証明のために印鑑が必要という文化をなくそうというのは時代の流れだろうか。実印とは別に文具店で売っている廉価な印鑑がどの家庭にもあって、わが家では通帳ごとに印鑑が違うので、長年放置していた定期預金を解約する時に印鑑が見つからずに困ることがある。

印鑑の代わりに署名で充分とする向きはどうだろう。偽造で言えばまだ印鑑のほうが難しいのではないか。筆者の名前は字画が少なく、自分でも時に気まぐれで変わった書体で書く場合があって、そういうサインを後年見ると、とても自分が書いたとは思えない。署名は印鑑以上に偽造がたやすいことは古代からわかっていた。そのために中国で印鑑が生まれたのに、中国嫌いが多い日本で、いずれ韓国に倣って漢字も使うなという政治家が出て来ることは確実だろう。そこで学者たちが文句を言っても、声がでかいだけのタレント弁護士辺りが彼らをアホ呼ばわりし、そのTVを通じた煽動に大衆は賛同した結果、漢字廃止になることは簡単に予想される。韓国は独自のハングル文字を創造したが、日本の平仮名と片仮名はいわば漢字のマンガ化で、その意味できわめて現在のマンガ文化全盛期は理になかったことと言えるが、複雑なものを何でも単純化することは俳句にもあったから、日本の神髄は単純化にあるとみなしてよい。これは1億総アホ化と裏腹にあって、ネット時代がそのことを加速化させているようにも見える。漢字を捨てる将来を見越して以下平仮名のみで書くと、こんげつ6かにりんかのうらにわのじゅもくをせんていしたとき、3、4ねんまえにうえたきんかんのなえぎにひとつだけみができていることにきづいた。せのたかいきにさえぎられ、またみずやりをいっさいしていないのでせいちょうがとてもおそく、ほとんどかったときのなえぎのままだが、けなげにもまいとし1こだけけつじつする。せっかくなのでその1こをもぎりとったが、かおりがない。それでかじりもせずにそのままにしてある。2まいめのしゃしんは12にちにとった。むこうしまでじてんしゃではしったとき、すーぱーでみつけたくまもとさんのBきゅうのこつぶみかんで、5きろで800えんほどのばくやす、ふうふでせっせとたべてつづけてさきほどぜんぶなくなった。そういえばTVでBきゅうのくだものとくしゅうをしていて、くまもとさんのこつぶみかんがしょうかいされたが、すーぱーでかえばそうりょうはふようでも、ねっとでかえばそうりょうはみかんだいのばいはかかる。ぴんぽーん! 「たくはいびんでーす」「いんかんはいりませんね?」「いえ、またしくみがかわりまして、がめんにさいんすると、ころなのしんぱいがあるので、いんかんをここにおしてください」「これからはさいんのじだいとおもっていたのに、やっぱりいんかんもひつようですね」「そのぶんかがなくなってもぼいんがありますからね」「ぐー」

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