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●映画『ZAPPA』サウンドトラック・デジタル・ダウンロード、その5
っちゃんと呼ばれる筆者の母で、孫がいればその呼び方はおかしくはない。筆者が自分のことを爺と家内に言うと、家内はいい顔をしない。孫がいないからだが、傍目にはそれがわからず、明らかに爺の年齢だ。



じっちゃん、ばっちゃんが訛ってじったん、ばったんと、じたばたする高齢者は見苦しくても、高齢に達しなければ人生を悟り難く、ザッパの最晩年の顔にはそれまでにはなかった慈愛を感じさせるものがある。その享年53は日本の平均寿命からすれば若過ぎるが、じっちゃんと呼んでいい風格がある。老いを受け入れたくない女性は身体を加工し、化粧もし、化け物となってTVに出て悦に入るが、そのじたばたは時に痛々しい。若く見えて精神まで若いままがいいのであろうが、子どもの頃と同じ知性のなさを露呈している中年有名人を見ると、その醜さに嫌な気分になる。ところがそういう連中があまりも多く跋扈し、ザッパの音楽が真に受け入れられることはない。そうそう、中村とうようはアストル・ピアソラの音楽をあまり評価しなかった。ピアソラの曲に、タンゴがカフェやバーで演奏され、やがて大きなホールでコンサートが開催される進化を主題にしたものがある。中村はそのことが気に入らなかったのだろう。大衆音楽は場末で演奏されることが最もよく、クラシック音楽のように着飾った人たちが襟を正しくして聴くことは間違いと思っていたようだが、その反クラシックの姿勢は何をもたらすか。結局愚かさが蔓延するだけだ。大衆音楽は常に新しいものがもてはやされる。それを追う人生は楽しいだろうが、大人になると、特に好きという音楽家ないしミュージシャンが出来て新しい音楽を徐々に受け入れられなくなるか、よさを認めても大好きというほどにはなりにくい。そういう状態は若者からは時代遅れの精神と揶揄されるが、その若者もすぐに同じ状態になるのであって、そのことを知らない若者は愚かだが、若さとは愚かさとほとんど同義だ。そうでない人は若い頃に本物と出会い、人生の進路をおぼろげながらも決める。この本物というのはクラシックと言い替えてもよい。ザッパにとってヴァレーズはそうであったが、当時のヴァレーズは戦前に代表作の大半を書き上げてはいたものの、存命中で、古典音楽とは言い切れないところがあった。にもかかわらずザッパがその音楽に古典の風格のようなものを感じ取ったことは確かだ。またその古典とは改革されるべきものを秘めつつ盤石感を持っているとザッパは学び取ったに違いない。もっと言えば、改革のためのネタが古典にある。中村は70年代末期から80年代初頭にかけてのザッパのアルバム群に瞠目したが、当時のザッパが交響楽団用の作品をせっせと書き続けていたことを知っていたであろうか。またそれらの作とザッパのロック曲との関係にどれほどの思いを馳せていたであろうか。結局中村はザッパを理解しなかったのではないか。
●映画『ZAPPA』サウンドトラック・デジタル・ダウンロード、その5_d0053294_14345178.jpg
 ヴェンダースの映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』は、ライ・クーダーがキューバで有名であった老ミュージシャンを集めて大会場で演奏させる内容で、そこにピアソラが目指し、実現させたことと同じことがある。檜舞台に上がったことで彼らは世界中から注目されたのであって、場末で演奏していれば、またその場があったとしてだが、誰からも注目されなかった。彼ら大衆音楽家がライ・クーダーの目に留まったことは、才能があるのにほとんど忘れ去られていたからだが、ピアソラやザッパが自力で大観衆を集めたコンサートを開催した姿勢を中村は批判するのだろうか。大衆音楽は大衆の中にあってこそで、場末のバーなどでの演奏が最もよいと評論家が言うのはおこがましい。小説『TRILBY』のトリルビーは、音楽家のスヴェンガリに見出されて大観衆の前で歌うことになるが、スヴェンガリは彼女が場末で喝采を浴びることを成功とは思っていなかった。そこにはピアソラと同じ考えがあって、音楽が歴史に輝かしく刻まれるには、少人数のバーでの演奏では駄目で、知性も教養もある人が集まるコンサート会場に晒される必要がある。それは自ずとそうなって行くところがあって、ピアソラやザッパはその代表だ。ここから本論。ザッパの最後のステージは亡くなる前年のドイツのフランクフルトでの『ザ・イエロー・シャーク』の公演で、その初日の最初の曲「序曲」をザッパは指揮した。その様子はTV放送を録画した海賊DVDで昔から知られているが、アルバムでの発表は今回が初めてだ。CD『ザ・イエロー・シャーク』にこの曲が含まれなかったことがとても残念であったが、およそ30年経って本作のしかるべき箇所に収録された。万雷の拍手は筆者のものも含まれ、またこの曲の演奏の90分後に筆者はザッパと面会した。その翌日ザッパはアメリカに戻り、二度と外国に行かず、観衆の前に立たなかった。12曲目の「エンヴェロープス」はロンドン交響楽団の演奏で、未発表曲ではないが、ザッパの多面性を伝えるには交響楽団の演奏を省くことは出来ない。またこの難曲をザッパは77年からロック・バンドで演奏し、ザッパの曲は大衆音楽をことさら意識したものではなかった。クロノス弦楽四重奏団による11曲目「ナン・オブ・アバブ」も海賊盤で馴染みだが、本作では数年前の演奏で、ザッパの音楽がクラシック音楽の演奏家によって近年ますます演奏されて来ていることの一例を示している。「序曲」は海洋学者のクストーの記録映画用に書かれたもので、深海を思わせる響きだ。そこに海洋汚染の危機感の表明があり、グロテスクさを感じるべきだろうが、それはいつどこにおいても存在し、その醜さが満ちる中にわずかに光り輝くものがあることを見定めねばならない。その光は古典にはたくさんある。10代半ばのザッパがヴァレーズに感じ取ったのはそれだ。続きはアルバムが届いてから。
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by uuuzen | 2020-11-14 23:59 | ●ザッパ新譜紹介など
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