭のようで、12月になってもまだ種子をつけずに大きな花を誇っている場合がある。一昨日投稿した右京警察西100メートルの民家の前庭でお婆さんとしばし話した後、同警察署前で今年最高の鶏冠鶏頭を見かけた。
夏以降、何度かその花の前を通っているはずなのに、狭い歩道際で坂の途中にあり、いつも注意しながら真正面を向いて自転車で勢いよく下っていたので気づかなかった。それにその鶏頭があるのは、「右京警察署」の大看板の真下にある「昨日の交通事故」を告知する大きなガラス入りの看板前だ。筆者はいつも警察の前をなるべく早く通過しようとする。その気持ちは昨日の投稿から理解されると思う。今日の2枚の写真は一昨日の写真と同じく先月24日に撮ったが、惚れ惚れするほどの太い茎におそらく日光が終日当たるはずで、花はとても気持ちよさそうだ。帰宅してグーグルのストリート・ヴューで調べると、この赤と黄の2本の鶏冠鶏頭は今年のみ育ったようだ。また最新の今年10月撮影のストリート・ヴューではまだ赤い花は色をつけていない。誰かが植え育てたもののはずで、警察署に花好きがいて、間引きながら勢いのよい1本ずつを残したのだろう。狭い歩道際で警察の前では、気持ちよく写生は出来ない。それに自転車を停める場所が近くにはなく、嵯峨のFさんのように10分ほど停めると撤去される。それでともかく写真だけ撮った。よく見ると花はかなりねじれていて、筆者が望むきれいな扇型ではない。ただし、育ちぶりは申し分なく、何百年か前に中国で織られて日本に舶載された「大鶏頭金襴」を彷彿とさせる。一昨日載せた久留米鶏頭は発泡スチロールの箱をプランターとして用いたものだが、それにしては立派に育っている。それは土もそうだが、いかに日当たりが大切かを語っている。人間も同じだ。それでSNSでも注目されたい人が多く、人生は目立ちたがり合戦と言えるのだろう。右京警察署のこの2本の鶏冠鶏頭はその久留米鶏頭と同じ南向きにあり、前は道路で、さらに前に光を遮る大きな建物がない。右京警察の南方は下りの斜面で、三条通りのすぐ南に嵐電が走っている。わが家の南面する裏庭は日当たりがよくない。近くに細長い畑があって、所有者は何年も前から筆者に買ってもらいたがっているが、そこなら日当たりは抜群、小川沿いで水やりは簡単、土は数百年前かもっと以前からの畑であるので充分肥え、「大鶏頭金襴」のごとく堂々たる鶏冠鶏頭の花が1000本は植えられる。それを実現するのも面白いが、そのために〇千万円も支払って畑地を買うという行為は、まあ普通の感覚では「馬鹿じゃなかろか」だ。もっとも、筆者はその馬鹿の部類で、普通の人には信じられない馬鹿なことをする。時間や金の価値感がちょっと変わっているのだ。後者に恵まれない金欠病の典型人だが、前者がたっぷりあると思えるのは豊かであろう。
警察署前の路傍に咲いているその2本の鶏冠鶏頭の種子があれば、日当たりはひとまずおいて、同じような花を咲かせることは出来そうだ。そう思って今月6日、家内と天神川沿いの大型スーパーに久しぶりに出かける途中、その花の前に自転車を停めた。その日は半年以上かかった振袖を染める仕事をようやく終え、それを仕立て屋に出した数日後で、気分的に一息ついていた。まだFさんから自転車をもらう前のことで、筆者は梅津の自転車から買ったあまりに年季の入ったオンボロに乗ったが、警察署の前の坂の途中で自転車を停めるのは背徳的な気分だ。そうそう、一昨日言及した真っ赤な久留米鶏頭はもうその日は全部処分されていた。そうであるだけにこの警察前の鶏頭が目立ったが、撮影した先月24日から12日経っても、劣化は全くなかった。ということは種子の採取も望みにくいが、ともかく歩行者や自転車が通るので1分ほどで作業を済まそうと思って、自転車を坂の途中で停めた。家内は理由がわからず、きょとんとしていたが、小さなビニール袋を取り出させた。そこに種子を入れるつもりだ。赤の鶏頭の大きな花を手に取り、その裾の種子が出来る当たりをまさぐりながら、「これこれ、そこの」「はい、石の地蔵さんです」といった警官とのやり取りを古い歌に絡めて思い浮かべ、警官に呼び止められないかと心配したが、見つかっても、「あ、野生かと思いました」としらを切る。実際その可能性はなくはない。花の塊はブロッコリーのようでありながらわずかに湿り気があり、またずしりと重かった。12月になれば鶏頭は充分な種子をつけるはずが、その花はまだ開花の盛りで、種子をつけるには1か月は早いようだ。残念。せっかく警察の目を盗んで警察署の看板前で泥棒をしてやろうと思ったのに、1粒の種子も得られない。おそらく8月頃に種子が蒔かれたのだろう。遅咲きということだ。ならば今日もまだ咲きながら、種子が出来ているかもしれない。鶏頭の種子は芥子の実と同じほどの微細な粒で、無数と言いたいほどにひとつの花から大量に採れる。なので、ごくわずかな程度は泥棒してもわからず、また許されるだろう。と勝手なことを考えるが、わが家から自転車で25分ほどの距離が億劫なほどに、三条通りは道幅が狭いにもかかわらず、バスや車が多く、自転車で走るのは大いに神経を使う。Fさんが祇園に馬券を買いに行く際、四条通りより南の高辻か仏光寺通りを走るのはそのためだ。筆者はもっぱら松尾橋をわたって四条通りを利用して四条大宮まで自転車で走って来たが、ここ1、2年は渡月橋を北にわたって三条通りを利用するようになった。歩道がきわめて狭いかないに等しいので、神経を使う緊張感がいいかと思っている。それに歴史の長さを言えば圧倒的に三条通りで、また四条通りにある三菱のような大きな工場がなくていい。
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