士気を高めるのに音楽は最も有効だろう。勇ましい音楽の代表としてロックが知られるが、それが６０年代末期から７０年代にかけて大流行した理由が、世相と絡めて明確に見えて来るのはもう少し先のことか。



ロックにもバラードがあり、激しく、うるさい音ばかりではない。人は勇ましくあればくつろぎも求めるからだ。ザッパは１９８８年のロック・ツアーは４８歳という年齢もあって最後のものと思っていたろう。そのとおりとなって、残り４年は管弦楽曲に関心を示し、またその補助としてシンクラヴィアでの作曲を中心にした。ザッパは少年時代にヴァレーズに心酔し、オーケストレーションの才能を持つべしとの思いを抱いたであろう。そして作曲家は演奏家よりも上であると自覚し、頭で鳴り響く音楽を空気の彫刻として他者が味わえるようにするために演奏メンバーを雇った。それが自分でやるほうが早いと思ったこともあってシンクラヴィアに一早く飛びついたが、他者と音楽を演奏すると息を合わせる緊張から火花という美しい瞬間を音楽にもたらすことを知っていた。そうした一瞬を捉えて応答する音楽の代表がジャズだ。ザッパがしばしばジャズが腐臭を放っていると言った時、使い古されたジャズ特有の匂いを嫌ったのであろうが、時代が変われば世間に受け入れられる音楽は変わるから、ジャズが腐臭を放っていると言うのであれば、自分がそれを刷新しよう、また出来ると思ったことになる。それはジャズ全盛期からすれば新世代の音楽家であったザッパにとって、義務と自負から当然取り組むべき問題でもあった。ピエール・ブーレーズはヴァレーズの音楽を何度か録音しているが、５９年指揮のＣＤを聴くと最も複雑で難解なジャズを聴いている気分になる。それはアメリカに移住したヴァレーズがジャズを意識していたことと、１９５９年というまだジャズが全盛であった時代の空気の感化だ。ブーレーズの後の録音ではそれが消え去って現代音楽臭ばかりとなるのは、時代の意識がジャズと現代音楽を分けることにより強くなったからだろう。またそこにはジャズはアメリカの大衆音楽、現代音楽はヨーロッパ中心のもっと知的で高尚なものという意識が働いた。そこにザッパを置くと、目指す音楽が見えそうだが、ハリウッドに住んだことは映画音楽で飯を食べて行くことを夢想させた。実際ザッパは当初映画音楽を書き、その種子から数年後に『２００モーテルズ』の映画と音楽が実り、後の方向性を決めた。映画音楽はあらゆる音楽を包括出来る。ザッパも多種の音楽に関心を持ったが、映像に馴染む音楽を思っていたところはヴァレーズとは異なるかもしれない。ともかくヴァレーズへの思慕からオーケストレーションの妙を重視し、初期のザッパ／マザーズの音楽はジャズに近かった。そして後年のザッパの複雑な曲がヴァレーズやジャズからどのように要素を受け継いだかの分析もまだ先のことになるだろう。
　ザッパの『ジャズ・フロム・ヘル』の大部分はシンクラヴィアによる作品で占められ、ザッパは人間が演奏出来ないほどの複雑なメロディやリズムの曲を、腐臭のない新しいジャズと思っていたようだが、それを「地獄産」と称するところ、現在を地獄と思っていた節がある。そのことが「拷問は果てしなく」の歌詞に反映していることは示唆に留めておくが、ザッパが天国を味わわせる音楽を作曲、演奏しようとしたかと言えば、天国のイメージからは遠く、煉獄を表現するに留まっている。そこが大衆音楽家として正直かつ謙虚であったと言え、ザッパがスピリチュアリストを嫌悪し、そういう詐欺師をしばしば風刺したことを思えばそれは理解出来る。天国の気分に浸れると言葉巧みに謳う詐欺師はいつどこにもいるもので、常に冷静に醒めていたザッパは天国より地獄の様相を凝視し、そこからのせめてもの脱却を夢想した。前置きが長くなった。何年か前、スティングが歌う「リトル・ウィング」を取り上げた際、その曲の楽器演奏を担当したギル・エヴァンスのオーケストラについて触れた。その時、筆者が最も好きなギルの曲についていつ書こうかと思いながら、その機会がなかった。最近ジョルジュ・デュ・モーリアの『ＴＲＩＬＢＹ』を、エルザ・トリオレの本を読んだことから入手し、また映画『悪魔スヴェンガリ』も見て、ようやく機が訪れた。