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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●鶏冠鶏頭を育てる、その9(番外3)
復するのに同じ道を利用した場合、見える景色が違うので、思ったほど退屈しない。とはいえ、筆者はなるべく行きと帰りは違う道を利用する。それが理由かどうか、電車に乗り、途中下車して歩き、決して目的地に着かない夢を頻繁に見る。



●鶏冠鶏頭を育てる、その9(番外3)_d0053294_01581032.jpgまたその歩いている間に以前の夢に出て来た場所がすぐ先にあると思うことが多い。実際はそこに行って確かめないのだが、たぶん間違いはなく、以前の夢ではあれほど迷って行こうとした場所が、ほんのすぐ近くにあることを知って意外かつ得した気になっている。それは夢にだけ出て来る場所で、たいていは神社だ。また目的地がわからない夢なので、電車を途中下車して歩くことになってもあまり焦らないが、目的地がわからないまま移動する夢は、筆者の人生そのものの象徴かもしれない。自殺しないのであれば、自然に死ぬまで生きるし、それは目的地がわからないまま過ごすことと言ってよい。また何か大きなことを成し遂げたいと思っていて、それをやり終えてしまうと、次の目的が出来るまではいわばふらふらしている状態で、筆者のように目指す場所がわからぬままに電車に乗ったり歩いたりする夢を見るか、そのような夢に比喩される状態と言ってよい。つまり、筆者はよく見る夢の内容から、目覚めている時は大きな目的もさしてなく、ふらふらと過ごしているも同然なのだろう。とはいえ、さすがに来年古希を迎える年齢で、これまで生きて来て気になっていることを多少でも気の済む形にしておきたいと思うことが多い。そのひとつが鶏冠鶏頭の花だ。この花を最初に見たのは小学生の何年生であったか忘れたが、面白い花の形に惹かれ、母に訊ねた。つまり、母と一緒に歩いている時に見かけたのだろう。母は「鶏頭と言って、鶏の鶏冠に似ているからその名前がある」と言い、全くそのとおりだと納得した。本物の鶏はその当時、間近でよく見たことがある。近所にチャボを飼っていた人がいたし、夏休みに伏見の母の姉宅に1週間ほど遊びに行った時にも近所の人が飼っていた。そう言えば、隣家の裏庭に囲いを作って鶏を飼ってやろうかと思わないでもないが、早朝に鳴いては近所迷惑で家内が許さない。それに野良猫にたちまち殺られる。鶏頭が気になるのはほかにいくつか理由があるが、最大のそれは花の形があまりに独特なことと、赤いその色合いだ。黄色もあるが、真っ赤がよい。また花の形はひとつ手に取って確かめたいことがあるのに、今年育てた鶏冠鶏頭は貧弱な花しか咲かせず、写生する気になれない。一方、一昨日投稿した久留米鶏頭は花の脳みそ状のくねくねがあまりに複雑かつ多いので描く気になれない。児童公園に植えられているその花はその後見ていないが、枯れ始めると一斉に刈り取られるだろう。種子を採ろうかと思わないでもないが、それをうまく育てても昨日の写真と同じ花が咲いて面白くないし、それに200円程度でよく売られている。
●鶏冠鶏頭を育てる、その9(番外3)_d0053294_01583900.jpg
 昨日家内から郵便はがきがないかと言われた。パンの袋についている点数の券をはがきに貼って送れば何か当たると言うのだ。昔の未使用の年賀はがきを数百枚持っていて、収集のために買ったものだが、もうあまり愛着がないのでどんどん使えばいい。ところが切手を貼り足す必要があるので損した気分だ。メール全盛となってはがきを送る機会は年賀状だけとなったが、それは古い未使用の年賀状では駄目だ。それで束の一番上のものを家内にわたすと、裏面が印刷されていると言う。印刷屋に刷らせた1989年用の年賀状だ。毎年作る年賀状は1枚は取り除けておくが、近年はそれも面倒になっている。家内から返された年賀状の裏面は迷路で、確かヘビ歳であったのでくねくねと曲がる道筋をたどる迷路とした。正月早々迷路遊びでは年賀状をもらった大人は渋い顔をしたであろうが、その子どもたちは正月休みの暇つぶしになると喜ぶと考えたのだ。テセウスのように迷宮の行き着く先にミノタウルスに対峙して退治する目的がある場合は、入口に戻らねばならず、そのためにアリアドネから託された赤い糸が帰路の岐路に差し掛かった時に迷わずに済んだが、迷路遊びには必ず入口と出口がある。つまり往路のみだ。お化け屋敷もそうで、入口に戻るのは臆病者だ。この入口と出口が違うことは人生の象徴でもある。みんな子宮から生まれても死ぬ場所はさまざまで、人生は行った切りだ。行った切りということは、途中はふらふらしていることであり、人生とは迷路ゲームだ。行き止まりに突き当たれば戻り、また別の道を進んで出口に向かう。その出口を出ればまた別の迷路が待っていて、人生は迷路の中で息絶えることだ。さて、久留米鶏頭の花の脳みその何倍も複雑なくねくね状態は、実物の花を手にして観察していないが、いくつかの畝が絡み合っているように見えて実際は1本の長い腸が折りたたまれて複雑な襞になっているのと同じ状態で、入口から出口まで無駄なく、つまり迷路にある行き止まりがなく、きれいに一直線に展開出来るはずだ。それゆえ、鶏頭の花の迷路状の形は単純なものが複雑に擬態化しているだけで、出口のある迷路と同じく、途中で迷っても必ず最後は解決するという暗喩を秘めている。もっと言えば、必ず成功するという象徴でもある。筆者が注目するのはその点だ。ただし、筆者は夢でいつも見知らぬ街を訪れて目的もなしにふらふらしている。目覚めた時がその迷路の夢からの脱出と言えるほどで、せめて目覚めている間は迷路の中で立ち止まるのではなく、長年の気がかりの決着を思う。そして前言のように、鶏頭の花を画題にした作品がひとつの夢になっているが、小学生の頃を経て1989年の年賀状の図案においてもそれはつながっていて、筆者が作品に込める思いは以上のように独自の考えがいくつも背景にある。それはこの投稿にも言える。
●鶏冠鶏頭を育てる、その9(番外3)_d0053294_01585929.jpg

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by uuuzen | 2020-10-03 23:59 | ●新・嵐山だより
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