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●鶏冠鶏頭を育てる、その15
点は強みになる。モノは考えようだ。ところが八方塞がりでどうにもならない場合がある。コロナ禍によって仕事を失い、貯蓄も少ない場合、家を失ったなり、アパートを出なくなったりする人がある。



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今日はたまたまネットで悩みの相談を見た。新聞には今もあると思うが、昔から悩みを他人に聞いてもらい、解決策を提示してもらいたい人がある。その話を最近「風風の湯」でFさんとした。Fさんはネットに無関心で新聞を読んでいることを知ったからだ。筆者は悩みの相談コーナーがまだあるかと訊いたのだが、Fさんはその存在に無関心で、わからないと言った。「ああいうものは質問者に安心を与えることが目的やけど、回答者によって考えはまちまちで、質問者は迷うだけで、結局自分で決めるしかない」 他人は無責任であるので自分のことは自分で決めるべきで、また質問者は質問した段階で自分の考えを決めているというという考えだ。それで質問者と回答者の双方の思いを読むことが読者のひとつの娯楽になっているが、回答が10や20ほどもあると、世間の考えがそこからおおよそわかる。それを常識と言ってもいいが、質問者がその常識から外れた行為をしてもそれは勝手であるし、またその挙句にふたたび誰かに悩みを聞いてもらうことになって、今後も悩みの相談コーナーはなくならない。今日読んだのは50ほどの独身女性が仕事を失い、ハローワークに行っても適当なものが見つからず、深刻な経済状態にあるが、回答の中に仕事を選ばねばいくらでもあるというのがあった。同様あるいはもっと深刻な状態にある人は無数にいて彼らは目立たなく生きている。相談コーナーへの質問者は人とのつながりを求めているからで、親身になって話を聞いてくれる生身の知り合いがいないことはどれほど孤独だろう。50の独身女性が無職というのは、結婚経験があるのかどうかにもよるが、男が見つかる可能性は少ないだろうし、同棲相手が見つかっても別の苦労を抱える可能性が大きい。夢も希望もなくしてただ生きているだけの状態は、仕事をばりばりして名も実もある人からすれば落伍者に見えるだろうが、生きているとたまには気分が和らぐこともあって、そこには意味がある。これは四半世紀ほど前のことだが、筆者が仕事でよく利用するある場所に50くらいのきれいに化粧をして澄ました女性が受付のひとりとして勤務していた。場違いな雰囲気を漂わせ、家内もその打ち解けない人柄を最初に見た時に感じたが、1年ほどで彼女は辞めた。その後の彼女がどこに行ったかもちろん知らないが、いい男をつかんで幸福に暮らしたか、あるいは貧困のドン底に沈んだか、どっちもあり得ることで、またどっちにもしても筆者は関心がない。それは彼女の冷たさによる。愛想よくすべしと言いたいのではない。取り立てて愛想がなくても何となく親しみを感じることは多い。
●鶏冠鶏頭を育てる、その15_d0053294_14263158.jpg 女が「とうが立つ」のは20代半ば過ぎでは誰でもで、もう他人の意見にほとんど耳を貸さない。それが自信につながっていい場合もあるが、変な自信、つまり錯覚という欠点を自覚しないのでは、他者は近寄らない。それでも若くて魅力がある場合、男は酔って寄って来るが、その中にまともな男がいるかどうかだ。男なしでは生きていけない依存体質の女性は、それで女の本質として男はかわいいと思うが、男からちやほやされることを生き甲斐とし、自分に関心を持ってくれる男であれば誰でも愛想よくするというのでは、いずれ冷める男が多数派だ。そこに自分を大切にする、あるいは自己愛を持ち出せば話がややこしくなるか。家内は筆者のことを自己愛が強いと言う。家内は自分が一番大事という意味で使っているのだが、自分が気持ちいいことを何事においても優先するという意味とはぴったりと重ならない。自分を安売りしないと言えばいいか、変な奴には近寄らない、近寄らせないという思いはあって、自分の価値は自分の思いで定める。それこそが前述の変な自信と受け取られかねないが、来年70という年齢では「とうが立つ」という言葉は妥当ではなく、誰しもそれなりの人生の塔が立っているのであって、後はそれがいつ倒れるかどうかだ。またそのことは前述の受付の女性のように、他人にとってはどうでもいい人生だが、自分は自分であって他人の目はひとまずどうでもよく、毎日気分がよければそれでよい。その気分は経済力にある程度左右はされるが、わずかな年金暮らしでもどうにか雨風が凌げ、また家内も機嫌がいいので、文句を言いたいことは何らなく、それどころか他人のことを心配するほどの余裕と優しさは持ち合わせているつもりだ。で、自分を大切にすることの意味はたとえば筆者が元気で気分がよければ家内も安心することにあって、独善的であれということではない。そう言えば先日ネットで興味深いマンガを見た。死期間際で入院中の老母が、歌手を目指して挫折し、荒んだ生活をしている50代の息子に自分の年金を少しでも長く受け取らせるべく長生きしたいと願ったが、余分な医療費を支払いたくない息子は延命治療を願わなかった。母が息子を大事に思うあまり、何があっても死ねないと頑張ったことは、自己愛ではない。母は死ぬまで息子が歌った曲を口ずさんだので、その点では息子は親孝行をしたが、息子が母の気持ちが真にわかるのは、自分が親になった時だ。昨日23の女が産んだ子を公園の片隅に埋める事件が発覚したが、同じような行為は映画『楢山節考』では日常的にあって、セックスだけ楽しみたいという本能と生活苦の間で犠牲になる子があたりまえにいた。今は江戸時代の寒村が日本全体に広がっただけのことかもしれない。今日の写真は先月23日で、もう鶏頭はわびしくなる一方だが、這っているのは陽射しを求めて自らそうなったもので、鶏頭も生きるのに必死だ。
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by uuuzen | 2020-11-03 23:59 | ●新・嵐山だより
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