鳴く鳥の西洋では代表格のナイチンゲールは「夜鳴鶯」と表記される。ストラヴィンスキーにその題名のオペラがあるが、昔から筆者はこの鳥が本当に夜に鳴くのかと気になりながら、まだその鳴き声を知らない。

エルザ・トリオレの『ルナ=パーク』にもナイチンゲールが出て来るが、ジョルジュ・デュ・モーリアが本書を構想した時、この鳥のことが脳裏にあったと想像する。エルザが書くように本書の登場人物の名前は言葉遊びが利いていて、リトル・ビリー(Little Billee)は、タフィーやレアードと違って小柄で背が低く、また20歳と若いところからつけられた渾名で、『ルナ=パーク』には「Lⅰtrebili」に「なった」と書かれる。だが、本名が「Lⅰtrebili」でそれが「リトル・ビリー」の渾名に「なった」のではないか。筆者が本書を読む限り、リトル・ビリーの本当の名前が「Lⅰtrebili」であるとはどこに書かれているかわからない。「タフィー」は体格がよく、喧嘩にも強い「タフ」なところから考え出された名前だろう。肝心の「トリルビー」は「trill by」、つまり「囀り去る」から編み出されたはずで、彼女の歌手としてのごく短い人生をナイチンゲールのような小鳥にたとえている。本書の大半は英語だが、フランス語がかなり混じり、ドイツ語も散見されるが、スヴェンガリはドイツ系ユダヤ人、ゲッコーはポーランド人で、特にスヴェンガリの話し言葉をデュ・モーリアは「ドイツ・ヘブライ・フランス」と形容し、しばしば訛りを表現するため、「トリルビー」を「Drilpy」(ドリルピー)と言う場面もある。こういう点をエルザはとても面白がったが、言葉遊びは20世紀に入ってのたとえばレーモン・ルーセルやシュルレアリストに大いに開花した。それをデュ・モーリアはヨーロッパ各地からパリにやって来た人々の交流の物語として本書に用いたが、ロシア人のエルザが本書を好んだ理由は、国際色豊かなパリの芸術家の様子がいち早く描かれているからだろう。戦後は芸術の中心地はニューヨークに移り、その芸術はヨーロッパの伝統に必ずしも立脚せず、本書ないし本書で描かれる画家や音楽家は時代遅れに見えるだろう。本書第8章の最後に、トリルビーが死んで「20年後」(VINGT ANS APRES)のことが28ページを費やされる。その中に、タフィーが20年前に住んでいたアパートのアトリエを訪れる場面があって、アメリカ人の画家たちが内装をすっかり現代風に変えて使っている。19世紀末、プロの画家を目指す者はアメリカ人でもパリで学んだが、戦後はニューヨークを目指す者が増えたであろう。ニューヨークの次はどこかとなると、人口の多さから中国の大都市になりそうだが、たぶんそうはならない。芸術の伝統がまるで違うからだ。だが、東洋美術の伝統と西洋のそれが混交して新たなものが生まれる可能性はある。

「20年後」はデュマの小説の題名で、デュ・モーリアはイギリスのディケンズとフランスのデュマというふたりの大小説家の手法を学んだことが想像されるが、美術となると基本は古代ギリシアだ。第1章の冒頭に「三銃士」のアトリエ内部の様子が描写され、ギリシア彫刻やダンテの顔などの石膏の複製がたくさんあり、それらは父から子へと今後も伝えられて行くと書かれる。一方、当時のフランスの画家の生態を無視せず、「三銃士」がバルビゾンで写生する場面もあって、本書をすべて読むと、美術についてもっと書かれていることがわかるかもしれない。それはさておき、本書冒頭にギリシア美術について言及することは古典を学ぶことの重要性を説くからだ。それは音楽についても言える。スヴェンガリは辻音楽師ではなく、ピアノと声楽を教え、しかもオーケストレーションも出来る。シューベルトやショパンなど、クラシック音楽に精通し、トリルビーを正統な歌手にしようとする。映画『悪魔スヴェンガリ』では、トリルビーがコロラトゥーラでそれこそナイチンゲールのように歌う場面がある。もちろんプロのソプラノ歌手の吹き替えだが、人間の声とは思えないその発声は、どれほどの持って生まれた声帯の強靭さと訓練の賜物かと誰しも思う。そしてそういう美声で歌えるのはそれほど長い年月ではないはずで、デュ・モーリアは画家にはない、女性歌手の見事な歌声に感動して本書を書く気になったと想像する。さて、トリルビーが「三銃士」のモデルに雇われることになる話し合いのために彼らのアトリエを訪れた時、彼女はドアの外で陰鬱な大声で何やら唱える。そして「どうぞ」という声がしない間にドアを開けて中に入るが、映画では「ベン・ボルト」(Ben Bolt)という19世紀半ばに流行した短い歌を口ずさむ場面がある。その声がひどく、また音程が外れているためにゲッコーは顔をしかめるが、スヴェンガリは素質があると言う。昨夜の投稿に使った最初の写真は1895年のロンドンの舞台でのもので、トリルビーの横で耳を押さえて困惑しているスヴェンガリがいる。トリルビーはリトル・ビリーよりも背が高く、声も大きいことは充分想像出来る。話を戻して、本書ではスヴェンガリが「ベン・ボルト」を笛で奏でる場面がある。またトリルビーの父がその曲をよく口ずさんでいて、彼女の好きな曲でもある。この設定が巧みで、本書の通奏低音として「ベン・ボルト」が流れている。デュ・モーリアもこの曲が好きであったのだろうが、歌詞があまりに切ない。こういう曲がなぜよく歌われたのか少々理解に苦しむが、本書では若いトリルビーやリトル・ビリー、それにスヴェンガリも呆気なく死ぬ。またそうであっても本書から彼らの息吹、あるいはデュ・モーリアのそれも含めて生き生きと伝わるので、先日書いたように死は怖くないということか。だが残された者は悲しい。

