坪内逍遥という名前を知ったのは中学生であったが、一坪の土地を気ままに歩き回るという意味はなかなか日本的ながら、人生とはしょせんそういうことだと思う。人間は寝ても起きても畳1枚と言われる。
動き回る範囲はザッパのように地球規模の人もいるが、ごく狭い範囲から一生出ない人が小さく生きるとは言い切れない。人生の密度は誰しも同じようなものだ。だが、表現者は仕事量がものを言う。わずかな仕事をしてそこから名作を生み得ると主張する人もいるが、まあ無理な論理だ。圧倒的な仕事量の点で言えば、ザッパの右に出る者は今後も稀ではないか。アラン・ホヴァネスはその稀の部類に属するが、残念ながらその全交響曲はまだCD化されていない。人気が湧けばそうではなくなるだろうが、その人気沸騰の契機が訪れるかどうか。その点ザッパは幸運であったが、生前からアルバム発表の頻度は高かった。それはさておき、アルバムという言葉をLPにも使うことを知ったのは中学生になってビートルズを知ってからであったが、今回アレックスから届いた本『ZAPPA』は本来の意味でのアルバムと呼ぶにふさわしく、ハードカヴァーの横開き、126ページの写真集で、昨日載せたように、ザッパの両親のおそらく結婚式のスナップ写真から始まって、赤ん坊、幼少時、そして弟と妹が揃った家族写真など、音楽を目指す以前をまず概観するが、これらの写真はザッパ個人の写真集からのもので、ザッパの私生活を覗く、一種後ろめたさがまとわりついた密やかな思いにかられる。本来は他者に見せないものであるかだが、ザッパはこれら20歳までの写真を披露して来たし、またそれを踏まえて未発表写真を遺族はザッパ没後のアルバムのジャケット写真として使って来た。そのため、珍しい写真は少ないが、それでもこうしてまとまった形で年代順に見せられると、有名人は両親のことも含めて過去が白日の下に晒される残酷さのようなものを感じる。だが、この本の最初に両親が笑う結婚式の際の写真を持って来たことは、ザッパのその後の人生を暗示して輝かしい。この両親がいなければザッパは存在せず、筆者がザッパの音楽を知ることもなかった。となれば、筆者の人生はザッパの両親が出会ったことに幾分かは負っている。そのように考えられることをザッパの両親は夢にも思わなかったはずだが、そこが人生、人間の面白いところで、たった一坪の中を逍遥することで終わる人生であっても、そこには無限の何かとつながることは出来る。またそういうことを如実に感じさせるのが、この写真集としてのアルバム本だが、写真以外に若きザッパが描いた絵やまた楽譜なども挟まれ、視覚を通してザッパ像を提示する。そのことはアレックスが制作した映画『ZAPPA』でもあるが、つい先ほどアメリカの大西さんからそのDVDが届いた。彼はパソコンではなく、TVで有料視聴し、録画が出来たのだ。
ついでに書いておくと、今朝大西さんからメールがあって、アレックスから届いたEPに収録される全5曲のデジタル音源が添付されていた。これもまだ確認していないが、CD-Rに焼けるようであれば、早速そうするつもりでいる。話を本に戻すと、両親の笑顔の写真ページの最下段に「Printed in China」とあるのが時代を伝える。たぶん多くても2000部しか印刷されていないはずで、中国の印刷会社がこの本の海賊版を作ろうと思う気にはならないはずだが、来春発売される公式サウンドトラック盤と対になる形でこの本が内容を少し変えて一般発売される可能性はある。その時は巻末8ページを要している支援者の名簿が外されるとして、その分を他のザッパ写真で埋めるのは編集が二度手間になるので現実的ではなく、ザッパの全アルバムのジャケット紹介になると予想する。またそのようにしてでもこの本を一般の人がいつでも買える状態にしておくべきで、それほどに未発表写真が満載で、筆者のブログではとても全部紹介し切れないし、またそうすることはご法度だ。巻頭にアレックスの序文があることは昨日書いたが、それに続いて計4ページ分の文章がある。ロック雑誌の記者デイヴィッド・フリッキが78年10月28日にマンハッタンのホテルでザッパにインタヴューした時の印象記だ。ざっと斜め読みしただけだが、ザッパ・ファンなら周知のことで、さほど珍しいことは書かれていない。インタヴューの終わりでザッパは次のように言った。「自分たちのライフスタイルを強化する必要のある人を楽しませるためのグループは多い。そこらじゅうにいる。彼らはフリーズドライで糞だ。彼らは宇宙仮面に猫髭をつけ、5音音階発生機につながれたタイプライターのように演奏する」 これはザッパが「ティンセルタウンの騒動」で歌ったことと同じだ。ところが、娯楽を売る会社が資金を注いで作るそうしたグループはザッパの何十、何百倍も稼ぎ、また人気を誇る。そういう巷の流行に敏感であることが格好よさと思っている頭からっぽの若者たちは高度な音楽が何たるかを知らず、また知りたいとも思っていない。そしてそのことが政治家に及んで酷い人物が大統領や首相、知事になっている。一方、そういう中身からっぽの張り子の提灯持ちする似非評論家がワサワサいて、頭からっぽを巧みに煽動する。そこにコロナが蔓延して、キラキラのハリウッドだけでなく、今や世界中が騒乱だが、それが革命につながることはまあない。さて、今日でアレックスから届いたグッズの紹介をひとまず終えるつもりであったが、まだどういう写真があるかを概説もしておらず、「冊内逍遥」によって「六味感想」と言えばいいか、いくらでも思いが涌いて来る。作品の面白さとはそういうもので、ザッパが皮肉るフリーズドライ的音楽を歓迎する頭からっぽの「無味乾燥」とは大いに違う。
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