妖しいと言ってよい満月がある。それには雲の若干の覆いが必要だ。あるいは地平線に上り始めて、大きくオレンジ色っぽく見える場合で、いずれでも月の輝きは少ない。
月の美しさは美女にたとえられ、筆者が毎月満月の写真を撮って載せるのはその月並みなことが理由になってもいるが、これ以上は明かさない。そのほうが妖しさではなく、怪しさがあっていいかと思っている。トリルビーには怪しさも妖しさもなかった。『TRILBY』第1章にトリルビーとその母親の性質がもどかしげに描かれていて、筆者はそれに痛く感動する。著者のデュ・モーリアは理想の女性像を文字で描きたかったのだ。それは絵で描くよりも難しく、それゆえ成功すると読者の想像力を掻き立て、手の届きようのないことに聖化が強化される。同書からはデュ・モーリアは派手好みで虚栄心があり、媚る女性を好まなかったことがわかるが、質実で快活な女性はどこにでもいるものだ。満月で言えば雲が皆無の状態だが、文字で表わすと彼女の姿は雲に隠れる。それはともかく、毎月満月が見られるかと気になるが、満月は三色団子と同じく、その存在は頼り甲斐がある。今日の写真は先月29日にスーパーで買ったもので、左は甘味のある三色団子、右はついでに買った別寅製の割引商品の練りものだ。その後「風風の湯」で85歳のMさんが月見団子をJR嵯峨嵐山駅近くの高級和菓子店で買ったという話を耳にし、月見団子をよく知らない筆者はそれを買う気になった。嵯峨のスーパーに出かけた際、以前から存在を知っていた和菓子屋に入ると、伊勢名物の「おたべ」に似た、餡子に包まれた白くて細長い餅が入ったものが売られていた。餡は夜空で、餅は満月との見立てだ。細長いのでどこを切っても満月が現われるという工夫なのだろうが、切って食べるほど大きくはない。それで球体(ゴッタ)好みの筆者は別の丸い饅頭を白、桃色、栗入りの3個を買って帰った。Mさんにその話をすると、前述の高級店では、漉し餡、粒餡、味噌餡の3種があるそうだ。夜空の見立てはさまざまな妖艶さを意識しているということだ。筆者はかつて「老玉」「烏羽玉」と呼ばれる黒くて艶のある、どこか怪し気なまん丸の和菓子を好み、あちこちの店で見かけ次第に買ったが、それは「新月」を表現したものと言ってよい。ならば満月を表わす和菓子はまん丸で白くあるべきと思うが、上方では前述の餡でくるんだものが作られ、月の明るさと夜の暗さの対比を視覚的にわかりやすく表現し、店によって形は異なる。三色団子は桃色と草色が店によってわずかに差があっても、手を加える余地のない完璧な造形で、季節商品の月見団子と違って、どのスーパーでも安価で売られている。ひなまつりの菱餅と同じ三色で、日本の美しい色合いの代表と言ってよい。筆者は三色団子の色合いと形、艶のある肌にそれなりに艶めかしさを感じる。
●スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示→→