兄弟は何かと影響を与えやすいものかと言えば、そうとは限らない。ザッパの弟は音楽家にはならず、また創作家を目指すこともなかった。ではザッパの兄的な存在は誰かとなれば、父以上にヴァレーズは大きかった。
ヴァレーズのアルバムを手にして自分の作曲を誰もが聴こえるように具現化するには、まず自分で演奏するしかないと思い、バンド活動を始めたが、経済的な問題をどうするかについては敏感で、それゆえ多くのメンバーを雇うことが出来たし、またギャラを支払うからにはそれ相応の仕事を要求した。彼らがザッパから離れてそれなりに有名さを保って活動を続けることは比較的珍しく、本作では「オー・イン・ザ・スカイ」で甲高い歌声を聴かせる初期マザーズのベーシストのロイ・エストラーダは未成年の女子と淫行した罪で投獄され、また2曲目の「エル・モンテの思い出」を歌うヴォーカリストのレイ・コリンズは早々と姿を消し、その後の消息はわからない。それがミュージシャンのだいたいの末路と思えばよく、ザッパはきわめて稀な幸運に恵まれた。それをたまたまの運と呼ぶのは失礼で、全生涯を音楽に捧げたゆえだ。それを可能にしたのは結婚して子どもが4人も生まれたことの責任感と安らぎで、その生活の維持のためもあって金を多く稼ぐ必要があり、またその金で大きなことを目指すことに終始した。以上のようにまとめると本作の趣旨がよく見えるし、逆にザッパのような家庭人ではないミュージシャンがどのような仕事を達成出来るかもおおよそわかる。それを簡単に言えば、ごくまともな常識人の生活から巨大な個性と作品が生まれることだ。そのことをザッパは10代でヴァレーズのLPとそのジャケット写真から学んだ。ヴァレーズの音楽がザッパにどのように影響を与えたかについて筆者は先日の「ザッパロウィン」で少し話したが、本作の選曲の陰にはヴァレーズが見える。本作はインタヴューに続いてドゥーワップ・ソングから始まるが、そうした曲にもザッパは好みのストラヴィンスキーの音楽の断片を忍ばせた。ついでに書いておくと、ヴァレーズとストラヴィンスキーはアメリカで面識があったが、ストラヴィンスキーは近くに住んでいたシェーンベルクには会わなかった。ヴァレーズのテープ音楽と対比し得るのは8曲目で、これは4枚組CDの海賊盤「アポクリファ」で馴染みで、今日筆者は同海賊盤を久しぶりに聴き直した。同海賊盤には本作の10曲目「モーの休暇」も収録されるが、本作はドラムスとベースのみで、パーカッションが入っていない。またこの曲はロンドン交響楽団の演奏によってザッパは唯一発売し、78年秋にすでにオーケストラ向きの新作を用意し、その実演を夢想していたことがわかる。同曲に続く本作後半部の11,12,13曲目はヴァレーズを敬愛し続けたことの成果で、ロックというジャンルからは離れている。明日はその3曲について書く。
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