救いの神は若者で、京都に観光で来る人たちの8,9割は2,30代ではないだろうか。「風風の湯」も若者のグループが午後7時半頃までは多く、85歳のMさんは彼らがほぼいなくなる午後8時にやって来る。
それ以降はほとんど貸し切り状態で、少ない時は2,3人のみとなる。そういう状態でよく話す常連客がいるといいが、そうでない場合は思索の時間となって、それはそれでたまにはよい。Mさんはコロナ以降常連客が4,5人来なくなったと言うが、その顔が思い浮かばない。常連全員が相互に誰とでも話すことはないからだ。また常連であることを知りながら、目も合わさない、あるいは目で挨拶するだけの人が4,5人いて、筆者の知る限り、常連は20数名だ。筆者のように話し好きで誰とでも気を合わせられる場合のほうが少なく、目下のところ筆者が85歳のMさん、74歳のFさん、70歳のTさんの3人と最もよく話すが、FさんとTさんはほとんど話さない。最近またよく会うようになった骨董好きのYさんは、筆者以外の誰とも話さず、常連でもウマが合う、合わないは当然ある。先日家内より先に上がってフロントの床几に座って待っていると、帰り支度をした60歳くらいの女性客がやって来て、フロントの男女にぼやいていた。「とても話声がうるさいおばあさんふたりが湯舟の真ん中にいて、わたし怒鳴ったやったわ。あれ、どないかならへんの?」 間もなくやって来た家内にその女性のことを伝えると、「確かに大声で注意しているおばさんがいたけど、しゃべっていたふたりの声はそんなに大きくなかったよ。それに注意した人と同世代でおばあさんではないけど」 楽しく談笑している姿が鬱陶しかったのだろう。注意されたふたりは笑顔で振り向きながら、「はい」と答えていたというから、注意した人はそれがまた腹立たしく、それで帰り際にフロントに鬱憤晴らしをしたのだ。男湯ではそんなふうに注意する様子を見かけたことがない。男なら喧嘩になるからで、また素っ裸で喧嘩というのも恰好悪い。ただし、毎週金曜にだけやって来る70代前半のKさんは、筆者が最初に親しくなった同じく70代前半のOさんに去年暮れに注意し、それ以降しばらくしてOさんはやって来なくなった。注意したのは、サウナから上がってすぐ、桶で水を体にかけずに汗まみれのままに水風呂に入るのを見かけたからだ。筆者はほかにもそういう常連を知っているが、Fさんも気づいていて、またそういう非常識な人物であるから目も合さず、話す気もない。実際その常連は誰とも話さない。みんな見ていないようでしっかりと見ている。一瞬で人は相手を値踏みするものだ。人間嫌いで気難しいと言ってよいFさんが筆者と親しくなるのは、どこか似たところがあるからだろう。筆者は自分の趣味についてはほとんど話題にしないが、差し障りのない世間話だけでもけっこう楽しい。今日の写真は先月28日撮影。
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