陸亀がキャベツを音を立てて齧っている映像をTVで見た。味がわかっているのかどうか、ニガウリではぺっぺと吐き出すかもしれない。淡麗辛口の筆者は辛いものも大好きだが、甘味もそうだ。
スーパーでおはぎを見つけると買う場合が多い。人間はそれでも苦い味をたまには好み、ニガウリは今では夏場の野菜として誰でも一度は食べるのではないか。先日嵯峨のスーパーに向かう途中、日除け代わりに植えたニガウリに白い実がいくつかぶら下がっているのを見たが、スーパーでもそれは売られていて、苦さは少ないと書いてあった。ニガウリは苦さが持ち味なのに、それを減らしていずれ甘いニガウリという語義矛盾の品種が出回るかもしれない。筆者が始めて食べたニガウリは、隣家の奥さんから20年ほど前にもらったもので、食べ方がわからず、種子の部分も混ぜて炒めて食べたところ、あまりの苦さに悶絶した。後で聞くと種子のある中心部のワタが最も苦く、それを取り除いて食べるとのことであったが、最近のTV番組では、表面のいぼいぼが最も苦いと言っていた。筆者が所有する駐車場のすぐ横に畑があって、そのフェンスに毎年ニガウリが巻きつくことは先月12日に投稿した。今日の最初の写真は先月29日の撮影で、その日家内と出かけたスーパーから帰宅し、駐輪場に自転車を停めると、フェンス際に見知らぬ年配の女性がいて、ニガウリの葉を除去していた。そして家内に長さ15センチほどのひとつを食べないかと差し出したそうだ。筆者はその1、2分後に自転車を停め、その女性と眼が合うと、彼女はフェンスを毎年占領して迷惑をかけると言いながら、実るニガウリを探し始め、家内がもらったのと同じほどの大きさのものと小さなものの2本を蔓から切って差し出した。フェンスの向こうの地面を見ると、
12日に投稿した黄色に熟した実が落ちていた。彼女はそれを放置していると来年また同じようにフェンスに蔓が生えると言った。また苦い瓜なのにその赤く熟した種子はとても甘く、集めてジュースにするそうで、とにかく食べ切れないほど実るらしい。熱帯の植物なので、何より大切なのは日当たりのよさとのことで、筆者の裏庭のフェンスもニガウリを這わせたいが、それには大木をどうにかする必要がある。もらったニガウリを並べると、井上有一の書のような「川」の文字になり、筆者は息子が小さかった頃の寝室を思い出した。そのようになって家族が眠ったのは10年に満たず、そこには甘い思い出に苦さも混じっている。早速家内はニガウリを料理したところ、熟し過ぎて種子のある部分が赤く染まっていた。種子は予想以上に大きく、来年わが家のフェンス沿いにばら撒こうかと思って家内に捨てないように言った。日当たりがさっぱりで発芽しないだろうが、冬場に背の高い木を大胆に剪定すれば事情は変わる。それでも鶏冠鶏頭優先に物事を考えよう。筆者は食欲は二の次で、美優先だ。
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