蛭子はヒルの子であるのにゑべっさん、すなわち恵比須と同じとされる。それで蛭は蝦と同じかと思うと、恵比須、戎は蝦とは関係がなさそうで、話はややこしいが、蛭は昼と同じ発音であることから、蛭を太陽の象徴とすることもあるという。
古代から親父ギャグ、爺の自慰ギャグはあったと見え、筆者も自分のことをそう自虐することもない。今日は昨日の補足から始めるが、『ウィア・オンリー……』に数秒使われたギター・ソロ曲「RAWGAH」はどの箇所かと言えば、冒頭曲「アー・ユー・ハングアップ?」の終わりに響くギターで、それは「RAWGAH」の主題と言ってよく、前奏が終わって奏でられる。この「RAWGAH」を含む新アルバムをザッパは当初考えていたのではないだろうか。それがビートルズの『サージェント・ペパー』が世界に衝撃を与え、それに呼応する形で想定していた楽曲を再編し、『ウィア・オンリー……』を作ったのではないか。「RAWGAH」をわずか数秒しか使わなかったことは、ベートーヴェンの第9交響曲の最後の楽章にあるように、その前の楽章のモチーフを使ってそれを否定する思いと捉えてよく、『ウィア・オンリー……』に込めた思いが最新かつ絶大であったと言ってよい。つまり、ある作品に全力を投入し、次作のために何かを温存し、その後小出しにするという気分的余裕はなかったということだが、20代半ばというものはそういうものだろう。ザッパの場合、その初期活動の重みが圧倒的で、映画『ZAPPA』が初期に力点を置いているのは当然と言える。「RAWGAH」の興味深い点として、すでに「キング・コング」に似たメロディがあることで、ザッパの作品の芽は最初期に出揃っていたことが未発表音源の公開とともにより鮮明化して来ている。またこの曲でザッパはベースも弾いていて、そのことも後に繰り返されるが、ビートルズ後のポール・マッカートニーの初アルバム以前にザッパが小規模ながらひとり多重録音を試みていた先駆性が本曲からわかる。またこの曲はウォーキング・テンポで延々と続くような雰囲気があるところはインドのラーガと同じで、瞑想には持って来いといったところだが、すでにザッパのギター・ソロの独特の味わいに満ち、筆者はこのEPでは最も買う。A面の最後はやはりギター・ソロ曲で、「RAWGAH」から始まってその後15年でザッパのギターがどう変わったかを示す。81年11月17日のニューヨーク、ザ・リッツでの「イースターの西瓜」で、これは初めての収録だ。来春発売の公式サウンドトラック盤には同じ曲が収められるが、それは昔アルバムに収録されたヴァージョンであるので、本EPを所有する支援者は優越感に浸れる。81年のザ・リッツでの演奏は海賊盤があり、YouTubeでも全曲が投稿されているが、今回のようにザッパ・ファミリーが公式に発表することは重みが違う。
ザ・リッツのライヴはアル・ディ・メオラがゲスト出演してザッパ曲を演奏したことでよく知られ、ザッパはそのライヴをレコード化したがったようだが、ディ・メオラが拒否したそうだ。ザッパ・ファミリーは彼に掛け合ってザ・リッツでの全演奏をアルバム化する意欲を持っていると想像するので、いつか海賊盤にはないボーナス・トラックつきでアルバム化されるのではないか。話を戻して、「RAWGAH」のインドっぽい雰囲気のギター・ソロからその後ザッパは脱したかと言えば、そうでもない。それどころかラーガの延々と続くソロはザッパのギターの代名詞になった。何が変わったかと言えば、インドを含みつつ、壮麗、壮大な伽藍を思わせる響きで、それはギター・アルバム『黙ってギターを弾きな』のタイトル曲に端的に表現されるが、詰まるところインドの宗教ではなく、カトリックにザッパが染まっていたことを同曲は照射する。ただし、インド的への憧憬はあって、ヴァイオリン奏者のL・シャンカールを迎えての「13」という曲はラーガの複雑なリズムを意識した変拍子だ。78年10月にパラディアムで演奏された同曲をザッパは『オン・ステージ第6集』に収めたが、アレックスへの支援者が視聴可能な「VAULT PASS」には、「パウンド・フォー・ブラウン」を含む18分という、12分も長いヴァージョンがある。さてEPのB面は最初に「ヴォールト・オブ・イマジナリー・ディジージズ」という5分半のザッパの語り曲で、73年3月の演奏だ。「ヴォールト・オブ」は「蔵出し」と訳していいだろう。「イマジナリー・ディジージズ」(想像上の病気)はザッパ・ファンにとっては蛭子(ひるこ、えびす)のようなわかりにくさがある。生前のザッパが同曲を発表しなかったからだ。同曲を含む同名のアルバムが出たのは2006年のことで、また収録曲が有機的につながっていないこともあって、あまり馴染みがあるとは言えない。映画『ZAPPA』も72年のザッパの活動をほとんど紹介していないようで、その72年にあって「イマジナリー・ディジージズ」はザッパの概念継続として存在し、73年の新バンドに至ってもその言葉をステージで使っていた。そのことを本EPは紹介したいのだろうが、本EPそのものが「蔵出し」曲で成り立っていることを思えば、ロキシー時代のアルバムで収録されなかったちょっとした不満は忘れるべきだろう。ついでに言えば、『イマジナリー・ディジージズ』の10年後にその続編の『リトル・ドッツ』が発売され、また数年前の「レコード店の日」には同じ72年の未発表曲をいくつか収めるアナログのEPが限定発売され、「イマジナリー・ディジージズ」にまつわることは蛭子のようにややこしい。それが本EPで倍化したが、ザッパの語りを詳細に分析すれば当時どのような病気を空想していたのかがややわかるか。
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