３０年経ってこうして書くことになって、ひとつの肩の荷を下ろす気分でいるが、残念なことは曲の題名を訳すと「雪の舞い」で、季節が少々早い。それはさておき、ギル・エヴァンスはジャズ・ピアニストのビル・エヴァンスと混同されがちで、またビルほどには人気がない。カリスマ性がないのではなく、マイルス・デイヴィスの影に隠れて過小評価されているからだ。これはビートルズをプリデュースしたジョージ・マーティンと同じ位置にある。ロックンロール・バンドであったビートルズが『ラバー・ソウル』から異様な変貌を遂げ始めるのは、ジョージ・マーティンの功績が大きいだろう。もっともそれはビートルズ初期からで、マーティンはビートルズに知性を付与した大きな存在だ。そして学ぶ意欲のあったビートルズは新しいことを続々と手がける。そのマーティンの知性をザッパも持っていたとみなせば、ザッパの音楽の特質がわかりやすい。「ただのロックンロール」が素晴らしいことは筆者もよくわかっているが、ものだけでは満足しない人がいる。そして「ただのロックンロール」も時代によって違う。それは演奏者によって異なるという意味で、型となったロックンロールの持ち味だ。ジャズにもそれがあるが、オーネット・コールマンから学んでユダヤ的なジャズを演奏するジョン・ゾーンのマサダ・クァルテットの音楽は、前述の古臭い意味でのジャズ臭はない。型を踏襲しながらそこに新味を加えることはいくらでも可能だ。
　「ギル」は「ギルモア」の短縮で、本名だ。そのギルの７３年のアルバムに『ＳＶＥＮＧＡＬＩ』がある。これは「ＧＩＬ ＥＶＡＮＳ」のアナグラムで、ギルがこれに自分で気づいたのかどうかはさておき、ギルの音楽を形容するのに実にふさわしい。筆者は『ＴＲＩＬＢＹ』を手にするまでは架空の人物のスヴェンガリについては詳しく知らなかったが、同書を部分的に読み、音楽の魔術的才能と人を一流の音楽家に育てる能力があったことを知り、一方でギルがそれを自覚していたことを思うと、ギルの音楽のほとんど天国に近づいた境地を知っていることの幸福を感じる。スティングも同じ思いであったはずで、彼がジミ・ヘンドリックスの名曲「リトル・ウィング」をカヴァーする際に伴奏をギルに依頼したことは、ギルをスヴェンガリと同一視し、その魔術の恩恵に浴されたいと思ったからだろう。ギルとスヴェンガリを結ぶ要素は音楽だけではない。ギルはユダヤ系カナダ人で、その大きく高い鼻はデュ・モーリアが挿絵で描いたものと同じだ。ザッパも似た鼻をしていて、ユダヤ人に間違われる。筆者も昔はイタリア系ユダヤ人かと思ったこともあったが、そうではないらしい。だが父は多くの血が混血した地中海人で、どこかでユダヤの血が混じった可能性はあろう。話を戻して、『ＳＶＥＮＧＡＬＩ』のギルのジャケット写真は鍵盤楽器の前で両手を振り上げて悪魔じみて見える。当時６１歳、翌年にジミ・ヘンドリックスの曲をジャズ・オーケストラにアレンジしたアルバムを発表し、才能は完成していた。マイルス・デイヴィスの６９年の『ビッチェス・ブリュー』にも関与したとされ、マイルスのアルバムを多彩な音にしたのはギルあってのことで、６０年代のギルはマイルスに対してビートルズ後期のジョージ・マーティンが果たした役割以上のものを持っていたと思う。そのことがあって筆者はマイルス独自の才能についてはあまりよくわからない、あるいはわかりたいと思わないままになっている。知性の観点で言えばマイルスにそれがギル以上にあったとは誰しも思えず、マイルスもレコード会社の思惑もあって優れた助言者が必要であった。そしてジョージ・マーティンよりギルは収入の面でも重視されたとは言い難いはずで、晩年のギルは６０年代末期の有名なジャズ・メン同様、生活苦に陥り、またその貧困さから音楽がさらに透明で研ぎ澄まされたものになったことに、筆者は売茶翁の姿を重ねる。それは別の話として、ひとつ言っておきたいのは、晩節を汚す有名人が多い中、ギルはそうではなく、彼の最晩年の音楽は天国のただ中にいる気分を味わわせるものがある。それは退屈であるという意味にも受け留められそうだが、１０数人のオーケストラの各人がそれぞれ主張しながら譲り合い、全体として「美しい」と形容するほかない、華麗な花が咲いて行く様子を見させる味わいを持つ。　スヴェンガリがトリルビーを教授して見事な歌手に育て上げた魔術と同じものをギルの音楽から感じるが、それはマイルスのアルバムにすでにあったと言ってよい。