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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●鶏冠鶏頭を育てる、その10
のように鶏冠鶏頭が集まって咲く様子を写生することを夢に、去年に続いて今年も種子を蒔いて育てた。今日の写真は先月21日に撮ったが、10月に入っての寒さによってもうほとんど成長は望めず、今後は枯れる一方だ。



●鶏冠鶏頭を育てる、その10_d0053294_13483184.jpgピエール・ガスカールのエッセイ『人間と動物』を読み始めたが、目次を見る限り、植物と人間との関係は書かれていない。最初の章が「ハラジロワシ」というほとんど絶滅した、猟師が容易にたどり着けない崖の高所に営巣する鷲についてで、この孤高の鳥について最初に言及するのは、ガスカールが自分の姿をその鷲に重ねるからだろう。孤高の存在が孤独を感じているとは限らない。鷲のような猛禽類は孤高でも、他の動物と同じく子孫を残すことを最大目的に生きている。それが絶えれば元も子もない。ところが強欲な人間は多くの動物を絶滅させ、それでも足りずに今ではハラジロワシも絶滅したであろう。映画『悪魔スヴェンガリ』では原作の小説『TRILBY』とは違った場面がままあって、それらはそれなりにとても面白く、そのひとつにとても象徴的な場面がある。夜中にスヴェンガリが窓の外を眼を爛々とさせて凝視すると、その意思が眠っているトリルビーに伝わり、彼女は起きてスヴェンガリを訪問する。椅子に深々と座っているスヴェンガリの背後の壁に、鷲の剥製の影が大きく映っていて、それがスヴェンガリの孤独、孤高性を表わしている。芸術家はみなそうあるべきだ。孤高性が感じられない人物に独特の魅力ある作品を生み出せるはずがない。そう解釈すると、同映画はスヴェンガリを必ずしも悪魔とは思っておらず、それは邦題をつけた人のよけいな考えだ。話を戻す。ガスカールの自伝的小説『種子』は、植物を人間に重ねているところがあるが、人間の精子、卵子も種子だ。ガスカールの母親は若くして自殺し、ひとりっ子のガスカールが残されたことは、生物学的にはひとまずは「成功」であって、母は役目を終えて死んだ。そしてガスカールは自殺せず、長生きして多くの本を書き、それを筆者が読むことは、ガスカールの母の種子は筆者につながり、こうしてそのことを書く行為はさらなる種子蒔きと言えるのではないか。ガスカールは自殺した母を恨んだかもしれないが、母がいなかったので強くなれたとも言える。強者が残って行くのは動物界でも植物界でも同じで、どの種子にも元来強さは付与されていて、しかも淘汰の先端の現在はその強さが最大とみなしてよい。ところが人間は複雑な社会を築き、自殺する者が絶えない。彼らも先祖から最も強い精神を受け継いでいるのであるから、自殺せず、ガスカールのように世界に名前が知られる人というのは、よほど生き抜くという強い意識があったことになる。その強い意識は有名人だけのものではない。それどころか、ほぼすべては無名の貧しい人が大昔から行なって来た、普通に子孫を生み育てるという家族の生活がそうだ。
●鶏冠鶏頭を育てる、その10_d0053294_13485835.jpg
 裏庭向こうの小川沿いに鶏冠鶏頭の種子を蒔いて水やりを続けると、ほかの植物が数日で芽を吹くことに嫌でも気づく。それらの植物も子孫を増やすのに必死だ。ハラジロワシが徐々に生活圏を奪われ、絶滅に至ったかと言えば、それは人間が鷲に恐怖を覚え、またそれを消し去るために剥製にするという行為によってであって、人間以外の動物の弱肉強食の結果ではない。人間につごう悪いものは駆逐される運命にあり、筆者が鶏冠鶏頭の成長の妨げになる雑草を極力除去するのも同じ理由による。そこには大げさに言えば鶏頭に対する愛があるからだが、除去された植物にも生きる意思はあり、植物間の弱肉強食に任せるほうが自然と言える考えがあることはわかる。つまり、特定の何かを人が愛することは自分勝手であって、他の存在を無視している。だが、その無視された存在を愛する人が別にいるから、人が介入したところで、それは弱肉強食と同じことだ。特別に目立ち、また愛らしい花を愛でたいのは、人間に具わった本能かと言えば、蓼食う虫もさまざまで、あまり人気のない花ゆえに好きと言う人もいる。それほどに植物も人も個性が多様だが、結局弱肉強食が罷り通っている。話をまた戻すと、ガスカールは最初の妻との間に子をふたりもうけた。彼らはガスカールの生物学的な種子を受け継いだが、人はほかの動物と違って子孫を残す以外のことをする。それは生活にゆとりがあっての「遊び」の延長で、その文化的なことの種子も、時に突然変異を交えながら代々伝わって来ているが、人が花を美しいと感じることの背景には、種子から育ってまた種子を残すというサイクルが存在している。子孫を残さない生物は存在しないのに、人の場合は作品という種子を生んで肉親としての子孫を残さない女性がいる。ユルスナールやヴァージニア・ウルフやジョニ・ミッチェルなど、あるいは日本では生田花朝や多くの女優など、いくらでも同様の例があり、彼女らはそれなりに偉業を成したと称えられるべきで、また実際そのように評価されているが、子孫を残しつつ作品も作った幸福者に比べると、一抹のさびしさを覚える。その理由は男性には出来ない子を産むことを避ける不自然さを感じるからだ。ユルスナールは同性愛者であったので仕方ないとして、またウルフは子どもをほしがったのに精神の不安定から周囲から阻止された。筆者は母を思うと、子孫を残すだけの普通の女性も偉業で美しいと感じる。花が種子を残すことは無限の可能性を信じているからだ。人間も同じで、有名人といえども無名の両親から生まれる場合がほぼすべてだ。子孫を残せば役目の大方を果たしたことであり、その後は運命に任せるしかない。植物の種子はその点、完璧で、きわめてさっぱりとしている。植物が種子を作ること、動物が子孫を残すことは、ゼロからやり直すことだ。そこには常に何にも増しての無限の可能性がある。
●鶏冠鶏頭を育てる、その10_d0053294_13492365.jpg

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by uuuzen | 2020-10-06 23:59 | ●新・嵐山だより
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