府がふたつ並ぶ大阪と京都だが、大阪は東京に対抗意識があり、大阪市をなくして大阪都にしようという動きがあった。ところがその最初の投票以降、大阪都とはならないことがわかり、1回目と同様、大阪市をなくす案は否決された。
加藤一雄は大阪市内に生まれて嵯峨で死んだが、最晩年に生まれ故郷の谷町9丁目から少し南辺りを歩いた後、大阪に未練はなくなった。あまりにも街並みが変わってしまったからだ。では、加藤が晩年暮らした嵯峨の現在は昔のままかと言えば、そうではない。加藤が暮らした家の土地は元は材木商が所有するものを新興の宅地として開発したものだ。その後も同じ業種はどんどん廃業し、代わりに小さな家が建て込んで嵯峨の風景は大きく変わった。なので、加藤が生きていれば、嵯峨からまた辺鄙なところに引っ越したであろう。思うに大阪市内と違って京都市内は山に囲まれ、その山は昔のままであることがよい。わが家は3階から間近に嵐山や西山が見え、その眺めがここ30数年変わらないことに何となく安堵する。とはいえ、昨日「風風の湯」で常連から耳にしたが、嵐山の亀山公園に熊が出没し、その注意を喚起する貼紙がたくさん出ているそうだ。昔はそんなことがなかったと思うので、山も年々変わって来ているのだろう。今日の写真は上が去年の今頃、下が今月19日で、嵐山の市営駐車場の入口脇に係員が戯れに小さな玩具を並べている。観光客が落として行ったものだろう。すぐ近くの植え込みの切り株上に同じような人形が接着剤であちこちくっつけられている写真をこれまで「番外」として投稿したが、
去年5月2日以来、それらの人形はなくなる一方で筆者も関心を失った。嵯峨のスーパーに行く際は毎回確認するが、一旦見捨てられたものは惨めで、もう関心を持ってもらえることはほとんどない。先日カメラのメディアを確認していると、今日の写真の上のものが残っていることに気づき、そして1年後にどう変化したかを確認する意味で下を撮った。比べるとまあ妥当な変化だろう。これが5年後となるともっと様子が違っていると思うが、さびれるのか賑やかになるのか、あるいは玩具を並べている台そのものが消えているかもしれず、経年変化は予想がつかない。そこで大阪府がいつか大阪都になるかと言えば、天皇が住まない限り無理な話だ。「風風の湯」で85歳のMさんは、大阪市が尼崎を組み込めば大阪は大成長すると言うが、兵庫県が尼崎を手放さないと筆者は意見した。いつか大阪市に大きな変化があるかもしれないが、筆者は京都に住んでたまに大阪に出るのがよい。その点は加藤を見習っている。またMさんは昔の京都はそぞろ歩きが楽しかったのに今は無残なものだと言い、そのことには筆者は同意する。切り株のようになってしまった大阪や京都で、日本全体がそう言えるだろう。
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