ギルの６０年代のアルバムとして筆者は６０年の『ＯＵＴ ＯＦ ＴＨＥ ＣＯＯＬ』、６１年『ＩＮＴＯ ＴＨＥ ＨＯＴ』、そして６３，４年の『ＩＮＤＩＶＩＤＵＡＬＩＳＭ ＯＦ ＧＩＬ ＥＶＡＮＳ』しか持っていないが、当時のギルはサラリーマン風の髪型に背広でジャケット写真に写り、真面目で温和で知的という雰囲気だ。それが７０年代に入るとロックの影響からか、次第に自由人的、ヒッピー風になり、８０年代半ばになるとインディアンの長老のような、悟り切った、そして柔和な風貌になる。これは若者の文化を否定しななかったことを示す。ジミ・ヘンドリクスの曲をオーケストラ編曲したこともその表われだ。彼は生前のジミと交流があって、彼のロック曲をアレンジしようと思ったことの最大の理由が何かは知らないが、「リトル・ウィング」の歌詞に感動したからではないか。というのは、ギルによるジミのカヴァー・アルバムでは例外的に同曲のみが歌詞つきで演奏されているからだ。また同アルバムでは同曲が最も完成度が高いと思う。ただしギルの最晩年つまり８０年代半ばの同曲はジミの他の曲をアレンジした部分を包含し、またスティングが歌ったヴァージョンは別として歌は省かれたが、結果的にギルが最も愛したジミの曲は「リトル・ウィング」と言ってよい。やはりギルは同曲の歌詞に惚れ、そこに描かれる女性の男への献身性をジャズ・オーケストラで神々しく表現することに、７０年代以降の演奏が収斂して行ったとみなしてよい。ということは、ギルの「リトル・ウィング」を聴けば彼の才能と目指したものがわかるということになるが、実際そうだろう。筆者は最近今日の投稿のために久しぶりにギルのアルバムを全部引っ張り出して毎日聴いているが、今日取り上げる曲を最も好むとはいえ、「リトル・ウィング」がステレオから鳴り始めると胸がいっぱいになって涙が溢れ出す。そして今はその歌詞の女性にトリルビーを重ねるが、『ＴＲＩＬＢＹ』にはトリルビーが、そして彼女の母も、ただひとつの欠点を除いてすべての美徳を持っていたと書かれる。その欠点を言い表わすことをデュ・モーリアは大いに逡巡しつつ、トリルビーの側に立って、またいつの時代にもいる若者にあえて簡単に伝えないために、ラテン語で次の語を書く。『’Ｑｕｉａ　ｍｕｌｔｕｍ　ａｍａｖｉｔ！’』 この意味をここでは書かない。誰もが愛さずにはいられない女性が愛して行なう行為は赦されるべきことだが、トリルビーのように運命はしばしば別の方向に彼女を導く。「リトル・ウィング」で歌われる女性は男の望むものをすべて与え、ジミはそれに恐れをなして彼女から遠のいたが、そこにジミの純粋さ、優しさがあり、ギルはそういうジミに惚れたのだ。
　７０年代初頭と８０年代半ばのギルの音楽はあまり差がないが、高齢に達するほどに純化し、透明感が増す。その頃のギルのオーケストラのメンバーはマイルスのような超有名人はおらず、全員がギルと対等の立場にあって、ギルを讃えつつ、また楽譜の決められた小節数や音を守ったうえでの即興を繰り広げる。その調和の妙が聴きどころであるのはジャズの本質を守っていることであって、ザッパの管楽器も含めた他人数のバンドの演奏とは響きが大いに異なる。それはギルがホルンやチューバのような珍しい楽器を起用していることと、ギルがメンバーに自由にやらせているからだ。ザッパのバンドも即興時は各メンバーが自由に演奏出来るが、ザッパの監視、監督はギルよりもっと強かった。その点、年齢もあってか、ギルはメンバーを見守り、個性を存分に発揮させ、ほとんど指揮者の役目にある。ただし、そのことが裏目に出る場合はある。以前にも書いたが、ギルのオーケストラのメンバーはそれなりに技術者揃いだが、ソロ・アルバムを出せるほどの才能はなく、クラシックの管弦楽団の一員の趣が強い。もちろん即興は全員が出来るが、その繰り広げるメロディは有名ミュージシャンほど豊かではない。そのため、どの曲でも吹き癖となった同じメロディを奏でる者がいる。レコードとなればその点が耳につき過ぎて白ける。ギルはそのことを承知していたはずだが、スイート・ベイジルで演奏するギルのマンデイ・オーケストラはおそらくギャラが少なく、割合交代が自由で、ザッパのバンドのように徹底的にザッパ好みにしたがうことはなかった。