菩薩像に髭が生えたものがあって、ガンダーラのそれを少し変えるとザッパ菩薩になるが、ザッパと仏教のつながりはほとんどない。今日はアレックスからメールが届いたが、まずは昨日の続きめいたことを書く。
ジミ・ヘンドリクスのアルバム・ジャケットにジミがインドのヴィシュヌ神に扮したものがあって、その60年代末期のインド・ブームをザッパはどう思っていたのだろう。マハヴィシュヌ・オーケストラはさらに徹底してインドの神を意識したアルバムを作ったが、西洋文化の行き詰まりを思って東洋思想に憧れたことは理解出来る。レナード・コーエンはもっと徹底して日本の禅に関心を持ったし、それは指揮者のチェリビダッケにも言える。ザッパは60年代末期にローマ・カトリックをからかいながら、キリスト教に代わる宗教として東洋のそれに憧れなかった。とはいえ、その文化には関心を持ったはずで、来日したのもそれが理由のひとつであったと考えてよい。「ヨー・ママ」の長大なギター・ソロがインド音楽のラーガを思わせることを筆者は昔に書いたが、ザッパはジミやジョン・マクラフリンのように視覚性にインド風を求めることはなかったものの、インド音楽にはそれなりの関心を持っていたと想像する。それがわかりやすい形ではなく、またアルバム・ジャケットなどの視覚性にインド的なものを使わなかったので、今さらザッパを菩薩像になぞらえることもないが、『ザ・イエロー・シャーク』で見せた柔和な表情は慈愛を感じさせた。サイモンさんが筆者をザッパに引き合わせたのは、筆者の人柄をまず評価してのことのはずで、またザッパは会ったばかりの筆者を信頼出来ると思ったことが伝わった。誰しも初対面で相手がどういう人間かはおおよそ察知出来る。ザッパは多くの人と出会い、時に裏切られて人間不信の面があったと想像するが、最晩年の柔和な表情は末期癌ゆえの悟りによるものだろう。それはザッパの場合、諦念ではなく、新たな発想の具現化への思いで、それを保ったままザッパはあの世に向かった。さて、今日のメールによればアレックスは支援者向けのアルバムにサインをしていると書く。その数が数百というので、これは「その3」に書いた2500枚限定とは食い違う。またアレックスは支援者向けの本を発送済みで、DVDの発送は今月末になる。そしてアメリカ以外の国での配給はまだ何も決まっていないとのことで、日本盤の話は来年になるだろう。本の体裁は書かれていないが、着払いとなると、アメリカからでは高い場合は数千円する。高額の送料が怖いので、筆者はポスターは不要と伝えたが、送料程度で誰か譲ってほしいと言う人があるかもしれず、せっかくの権利放棄は惜しかったかもしれない。DVDやその他、届くものが全部手元に集まると、また「大ザッパ会」ででも披露したいが、コロナ禍で京都のパラダイス・ガレージは定員10人以下という。
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