トリルビーの歌手としての舞台は、ひとりで中央に立って歌うものだ。そのレパートリーは具体的に書かれないが、スヴェンガリが見つめる中、またゲッコーが第1ヴァイオリンを弾くオーケストラをしたがえて、古代ギリシア風の衣装を着て、「ベン・ボルト」を歌う場面が挿絵でも描かれる。その舞台でスヴェンガリは心臓発作で苦しみ、死んでしまう。その様子を舞台から見ていたトリルビーは歌をすっかり忘れる。それで大騒ぎになり、ヨーロッパ中の新聞が記事にするが、スヴェンガリが死んだ後、まるで人が変わったトリルビーはかつて親しかった「三銃士」の来訪を喜ぶ。その数日前にスヴェンガリとトリルビーは馬車でパリ市内の大通りを人目につくように走り、たまたまその様子を見た「三銃士」の3人はトリルビーと眼が合ったのに無視され、5年ぶりにトリルビーの姿を見たリトル・ビリーはひどく落ち込みながら、コンサートの券を入手して見に行く。映画ではスヴェンガリがトリルビーを誰とも会わせないので次第に大劇場から声がかからず、エジプトのバーで女の裸踊りの後の出し物として歌うまでに落ちぶれるが、本書では凱旋公演のような形でパリで歌い、それが彼女の最後の舞台となる。またそのコンサートの数日前に、スヴェンガリがトリルビーに暴力を振るい、止めに入ったゲッコーが刃物でスヴェンガリを刺すが、傷は浅く、リハーサルに支障を来さなかった。とはいえ、後に警察が介入し、ゲッコーは半年の肉体労働を義務づけられる。映画ではスヴェンガリの素性は詳しく描写されないが、本書では妻帯者で、ドイツに家族を残し、仕送りしているとの設定だ。妻子持ちが若いトリルビーを見初めて歌手にしようというのは、魂胆としては「悪魔」と思われても仕方がないが、本書ではトリルビーは「ラ・スヴェンガリ」と呼ばれ、スヴェンガリの妻と称されている。映画でもそうだが、本物の夫婦ではなく、肉体関係はないだろう。映画ではスヴェンガリはトリルビーから一度でいいので愛の言葉を欲しているが、本書にはそういう箇所はない。スヴェンガリは激しやすい性格で、そのことをゲッコーは普段から苦々しく思っていて、それでパリ公演の前に刃傷沙汰を起こしたが、トリルビーに暴力を振るったのは音楽のためであった。次に「ベン・ボルト」の歌詞を訳す。「ベン・ボルトよ、覚えているかい? かわいいアリスを。かわいいアリスの茶色の髪を。彼女はお前が与える笑顔にうれし泣きし、お前のしかめっ面に怖くて震えた。谷間の古い教会の庭の片隅で、ベン・ボルトはぼんやりひとりぽっち。みんな灰色の石の厚板に名前が刻まれ、かわいいアリスは石の下」 この歌詞のベン・ボルトを体現したのはリトル・ビリーだ。彼はトリルビーが死んで15年後、つまり40歳ほどで発狂して死ぬ。トリルビーが最期に「スヴェンガリ」を三度唱えたことがどうしても理解出来なかったのだ。

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