ギルは演奏者が個性を強烈に主張することを好まなかったかと言えば、そうではなく、マイルスのように個性を存分に発揮することを望んだはずだが、全員がギルの人間性と才能に魅せられて集まり、ひとり目立つことよりもオーケストラとしての調和の調べを愛好した。そのため、ギルの音楽はユニゾンを中心とした主題の後、次々に音色が変わる万華鏡のようなカラフルな楽器の音色の変遷に醍醐味があり、強烈な印象を残すソロはあまりない。ギルいてこそのオーケストラで、ギルは鍵盤楽器を担当しながら、カリスマとして演奏メンバー全体を支配した。つまり、ギルがいなければ何かが違ってつまらなくなるだろう。そこにギルがスヴェンガリを思ったゆえんがあった。独特の魅力と才能を持つ表現者はいくらでもいるが、スヴェンガリのように人の才能を見抜き、そこから優れた音楽を作り上げるという人物は限られる。クラシック音楽の指揮者をスヴェンガリと重ねればよい。同じ楽団でも指揮者によって違う音を出す。ギルはピアノを弾きながら、多くの楽器が響き合う音色が脳裏に渦巻いていた。ザッパがジャズが腐臭を放っていると言った７０年代前半以降、ギルはジャズの当意即妙を保持しつつ、クラシック音楽に比するようなオーケストラの音色を実現させた。
　ＹｏｕＴｕｂｅはどんな曲であるかと言えば、本曲は短い別ヴァージョンが投稿されているのみだ。筆者は本曲のギターが好きで、どういう人が演奏しているのかと長年思っていたが、黒人の若手であることがその映像からわかる。また日本の学生だろうか、若い人たちがカヴァーしている映像もあって、ジャズを学んでいる人に愛されていることがわかる。本曲は８７年発売の『ライヴ・アット・スイート・ベイジル』の第２集で、１集も持っているが、やがて日本のみの発売か、ギルの顔を鼻中心に大きくトリミングした写真が箱に印刷されるＣＤ８枚組も買った。本曲はひとつのヴァージョンのみで、作曲者はアニタ・エヴァンスとなっている。彼女はギルの妻だ。小柄な黒人で、パーカッション担当だ。本曲は１７分ほどある。最初と最後に同じ主題が奏でられるのはザッパのジャズ曲も同様だが、本曲の主題は単純で、短いフレーズを繰り返し奏でた後、やや高音の別のフレーズがブギウギ調で挟まるが、また短いフレーズの繰り返しになり、そこに各メンバーのソロが乗って行く。主題が単純であるので、いくらでも長く演奏出来るが、そうすれば途中でだれやすい。そこを聴き手に飽きさせないためにはソロの音色が交代して行くことと、また伴奏もそれにつれて味わいを変えることが求められるが、ギルのオーケストレーションの腕前はその後者にあって、そこはザッパのバンドとは質がいささか違う。最初の主題に絡み、また主題に続いて、ギターのソロがあり、この音色がとてもよい。ザッパも同様の音色を使ったことがある。ギターが終わった途端、サックスのソロが始まる。これが６分少々もあって、何度も聴くには少々退屈で、もっと短く編集してもよかったが、ライヴ演奏であり、部分を切り取る編集はしたくなかったのだろう。サックスの次にトロンボーンにつながる。その頃から伴奏が絶妙の味わいを繰り広げ、大人向きのダンス音楽の趣を呈する。この最後までの５，６分は、ソロ以外は楽譜に書かれているはずで、一小節、一音の無駄もない。特にドラムスが次々とリズムを変え、ギルのオーケストレーションの魔術的な華麗さの代表と言ってよい。またこの最後の５，６分は曲の題名にぴったりで、筆者の心は空を見上げて降って来る雪に合わせて踊る。最後から２，３分のところでまたギターが中心となるが、ドラムスが調子を決め、終盤に向けて主題がまた奏でられる。スイート・ベイジルでギルのオーケストラが演奏した様子の写真を見ると、１０数人のメンバーは寿司詰め状態で、客席がいっぱいになってもギャラは少なかったろう。ギルのキーボードはあまり目立たないが、わずかな音で音楽の方向を変え、また引き締め、その音に合わせる他のメンバーとの息の合ったところは、３０年ほど聴き続けても飽きない。家内はどことなく悲しい曲と言うが、雪が舞っている風景は確かにそうかもしれない。

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