癪に障るのがパソコンの反応が鈍いことで、筆者の2台のパソコンはウィンドウズ7を数千円の格安で買い、それをウィンドウズ10に性能をアップしたものだ。
そのために使えなくなった古いソフトがあって、不便なことがよくあるが、その最大は最近特に画面の表示が遅いことで、ツイッター画面は数分待って全画面が表示される。そのあまりの鈍さに癇癪を起して再起動することがよくあるが、それでも同じことで、人間と同じく、鈍い人が鋭くなるはずがなく、気分をゆうゆう悠然と持たねばと次回は自戒する。さて、気になってアレックスからのこれまでのメールを確認すると、筆者が300ドルを支援したのは締め切りの最終日の間際で、2016年4月9日のことだ。それから4年半経ってのサウンドトラック盤の提供だが、やはりアレックスはEPと書いている。また2500枚の一度限りのプレスで、アレックスの自筆サイン入り、ライナーノーツに支援者の名前が印刷され、また送料は支援者持ちとある。300ドル以下のコースは250,200,150、125、100,50,35,25,10ドルと続くが、2500枚限定は300ドル以上の人が対象だ。ところがEPでは面白くないと思って250ドルに決めた人は多いのではないか。また2500枚の2500人の名前がカル・シェンケルがデザインしたLPサイズ2枚の紙にあるかと言えば、ぱっと見は500人ほどだ。これが2500人もあれば、カルはその名前を切り取ってしかるべき場所に貼り込むという大変な作業をしたことになり、またひとりでも洩れると大問題になるので、癇癪を起しそうになりながら没入したことが想像出来る。ともかく、支援者の名前がただ整然と列挙されるのではなく、これまでカルが手がけたザッパ・アルバムすべてと関連した集大成的な絵の一部と化していることは、どの支援者も大満足なはずだ。これだけでも250ドルから50ドルよけいに支援する意味があった。50ドルがアルバム価格であることは妥当ではないだろうか。アレックスのサインがどこに入るのかだが、2500枚もサインすると、筆者なら癇癪を爆発させて、たぶん数枚は失敗する。先日20枚のCDサイズの紙袋に鶏頭の同じ花を連続で描いて1枚も失敗しなかったのは、20枚であったからだ。これが2500枚となると1か月は要し、睡眠中でも描いている夢を見る。とはいえ、それほどに作業に没頭しなければ優れたものは生み出せない。そう思いながら、今日は2段落が必要だなと思っているが、長文をだらだら読ませられることに癇癪を起し気味な君はきっと斜め読みするはずで、その行動は君の気分が斜め気味であることを体現。という体言止めで今字数を計算すると1200字にほとんど近づいた。で、次の段落は肝心の曲目についてだが、先日14と書いたのは13曲の間違いだ。
LPジャケットには普通ジャケット裏面に曲目が表示される。今回はそれが見開き内部の両側上部にあって、しかもマザーズやザッパの写真にかぶらないようにデザインされている。そのため2枚組アルバムとなると増えた曲の分はメンバーの写真に被る。それはデザイナーの美意識に反することで、そう考えると2枚組はあり得ない。一方、アレックスの以前のメールを確認しなければならないが、支援者には未発表のエリック・クラプトンやビーフハートとの共演曲などがいくつか提供された。今回のアルバムにそれらが含まれるかと思ったが、だぶりはない。それら未発表曲はダウンロード出来るのかどうかわからないが、出来るとすれば今回のアルバムに時系列順に組み込めば、2枚組LPほどの長さになる。その作業を試みたいと考えながら、今は多忙で出来ない。さて、今回のアルバムの見開き内部をトリミングして曲目画像を載せようと思ったが、各曲は演奏メンバーや録音場所などのデータつきで表示され、曲目のみには出来ない。それで今日はCD-Rに焼いた時の曲目データを画像として使う。13曲はザッパの多面性を伝えるために熟考されている。たとえばザッパのギター・ソロの才能は4曲目「Duke」からわかる。この曲はアルバム『バーント・ウィーニー・サンドウィッチ』の「ベルリンの休日」の別ヴァージョンで、そのギターとドラムスの対話は、後年の「ジ・オーシャンズ・イズ・ジ・アルティメイト・ソリューション」を想起させる。ウィスキー・ア・ゴーゴーでのライヴで、当時のLPにはそのままの長さでは収められなかったことが想像されるが、いずれその全ステージは近いうちに正式に発売されるはずで、初期のマザーズを特に好むファンは随喜の涙を流すだろう。13曲は海賊盤の『ミステリー・ボックス』からの選曲かと思うファンが多いだろうが、ほとんどの曲を知っていると否定的に思うのではなく、前述のようにザッパの多面性を表わすためと思えばまた違って見えて来る。つまり、今回は各曲が絡み合いながら最後の曲に向かっていて、ザッパの音楽が進展を止めずに要素を加え続けながら拡張し、総合的な大曲に向かって行ったことがわかる。それがカルのジャケットと相まってとても感動的で、こうして書きながら筆者は思わず落涙しそうになる。そのザッパの総合性は結果的には『文明、第3期』となったが、寿命がもっと長ければ当然さらに進化し続けた。そのいわば未完に終わったところが惜しいが、誰でも命には限りがあり、いつそれが途絶えてもいいように心して仕事をするべきだ。そのきわめて優れた見本をザッパは示している。それは幸運の度合いが抜群に大きかったからではなく、自ら抱いた意思の大きさによるものだ。また作品に費やす時間が生活の時間と限りなく一致していた。それは癇癪をも作品化することであって、ザッパはそうした。明日も曲目について書く。
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